第161話 もう二度と選ばずに済むように

 だが、それとこれとは違う。そんなふうに、ルーツが苦しい言い逃れを始めるとでも思っていたのだろうか。

―――――――――479―――――――――

「確かに、そういうことになる。知り合いを救うために、ユリはまた、見ず知らずの誰かを殺すことになる」

 重々しい口ぶりではあったものの、素直に認めたルーツを見て、ユリは一瞬驚いた顔をして、それから嘲るように口をゆがめた。

「だよね。隠れててなんて言えないもんね。私の力が必要なんだもんね。化け物がいないと、村人だけで兵士に勝つことなんて出来ないんだもんね!」

 誰が聞いても当て付けがましく感じられるであろう、わざとらしいその態度には、おそらくルーツへの非難が込められている。

「楽でいいよねえ、アンタは。横で見てて、殺したことを後から追及するだけでいいんだもん。ここまでやらなくても良かったのに! とか、やりすぎた私を責めて、憤ってるだけで許されちゃうんだもん。立ち向かうって言ったって、実際に手を汚すのはアンタじゃないのに――非力だからって自分は安全なところに引っ込んで、責任も罪も全部私に押し付けて。殺せばいいんでしょう? 目に入ってくる敵は全部、アンタの代わりに殺せばいいんでしょ!」

 安全圏からなら何だって言える。何も出来ないだけならまだしも、元より自分で戦うつもりのない人間が、とやかく口を挟まないで欲しいとユリは叫んだ。が、

「違う。代わりなんかじゃない。僕も一緒さ。一緒に戻るってことは一緒に戦うってことだ。一緒に人を……殺すってことだ」

 もう二度と、ユリだけなんかに背負わせやしない。そんな固い決意のもと、ルーツはきっぱりとした口調で言い返す。

―――――――――480―――――――――

「もしユリが僕と一緒に村に帰ってくれるなら、ユリと同じように僕も兵士を殺す。僕らの村に侵略してくる兵士たちをこの手で殺すんだ」

 自分が今、口に出している言葉の意味を確認するように、開いた右の手のひらを見つめるルーツの姿は、ユリの目にどう映っていたのだろう。

「やめて」

 そう言ったユリの瞳には、恐怖の色がにじんでいた。

「兵士たちは、敵なんだから――」

「黙って!」

「だから二人で――」

「やめて。来ないで!」

 ここから引っ張り上げてやる。そう言わんばかりに差し出されたルーツの利き手を、ユリは強く払いのける。そして、わなわなと震えながらルーツを見た。

「違う。こんなの違う。アンタどうしたの? 変わっちゃったの? どうして逃げようと思わないのよ。正面切って戦わず、逃げ出せば――傷つく人は最低限で済む。それがアンタの得意技だったでしょ? ――なのに、なんで。何がアンタをそうさせるの? どうしてわざわざ犠牲の道を歩こうとするのよ!」

「僕だって、何も望んで、こんなことを言ってるわけじゃないさ。これ以外に……戦う以外に、助かる可能性が残っている方法が見つけられなかったからこう言ってるんだよ! 何か他に名案があるなら今ここで教えてよ! 考えてよ! 僕は全部、言われた通りにするからさ!」

―――――――――481―――――――――

 化け物に憑りつかれてしまった哀れな人の成れの果てでも見ているかのようなユリの眼差しに、自分は正気だと、ルーツはそう言って反論する。だがユリは、ルーツの言葉には隠しきれない違和感があると、続けてルーツを問い詰めた。

「何? 代わりの案を出せなかったら批判しちゃいけないって言うの? アンタのそのお粗末な見通しの結果、もっと多くの人が死ぬことになるのは火を見るよりも明らかだってのに。……この短時間で、アンタより優れた名案を出せってのはちょっと難しい話だけど、例え誰かさんの計画が奇跡的にうまくはまって、攻め込んできた兵士たちを全滅させられたとしても、何の解決にもならないってことぐらいは私でもわかるわよ。だって、兵士たちが誰一人として戻ってこなかったとしたら、村人たちに殺されたんだって丸わかりじゃない! となれば、倒したところで次が来る。今度は王国の威信をかけてもっと大軍で。勝利の先にあるのは平和じゃないのよ。待っているのは次の戦い。抵抗すればした分だけ、多くの人が――死ななくても良かった人たちまで死ぬことになるって、どうして分かってくれないの!」

