第165話 鳥頭

「僕のために人を殺して……か。なるほど。建前とか言い訳とか。言葉から、ありとあらゆる不必要なものを剥ぎ取ると、ここまで酷いセリフが出来上がっちゃうってわけなのね。……アンタの言葉をそっくりそのまま受け取ってると、誰かさんが世界中の誰よりもひどい性格をしているように思えてきて、なんだか面白くなってくるわ」

 ユリはしばらくの沈黙のあと、そう言った。だが、ルーツの予想とは裏腹に、態度を硬化させることはなく、何か考え込むように、右手を口の辺りにあてている。

「何か気になることでもあったの?」

「いや……でも、どうにもアンタの言ってることが矛盾だらけな気がしてて――」

 様子を尋ねたルーツに、ユリは素直に答えると続けた。

「別に、粗を探してるわけじゃないんだけど、なんか引っ掛かるっていうか――」

 ルーツの瞳の奥にその答えがあるとでも思ったのか、そう言うと、ユリはルーツの方をじっと覗き込んでくる。

―――――――――504―――――――――

 ルーツとしては別に後ろめたいことは無かったのだが、考え込まれた挙句、何か変な勘違いをされても嫌なので。自分なりに振り返ってみた結果、おそらくユリが感じている違和感の正体はこれだろうと考えて、その中身を口にすることにした。

「そりゃあ仕方ないよ。僕はその時その時思ったことを言ってるだけで、前に言ったことなんて全部覚えてられないもん。もしかしたら、ユリの言う通り、矛盾だらけだったのかも」

「それは聞き捨てならないわね。自分の言ったことすら覚えてられないような人が、どの口で責任を取れ、なんて言うの?」

 あれだけ、過去から逃げずに向き合え、とユリに言ってきたにも関わらず、曖昧なことを言うルーツに、ユリは厳しい視線を向けてくる。

「じゃあ――、言った本人が覚えてられないなら、アンタがさっき口にしたことも、約束事も、守ってもらえる保証はないってわけね」

「少なくともその辺りは、今は覚えてるから、安心してよ」

「今は?」

 随分と素っ気無いルーツに、ユリは更に顔をしかめるようにした。

「まさか、明日は違うって言うの?」

「違うかもしれない。考えが変わらない人なんていないから。明日もう一度尋ねれば、僕は正反対のことを口にするのかも」

 思い浮かんだことをそのままに、ルーツが言うと、ユリは頭が痛くなってきたとでも言いたげに、自分の額を数度手の甲で叩いて、それから大きく息を吐いた。

―――――――――505―――――――――

「正直なのは悪いことじゃないんだけどね……少しは隠す努力もしなさいよ。今、私の中で、アンタの信用性、どんどん落ちていってるんだけど」

 どこか呆れたような……いや、同情するような顔でそう言うと、ユリは不意に真面目な顔になって、またルーツの眼を覗き込みながら口を開く。

「それがホントなら、アンタの今までの発言は全部説得力に欠けるわね。私だって、一晩寝たら――いいえ、三歩歩いただけで意見を変える鳥頭の言うことなんか、信用しようとは思えないし」

「その場に合わせて、臨機応変に対応できる人だって、肯定的に思えたりしない?」

 機転を利かせてルーツは言ったが、ユリは首を振って否定した。

「悪いけど、それはないわね。せめて大体の判断の基準は示しておいてくれないと――次に何を言うか、全く予想できない人なんて、話してても不気味なだけだから」

 そう言うと、ユリはルーツの反応を待っているように、再び黙り込む。

 確かに、聞き手がどんな反応を返してくれるのか、あらかじめ分かっていた方が、話し手も安心して話が出来る。それは間違っていないのだろう。返答を待っている間、どこかソワソワして落ち着かないユリの様子を見ていれば、そのくらいはルーツにも分かる。

 でも、実のところ、相手が何を話すのか予測するのは、例え顔見知りでも難しいんじゃないか。そう考え、ルーツは言った。

―――――――――506―――――――――

「だけど、実際、僕みたいな人って少なくないんじゃない? 話す内容や、ものの考え方なんて、時と場合によって――いや、全く同じ状況でも変わり得るし、全く同じ精神状態でも、その時の気分で普段の性格とかけ離れたことを言うかもしれない。こいつは、こういう思考の持ち主だから、こう動いてくる――なんて駆け引きが成立するのはお話の中か、机の上だけの話なんじゃないかって、僕は思うんだけど。

