第160話 残酷な提案

「だからって、このまま村にとどまっていても先は見えてるじゃない!」

 ユリは、ルーツの背中にいまだ残る、痛々しい傷跡を指差しながら言った。

「大きなものに逆らったらどうなるのか。その傷は、アンタに何も教えてくれなかったの? だいたい、命令を受けてやってきた兵士に、こちらの話が通じるとは思えないし。もしアンタが、自分は子どもだから殺されないだろうだなんて、そんな甘いことを考えているのなら――」

「分かってるさ。立ち向かったらどうなるか。そんなことぐらい分かって言ってるんだよ。親を殺された子どもが恨みを持たないわけがない。兵士たちがそう考えるのは、僕にだって想像がつくし」

 指摘され、その存在を主張するかのように鋭い痛みを身体にもたらした傷跡に、ルーツは路地裏で出会った赤鎧の姿を思い出す。自分たちを憎んでいる孤児なんて、生かしておいても国にとって害にしかならない。きっとアイツならそう言うだろう。

「そこまで分かってて、どうして――」

「まだ、事情を知り尽くした村の近くで戦えば、何とかなるかもしれない」

 そんな曖昧なルーツの言葉に、ユリは絶句した。未知の生き物に出くわして、怯えた人が見せるような、ひどく困惑した表情が目の前にある。

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「何とか? ならなかったらどうするの? それに、森の中に息をひそめて隠れたところで、数の暴力には敵わないのよ」

 肝心なところをはっきりさせてから物を言って欲しいと、ユリは食って掛かるように言ってきた。だけど、すぐに突っ込むそのくせは止めて欲しい。ルーツだって、さすがにもう少しぐらい考えながら話しているのだ。

「そうならないためにユリの力が欲しいんだよ。確かに、一気に大軍で押し寄せてこられたら、それで方が付いちゃうだろうけど、攻める側にとって村人ごときに勝つのは当たり前。ただ勝っただけでは、上官にいい顔はしてもらえない。だから、多分指揮官は出来るだけ損害なく勝とうとして――自分の兵が失われるのを嫌う。そんな中で、ユリが最初に大きな魔法をぶちかまそうもんなら、彼らも慎重にならざるを得ないでしょ。そうしたらその間に――」

「アンタの計画が、何一つの不備なく上手く運んだことなんて、今までにあって?」

 あたかも相手の心情を読んだかのように話すルーツを、ユリは強い言葉で否定した。最終的な戦術を立てるのは僕じゃないとルーツは言い張ったが、ユリは何度も首を振る。

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「それに、長々と語ってもらったところ悪いけど、私は絶対やりたくないから」

 そう言うと、ユリはすねるように横を向いてしまった。

「お願いだよ。僕と一緒に戻って、兵士たちから村を守ってよ」

「いくらお願いされてもそれだけは無理。それより私はやっぱり、殺しちゃった人たちのために――」

 ルーツの懇願にも動じる様子はなく、どんなに言われても自分のやり方を曲げることはない。そんな頑ななユリの態度を解きほぐすように、ルーツは柔らかな口調で問いかける。

「ねえ、ユリ。ユリってさ、誰かに親切にされたらどうする? やっぱりさ、その人に直接、恩を返したいって思う?」

 こんな時に何を言い始めるのだ、もしくは何を企んでいるのだと言わんばかりに、ユリはこちらを警戒して、睨みつけてくる。その視線に負けないように、ルーツは真っ向からユリを見返して続けた。

「でもさ、もし、親切にしてくれた人がどこの誰だか分からなかったり、分かったとしても、その人が既に死んじゃってたりしたら……見ず知らずの自分に手を差し伸べてくれたその人と同じように、自分も他の誰かを助けてあげる。僕としては、そうした恩の送り合いから、優しさとか、思いやりとか……そんな温かい感情は広がっていくもんなんじゃないかって思うんだよ。だからさ、償いたい人がもう死んじゃってるなら――過去に傷つけた人と同じだけ、いや、それ以上に他の誰かを救う。今、ユリがしなければいけないのは、自分を責める事じゃなくて、こっちなんじゃないの?」

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 説教がましい。時間が経つにつれ、口に出した当人であるルーツでさえもそう思えてくるようなうるさい言葉を、ユリは黙ったまま、苦い飲み物を一息に飲み干した時のような顔をして聞いていた。が、ルーツがようやく言い終わると、

「何をしようが、もう無駄だって。私の罪は晴れないって。さっきはアンタ、そう言ってたくせに」

 ルーツの問いかけには一切答えることは無く、その代わり、コロコロ変わる主張にはついていけないと、疑るようにそう呟く。

「誤解だよ。誰も、僕の言ったようにすれば犯した罪が消えてなくなるなんて言ってない。ユリが死んでも何にもなんないけど、生きてることで救われる人もいるんじゃないかって、僕はそう言ってるの! ユリは強いんだから、僕と違って十分誰かを救える力を持ってるんだから。一緒に来て、殺した以上に村の人たちを救ってよ!」

「こういう時だけ都合よく、私を利用しようとしないで!」

 ルーツは弁解するように再度頼み込んだが、言えば言うほどユリは反発するだけで、一向に聞く耳を持ってはくれなかった。

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「別にユリだけじゃない。村が助かるなら――この危機を乗り越えられるなら、僕は人だって道具だって、使えるものは全部使うつもりさ」

 まくし立てるように言うルーツの言葉に、返答はなく、

「それに、これはお願いじゃない。同情なんかでもない。村に危機をもたらした張本人として、ユリには村を救う義務があるって……僕は今のユリのやり方が間違ってるって言ってるんだ。自分が引き起こしたことぐらい、途中で投げ出さず、最後まで自分で面倒を見る。それが普通でしょ?」

 やってきたのは久方ぶりの長い沈黙。途中で投げ出すな、なんてそんなセリフ。今までいろんなことから逃げてきた自分が言えた義理ではないことぐらい、ルーツも自分で分かっていたが、そもそも自分のことを棚に上げなければ、僕はなんにも言えなくなってしまうんじゃないか。そう考え、ルーツはしばらくの間だけ――ユリを説得している間だけ、改めて数えてみれば数限りなくあるはずの自分の欠点から目を逸らし、ユリの返答を待つことにした。


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 たっぷり一分間は黙っていただろうか。やがて、ユリの息を吐く音が聞こえた。

 だが、ルーツはあまり期待していなかった。ユリがそう簡単に、心変わりをするはずがない。それは元より、覚悟の上のことだった。

 けれど、今までとは違い、すぐに否定せず考え込んでいるという事は、少しは迷っている――つまりは、その心が僅かながらも揺らぎ始めたのだということなのだ。

 沈黙が続けば続くほど、もしかしてユリは僕の提案を受け入れてくれるんじゃないか。そんな楽観的な期待は募る。だが、

「なんか、良い話に持っていこうとしてるみたいだけど――」

 ユリの口から発せられたのは、どう解釈しても、この先に好意的な言葉が続くはずもない一言で、ルーツの顔は険しくなった。

 そしてユリは、震えた声で続ける。

「……自分で言ってて、気づいてる? 救うだなんて、綺麗な言葉を並べつつ、アンタが目指す先にあるのは死体の山だって。村を守り抜くってことは、攻め込んできた兵士たちを皆殺しにするってこと。アンタは私にその手伝いをしろって――。この私に、また人を殺せって言ってんのよ!」

 残酷な提案をしていると言われれば、その通りだというしかない。

 まるでルーツに見せつけるように前髪をかきあげたユリの言葉に、ルーツはただただうなずくことしか出来なかったのだった。

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