「分からないね! 立ち向かえば双方に犠牲者が出るから、そうならないように、最初から首を差し出して死んだ方がいいだなんて、そんな提案、受け入れられるわけがないじゃんか!」

 自分の言い分の穴を指摘されたルーツはムキになって怒鳴り返す。ユリは否定しない。その代わり、あふれ出る思いを抑えているように犬歯を幾度となく噛みしめて、そして言った。

―――――――――482―――――――――

「一番恐ろしいのはね、人を殺す瞬間じゃないの。その過程でもない。後からじわじわと湧いて出てくる罪悪感も一番とは呼べない。本当に恐ろしいのは、他にも可能性があったと、自分があの時とった選択は間違っていたと。お前が間違えたせいで全員を不幸にしてしまったと言われる時なのよ。まったく私と関係なかったはずの第三者から突き付けられるの。もっとうまいやり方があったって。殺さなくても全てが丸く収まる名案があったって。

 でも、終わったことは仕方ない。そう言われて、ため息つかれて、もう今更どうにもできないことをたくさん言われて、責められて――いったい私はどうすればいいの? 錯乱して、まともなことも考えられなかった自分の頭を殴りつけて、壊してしまえばいいの? 結果が分かった後になっていちゃもん付けるのは簡単だけど――。だから、その時は考えつかなかったのよ。もう、殺す以外の手段がないと思ってた。アンタが死んじゃうと思ったらわけわかんなくなってた。……アンタもきっと後悔するわ。正面から立ち向かうより賢い方法があったって。誰も死なずに済む幸せな結末がどこかに隠されてたって。全てが終わった後で気が付くのよ」

 今までのような食って掛かるような態度ではなく、一つ一つ、言葉を紡ぎ出すような喋り方で、ユリは続けた。髪を振り乱しながら話すその姿に、ルーツは、ユリが話している間に倒れてしまうのではないかと心配する。

―――――――――483―――――――――

 確かに、ユリの言う通り、どんなに後悔しても時が戻ることはないのだから、自分が取ったのは間違いなく最善の行動だったと、そう信じ切ることが出来た方が幸せなのかもしれない。でも、これで終わりじゃないのなら――。まだこれからも生き続けなきゃならないのだから。次は間違えないように。古傷を再びえぐるような思いで、過去の自分と向き合っていくことも必要になると、ルーツはそう思うのだ。

「嫌よ、正気の沙汰じゃない。もし、私が自分の快楽のためだけじゃなくて、誰かを助けるためにこの手を汚してきたとするなら、私はシャルを守るために城の人たちを殺して、アンタを守るために憲兵たちを殺して……今度は村の人たちを守るために、また誰かを殺さなきゃいけないの? いままで私が一人救うために、何人殺してきたと思ってんの! いくら見知り合いの方が大事っていっても……私は決めたの。これ以上誰も助けないし、殺さない。ここで死んで終わりにする。もう二度と選ばずに済むように。救っても、救わなくても、多分選択肢はどちらも外れだから。選んだら不幸になる。殺したら当然、見捨てても責任は私に重くのしかかる。だったら、選ばなければいい。結果が分かる前に、消えて無くなってしまえばいい。

 分かった。殺してくれないんだったら、自分で死ぬから。私が死んだら、昼間アンタが言ってた通り、広場に晒してよ。そしたら、もしかして……もしかすると、村への襲撃は取りやめになるかもしれない。兵士以外にも私の姿を見ている一般人――目撃者が何人か市民の中にいるの。その人たちが上手いこと証言してくれれば、たくさんの人が血を流さなくても、一人の命でみんな救われるかもしれない。誰かが思い直してくれるかもしれない。凄い低い確率だけど。それでも、期待を持ったまま私は死ねる。責任を感じずに済む。お願いよ。見逃して。村に連れて行かないで」

―――――――――484―――――――――

 逃げようと思えば、いつでもこの場から逃げられるはずなのに。

 上目遣いで、まるでルーツの了承がないと動くことすら出来なくなってしまったかのように、ユリはルーツの袖を引っ張った。そして、その今まで一度たりとも見たことのない表情に、ルーツは内心動揺する。だが、ここで弱みを見せてしまったら全てが狂ってしまうと、ルーツは頑として突っぱねた。

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