第162話 まるで世界の真理のように

「それじゃ、駄目だ」

「何が駄目なの? 可能性が低いから?」

 いつもなら眉を大きく吊り上げて、尖った口調で反論してくるはずなのに。自分の提案を否定したルーツに、ユリは自信なさげに口を開いた。

「でも、アンタの案も、言うほど私と変わりないじゃない。戦力差は絶望的。耐え続けたところで、どこからか救いの神が舞い降りてくるわけでもない。どうしたって、村の人たちが助かるのはとっても低い確率なのよ。それとも、もしかして――アンタ、私に戦況を一変させるほどの力があるって変な幻想でも抱いてるの?」

 そう言うと、ユリは微かに首を振る。

 何にも期待していない、と言えば嘘だった。村にとってユリの力は大きな助けになる。ルーツ自身、少なからずそう思っていたのは事実なのだから。だけどこの際、可能性の大小はどうでもよかった。ユリに死んでほしくないがために、ルーツはここまで苦心しているわけで、誰かが犠牲にならなければ成立しないのだとしたら、たとえ確実に村が救われるとしても、その方法は考慮するに当たらないのだ。

―――――――――485―――――――――

「仮にそれで……ユリが死んだために村への襲撃が取りやめになったとしても、僕が嫌なんだ。ユリが死ななきゃ救えないくらいなら、いっそ――」

 村なんか滅びてしまった方がいい。危うく、そんなとんでもないことを口に出しかけて、ルーツは慌てて口を覆った。心の声がつい漏れてしまったのか、それとも、その場の勢いで言いかけてしまっただけなのかは自分でもわからない。だが、例え口に出してしまっていたとしても、その言葉はユリの耳には届かなかったろう。

「分かってるの? アンタだけの問題じゃない。村の人たちの命が掛かっているのよ! それをやり方が気に食わないからどうのこうのって……」

 理性的ではなく、感情的に。ルーツが自らの心情だけで、重要な物事を判断しようとしているとでも思ったのだろうか。ユリは怒りのあまり涙声になっていた。

「それに――、『死んでほしくないから、これからも人を殺し続けろ。』アンタ、私にこう言ってるようなものなのよ。人がすんごく――ううん、口では表せられないほど悩んでるっていうのに。どうしてこれ以上、罪を背負わせようと……私にこんな役目を強いるのよ!」

 時折、すすり泣くような変な調子になりながらも、ユリはそれでも喋るのを止めようとしない。

―――――――――486―――――――――

「あんなに、誰かを傷つけることを嫌ってたはずなのに、どうしちゃったの? 殺すなんて……なんでそんなこと、簡単に口にできるの? どんなに残酷なことを言っているか、自分でも分かってるくせに。裏切られる痛みも、孤独の痛みも、痛みという痛みはもう全部知ってるくせに。平気なふりまでして!」

 平気なふり。ユリは目元を何度も拭いながらそう言ったが、自分の感情の高ぶりを覆い隠せている自信はルーツにはなかった。

「そうだよ、知ってるよ。だから言ってるんだ。見たくないことから目を逸らし続けて、いざ追い詰められた時に、泣いたから、感情を爆発させたから、イヤイヤって首を振ったからといって、状況は少しも改善しないってことを、僕は身をもって知っているから」

 念を押すようにルーツが言うと、ユリは鼓動を落ち着かせようとしているように、自分の胸に手を当てる。

「でも、殺したら――例え一人でも誰かを殺してしまったら、きっとアンタは大切なものを失うわ。そして悪魔……いいえ、悪魔以下の。この世でもっともおぞましい存在の一つになり果てるのよ。今、目の前にいる私のように」

「構わないさ。例え何かを失うとしても、ユリが死ぬことに比べれば。何かを失うだけで、ハバスや村長、村の人たちが助かるなら。感情なんて、正義なんて、そんなもの。取るに足らないどうでもいいことなんだから」

 自分を卑下するユリに、路地裏での出来事を思い返しながらルーツは言葉を返した。自分のせいで、ユリが刺されると思ったあの一瞬。例えどんな代償を伴ったとしても、もう二度と、あの一瞬だけは繰り返したくない。そう、心に何度も言い聞かせながら、ルーツは、昨日までの自分なら考えもしなかったであろう思いを語り出す。

―――――――――487―――――――――

「僕も、いけないって思ってた。殺人なんて、野蛮で、どうしようもないクソ野郎がすることだって思ってた。さっき、ユリは僕に、アンタは人と違う考え方をするって言ったけど、僕だって……誰かを傷つける奴はどんな理由があろうと悪い奴だって、それこそ生まれてから今の今までずっと思ってきたさ。悪事を働いた事情や背景をわざわざ読み解こうとしたことなんてない。悪い奴は悪い奴。それで……村に居た時は事足りたから。

 でも、それは所詮、安全な所に居たからだった。遠くから、戦っている人たちを見物しているだけで良かったから、僕は常識として聞かされてきた、殺人は良くないっていう一つの考え方を、まるで世界の真理のように何も疑ってこなかったんだ。