 だって現実は、もっと理不尽じゃんか。そりゃあ、すっごく奥深くまで相手のことを知ることが出来れば、その限りではないのかもしれないけど、普通は、ほんの些細な気変わりで運命は変わる。似通った結果に落ち着くこともあるけれど、直前の何気ない発言一つで、全く違う結末を迎えてしまうことだってよくあると思うんだ」

 すると、いったい何が言いたいの。と、ユリは疑心に満ちた表情で、そう尋ねかけてきたので、ルーツは重ねて言葉を続けた。

「君は臆病だ、君は強気な性格だ……みたいな、そういう型にはめて欲しくないってことだよ。一人の、何を考えるか分からない人の子として、僕のことを見て欲しい」

 同時に、自分自身にも人を見かけや表面だけで判断しないよう戒める。それからしばらく、ユリは沈黙していたが、やがて口惜しそうにポツリと口を開いた。

「先のことが分かればいいのに。過去に戻れたら良かったのに。アンタに手を貸す方と、見捨てる方。二つとも経験した後で、今この時に戻ってこられるなら、迷うこともなかったのに」

―――――――――507―――――――――

 決断するのが怖い。そんなユリの気持ちは、ルーツにも手に取るように分かった。だが、仮に未来が分かったとして、そのどちらにも救いが残っていなかったとしたら、ユリは破滅の足音が少しずつ、だが着実に迫ってくる瞬間を、どんな気持ちで過ごすのだろう。自分の力ではもう何も変えられないのだと悟り、ただなすすべもなく終わりを待つことしかできない状況。まるで死刑を猶予されているような、そんな状況こそが一番恐ろしいものだと思っていたから、ルーツはユリの言葉に、素直に同意することが出来なかった。

「どちらも経験して、ましだった方を選ぶの」

 そう言ったユリに、ルーツは正すように口を開く。

「僕としては、絶対にできっこないことに思いを巡らすより、どんなにちっぽけなことでも、いま自分に出来ることを考えた方が、何倍もお得だと思うけどね」

「言われなくても分かってる。ってか、本気ですがってるわけじゃないってことぐらい、考えなくても分かるでしょ?」

 誰かを真似たような言い回しをするルーツに、ユリは少しムスッとして言った。だが、死ぬ、殺す、と物騒な言葉が飛び交っていた頃よりは、幾分かユリの絶望感は和らいだらしい。失言が即、終わりへとつながっていたあの張り詰めた空気が、いつの間にか消え去っていることにルーツは気が付いた。だから、次の発言自体に、ユリを大きく心変わりさせるほどの役割があったとは思わない。

―――――――――508―――――――――

「僕だったら、未来が分かろうが分かるまいが、知り合いを助ける方を選ぶよ。その先に、何の救いもない破滅しか待っていなかったとしても、そっちの方がいい。わざわざ経験しなくても、独りぼっちで生きられるほど強くないって、僕は自分で分かってるから。一人より二人。せめて三人ぼっちくらいじゃないと――」

「一度、人のぬくもりを知ってしまったら、もう独りぼっちには戻れない。アンタのその気持ち、よく分かるわ」

 ルーツの言葉に被せるように、ユリは言った。

「昔の私も――記憶の中の私も、気丈に振舞っているようで、実は一人になるのをすごく恐れていたから」

 今までほとんど触れてこなかった、記憶の中で見たことの一部を自分から打ち明けたユリに、ルーツはまた一歩、二人の距離が縮まったことを確信する。

「ねえ、アンタ。他に何か、私に隠してることないわよね?」

「これ以上、何を隠すって言うの? 人を殺して欲しいとまでお願いしたこの僕が」

 出された疑問に尋ね返すようにルーツが言うと、ユリはしっかりしろとでも言いたげに、自分の両頬をぴしゃりと叩いた。それから、決意を固めた顔でルーツを見る。

「それもそうよね。アンタは私に自分の全てを晒した。余すところなく、心の奥まで、思っていること全部。だから……私だけが、アンタに色々隠したままなのはやっぱり不公平だと思うのよ」

 そう口に出すと、ユリは何故か少し恥ずかしそうにして、そして言った。

「興味ないなら別にいいけど――見たい? 私の。私の記憶」

―――――――――509―――――――――


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