第164話 雪解け
「まったく、アンタらしいって言えばそうなんだけど。……アンタってよく私のこと、意地っ張りだって言うけれど、本当に強情なのはいったいどちらなのかしらね」
二人の間に貸し借りはない。どうやらユリは、そんなルーツの言い分を受け入れてくれたようで。
「この場はとりあえず、大人な私が一歩引いて、アンタの言い分を素直に認めてあげるから。アンタの方も少しくらい、私の忠告に耳を傾ける気になってもいいんじゃない?」
どこが素直だったのか、ルーツにはあまり理解できなかったのだが。ユリはその代わりとして、自分の忠告を、口を挟まず聞くように言ってきた。
「そんな面倒くさそうな顔しないで。私だって、自分なりにアンタの事、少しは考えて言ってあげてるんだから。どうやらアンタ、自分の考えが、歩いてるだけでいさかいを引き起こす、厄介の種だって分かってないみたいだし」
ルーツが首を傾げると、ユリは続ける。
「大多数の幸せより、身近な少数を優先する。その考え方のことを言ってんのよ。他人より村人たち。村人より家族。……もちろん、日常的で、ごく小規模な取り決めの範囲内なら、さほど問題ないんでしょうけど……国とか種族とか、大きな物が絡んでくるとなると話は別。話が大きくなればなるほど、全員が幸せになる終わり方なんて存在しなくなるんだから。少数を優先した時、アンタは不利益を被った大多数の人の恨みを一身に受けることになる。その重みに、無数の人々の怨嗟の声に、アンタは本当に耐えられる自信があって?
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まあ、後々のことまで考えて、状況に応じて上手く立ち振る舞え、なんてのは、アンタにとっては無理な話なんでしょうけど。周りも、自分がいま置かれている境遇さえも気にせずに、誰かを救おうとする一心で行動に出ることからも分かるけど、アンタはいつも今をどう切り抜けるかしか考えていないんだもんね。
未来のことは、未来の自分に任せればいい。おそらく、アンタが無鉄砲に動けるのは、そう考えているからなんでしょう? 少し羨ましいわ。予測されうる危険性を全て無視して心のままに突き進める、そんなアンタの性格が。ただ単純に馬鹿なのか、それとも自分の領分をわきまえた上でそうしているのかは分からないけど。確かに、どんなに思い悩んだところで、不慮の事故や自然の悪戯。その他色んなことを考えれば、人は一秒先の未来でさえ確実に予測することは出来ないんだから、アンタのように割り切って、目の前のことだけに対処するってもいいのかもね」
忠告といいながら、こちらを褒めるように言うユリの言葉に、ルーツは少し戸惑った。だが――、大した理由もなくユリが誰かを褒める時は大抵、持ち上げて落とす。その準備をしている時。そんなことを思い出し、苦笑いをする。
今の今まで、水も飲まずに声を張り上げ続けてきたせいか、正直、ルーツの喉は、さきほどからイガイガし始めていたのだが、案の定、ルーツの予想通り、ユリはまだ喋り足りないようだった。
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「でも、目の前ばかりに気を取られているようだと、ふと我に返った時、アンタの手元に残っているのはそれこそ手に届く範囲だけになっちゃってるかもしれないわよ? 自分にとって大切な何かを守るためとはいえ、外部を突き放してばかりいたら、最悪、アンタはこれから出会うはずだったもの。大人になってから目にするはずだったであろう存在を、全部失うことにもなりかねない」
「今は赤の他人でも、将来、何かつながりが出来るかもしれないって言いたいの? 村に攻め込んでくる兵士たちと? だとしても関係ないよ。あいつらは僕の大切な物を奪おうとしているんだ。仮に、誰かの命令に従っているだけだとしても許さない。僕はユリのように、その人たちが善人だとは……可哀そうだとも思えないから」
例え、切羽詰まっていても、少しくらいは未来を見た方がいいと言うユリに、ルーツは不満そうに言葉を返す。他のことなら少しは冷静さを保てるようになったつもりなのだが、半獣人というだけで扱いを変え、明確な証拠や対話も無しに、村に攻め込んでくるという兵士たちのことを考えるとルーツはどうにも駄目だった。
言葉は通じるはずなのに。どうして理解する努力もしないまま、力で片付けてしまおうとするのだろうか。そう考えただけでも腹が立つ。
ルーツは自分の顔が怒りで火照っているだろう、と予想した。ペラペラと勢いよく喋ったせいなのかもしれないが、顔の周りが異常に熱い。
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「アンタたち――村の人たちにとっては兵士たちが無慈悲な侵略者のように見えてるんでしょうけど、彼らにもそれぞれ大切な人がいるのよ。例え、家族じゃなくても。恋人とか、友だちとか。昔の私には、それが分かんなかった。自分の大切な物が守れれば、あとはどうなってもいいと思ってた。だけど、アンタには分かってほしい。彼らだって――」