 ……勘違いはしてないと思うけど、ユリをかばってるんじゃないよ。僕は気づいただけなんだ。自分が窮地に立たされたら、そんなことは言えない。誰かを殺さなきゃ自分が死ぬってなったら、これは駄目とか、あれも駄目とか、そんな悠長なことは言ってられないって。

 結局のところ、ユリの言う通り、僕も無責任な人間なんだよ。……理由が欲しい。人を殺しても許される正当な理由が欲しい。誰かに責任を押し付けたい。もちろん、自分が手を下さずに全てが丸く収まるならじっとしていたい。安全なところで、ユリと温かいご飯でも食べながら、ただ、怖いね、最近物騒だね、って言って暮らしていけるならそうさせて欲しい。だけど――」

「特別扱いしないで!」

 どんどん早口に、そして強い口調になってくるルーツの言葉を、ユリはそう言って断ち切った。

―――――――――488―――――――――

「えこひいきしないで。哀れまないで。アンタ同情してるのよ、私に。昼間、私に怒りをぶつけてきた時のアンタは本物だった。物事を客観的にとらえて――よく現状が見えていた。大多数の物の考え方をしてた。でも、私が弱みを見せたばっかりに。今のアンタは、主観的になってしまっている。助けたいっていう前提があるから、私を説得できるように、無理やり自分の意見を曲げていっているのよ。おかしいとは思いつつ。じゃなきゃ……アンタがこんなこと言うはずないもん。私の知ってるアンタは、こんなこと言わなかった!」

 ユリは、過去のルーツの精神状態をそのままなぞっているようだった。変わっていくルーツを恐れている。

「誰しも知っている通り、過去は変えられない。でも、未来は変えられるのよ。なのにむざむざ、この先も人殺しを続ける人生を受け入れろだなんて、私には、到底アンタの要求は呑める気がしない。それに……アンタはどうしてあの村にこだわるの? 生まれたところだからって、そんなん関係ないでしょう? この世の中、故郷を捨てた人なんて無数にいるもの。だから私には、アンタの気持ちが、正直分からない。

 見捨てればいいじゃない! 村の人たちがアンタにしたように、アンタを孤児として放り出そうとしたように。……当然の報いよ。悪人にはそれなりの罰が下されるべきだわ。……対して、村に攻め込んでくる兵士たちは悪者じゃない。ただ、上から降りてきた命令に実直に従っている……ある意味では彼らも被害者よ。そんな人たちを殺すわけには――」

「正義か悪かで考えてるの? 悪人を殺すなら許されるの?」

 村人たちへの嫌悪感を隠そうともしないユリに、ルーツは言った。

 するとユリは、少し考えて、目元をぬぐう。

―――――――――489―――――――――

「良いわけない。そんなこと、誰でも分かってる。だけど、何の罪もない人を殺すより――、善人を手に掛ける事に比べたら、その方がずっとマシだって思うでしょ?」

 救える人数が同じなら、善人の方を救いたいとユリは言った。悪人よりも、善人の命の方が重いだろうとユリは言った。――だが、

「どれも一緒だよ。人一人殺してる分には変わりないんだから」

 だいたい、何をもって善人と悪人に分けるのか。いったい、誰の判断で人々を二つに分けるのか。そもそも、善と悪の間に境界線なんて存在するのか。と、そんなことを考え続けていると、ルーツは頭が痛くなってきてしまうのだ。……それに、

「国を裏から操っている悪い大臣を殺すのも、前々から恨みを抱いていた人を殺すのも、感じの良い近所の人を殺しちゃうのも、無差別に通りかかった人を殺すにしても、やってることは同じなんだよ。……だって、罪の有る無し、重い軽いなんてのは、所詮、自分以外の他の誰かが後から見て決めることなんだから」

 時によって。場合によって。人によって。聞けば聞くだけ、てんでばらばらの答えが返ってきてしまうような問いに、きっと正しい答えなんて存在しないのだろう。

 そう思い、ルーツは口を開いた。

「だから、ユリの今までの殺人は――」

 もちろんルーツは殺人を正当化したいわけではなく、

「たとえ、僕を助けるために八人の兵士を殺したんだとしても――」

 あの路地裏の兵士たちに罪を擦り付けたいわけでもなく、

「それは僕を八回殺したのと、なんら変わりないんだ」

 そう。今、自分で口に出している通り。ユリがしたことは決して許されざる行為だと分かってはいるのだが。

―――――――――490―――――――――

「でも――、」

 でも――?

「それでも、僕だとしても、ユリを助けるためなら――」

「それ以上、言っちゃ駄目!」

 鬼気迫る様子のユリに無理やり口をふさがれて、続く言葉は出なかった。

 が、その代わり。『きっと同じことをしていた』

 心の中で、ルーツはしっかりとその言葉を繰り返す。おそらくはもう二度と、ルーツはユリがした行いを責めることは出来ないだろう。繰り返すことで、きっとは次第に絶対へと変わり、憶測はいつのまにか確信へと変わっていた。

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