「僕らと同じ。大切な何かを守るために戦おうとしてる。そう言いたいんでしょ?」
宥めすかすようなユリの言葉は、ルーツに先を取られたことで引っ込んだ。黙りこくってしまったユリを見て、ルーツは代わりに持論を述べる。
「ユリはあたかも、兵士を殺すことを大罪のように言うけどさ。考えても見てよ。無抵抗な人を一方的に殴るって言うならまだしも、兵士たちは僕らを殺そうと向かってくるんだよ? それに、あいつらが僕らを殺しに来るのは、誰かに命令されたからじゃなくて、自分が生きるため。どれだけもらえるかは知らないけど、任務を遂行して――僕らを殺して得たお金で、家族か、恋人か、もしくは自分自身を養おうってんだから、嫌々やってるとは言えないんじゃないの? 村の人たちが畑を耕して、獣を狩るように。それが仕事なんだから。あいつらは、生きていくための手段として、人を殺すことを自分から選んだんだ。
僕らは、いつも兵士たちがやっていることをそっくりそのまま返すだけ。今日を生きるために、襲撃者を殺す。ごく当たり前のことをするだけなんだよ」
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ルーツがそう言うと、ユリは気に食わないとでも言いたげに、うー、と唸った。それから苛立った様子で考え込み、呟くように口を開く。
「アンタは、私が必死に考えて、その上で否定した結論を、こんなに簡単に、どや顔で出して、正しいって言い張るつもりなの?」
ルーツがあまり反応を示さなかったのを見て、ユリは重ねて言った。
「獣を狩るのも、人を殺すのも、一つの命を絶っているという点では同じこと。だから、もし、殺さなければ生きていけないのだとしたら、誰かの命を奪ったとしても許されるんじゃないか。また、責任逃れって言われるかもしれないけど……私も、アンタがぐっすり寝ている間に、そんなことは何度も考えたわよ。……でもね。人も獣と同じ、一つの生き物に過ぎないんだって、必死に自分に言い聞かせようとしても、ただの姿かたちの違いが、言葉が通じるかどうかの違いだけが――、アンタには分かんないのかもしれないけれど、私には重くのしかかってくるのよ。殺すとき、相手の感情が分かるから。恐れが伝わってくるから。耳を塞いでも聞こえてきてしまうから」
まるで、今でも殺した兵士たちの声が聞こえているように、ユリはそう言いながら、自分の両耳を塞ぐようにする。だが、続いたのは拒絶の言葉ではなく――、ユリはすぐにその手をどかして、微かに笑みを浮かべると、言った。
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「否定してくれると思ってたのに。その持ち前の正義感で、今までお前がしてきたことは間違えだったって、私をなじって罵って。たとえ誰かを助けるためだとはいっても、人を殺していいわけがない、お前は史上最悪の殺人者だ、って言って、私を突き放してくれると思っていたのに。どうやらアンタも私も、まだまだ互いのことをよく分かっていなかったみたいね。……それにしても、まさか、庇われるなんて」
「そこまで単純な人だと思われてたなんて、なんかショックだよ」
雪解けを感じさせるユリの言葉に、ルーツは少しがっくりとした素振りを見せると、それからゆっくり言葉を返す。
「死にたいって考え、少しは変わった?」
「アンタこそ、本当に生き続けたいと思ってるのか、怪しいもんだけどね。あの時だって、私をかばって死にかけてるし」
「僕は生きたいと思ってる。ユリと一緒に、あの村で、平穏な生活が送りたいってずっと思ってるよ」
そう言うと、ユリは随分と穏やかな目になった。
その変わりように、この雰囲気を保ち続ければ、このまま都合の悪いところを全部うやむやにしてしまえば、あと一押しで、ユリは村に帰ることを承諾してくれるんじゃないかと、ルーツは思わず安全策を取りたくなる。けれども、全ての思いを打ち明けようと決心した手前。ルーツは、明らかに場の空気を悪くすると自分でも分かっている、目を背けたくなるような現実を話さずにはいられない。
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「だから、二人が――いいや、僕がまだまだユリと一緒に居続けるために頼む」
そう言うと、頼むことしか出来ない自分に腹を立てながら、ルーツは誠心誠意頭を下げて、そして続けた。
「僕のために人を殺してくれ。一人でも、十人でも、百人でも、千人でも。村人たちに危害が及ばなくなるまで。たくさん。たくさん。たくさん!」
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