第159話 戻るべき場所

 しかし、口を開きかけて、その直前。

 ルーツは、自身の考えに潜んでいる、ひとつの矛盾に気が付いた。

 ……苦しみ抜く。そんなことで責任が果たせるわけがない。なんせルーツは、ユリがこの先何をしようが、どんな善行を成し遂げようが、過去の過ちが消えて無くなるわけではないと、自分の口で、そう言ってしまったばかりなのだから。

 被害者の時間を永遠に止めてしまったことへの罪悪感から、自分も事件のことだけを、生涯に渡って考え続ける。それは一見、ひとつの罪滅ぼしの形であるようにも見えるのかもしれない。が、もう既に、自身の過ちに気づいているのなら、それ以上、自分を過去に縛り続けたところで、変えられるものは何もない。

 一年、十年、五十年。

 その苦しんだ月日の違いが、何かを生み出すことなどあるのだろうか?

 だいたい、被害者も、自分を殺した犯人なんかには、冥福を祈られたくはないだろうし、自分が苦しむことで誰かの気が晴れるなら――。仮にそんな考えで、ユリが過去に向き合い続けているというのなら、それはもはや自己満足と変わりないだろう。

―――――――――469―――――――――

 同じ過ちをもう二度と繰り返さないためにはどうしたらいいか。結局、どう足掻いても過去が変えられないのなら、人は未来に向かって行動することしか出来ないわけで。ユリがその思考の果てに死を選ぼうとしたのなら、今ルーツがするべきなのは、ユリが見つけられなかった未来を見つけること。どうすれば、ユリが再びユリ自身を信じられるようになるのか、考えること。

 この世に、償うことが出来る問題があるとするならば、きっとそれは行動によってしか達せられない。だから、『生きて償う』だなんて、そんなこと。

 そんな、方向性も具体性も曖昧な言葉を口に出すことは、いま取れる選択肢の中でも最悪の一手なのだろう。


「そこまでして、アンタは私を村に連れていきたいの?」

 ルーツの答えを待たず、ユリは言った。

「見せしめにするのでもなく、殺すわけでもない。だったら、アンタは私に何をさせるつもりなの?」

 利用価値なんて。そんなことは考えもせず、ルーツは、ユリに死んでほしくないという一心で物を言っていただけなのだが。

「ねえ、ユリ。兵士が村に攻めてくるってのは、本当の話なんだよね」

「ええ、そうよ。こんな重要なことで、嘘をつくわけないじゃない。私が兵士たちを殺しちゃったせいで、何の罪もない村の人たちがとんでもない迷惑を被るっていうのは、残念だけど、本当の話」

 確認するように言った言葉に、ユリは伏し目がちに反応を返してくる。その不安で戸惑った様子を見て、どうせ二人だけで逃げるわけにはいかないならと、ルーツはとある決心をして口を開いた。

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「……魔法を使うのに、どんな技術や知識が必要なのか、僕にはよく分かんないんだけど。ユリは強い――それも村にいる大人たちが使えるような魔法よりずっと強い魔法が使える。そうなんだよね?」

 聞く人がしびれを切らして、何が言いたいの、と思わず自分から尋ねたくなるような、そんな、まどろっこしい言い方で。

「だって、複数の兵士たちとまともに渡り合って、しかも勝っちゃうような実力の持ち主なら、子どもの頃に選考会で選ばれて、とっくに村を出ちゃってるはずじゃんか。いつだったかカルロスさんが話してくれた――確か、十三の時に魔獣を一人で倒したとかいうズネーラスさんのように」

 ペラペラと、遠回しに何かを匂わせるような発言を続けるルーツを、ユリは不審がるような目で見ていた。だが、ここにきて、その何かに気づいたのか。

「今でも村で暮らし続けてるってことは、そもそも選ばれなかったか。選ばれはしたものの、学院試験に合格することは出来なかったってこと。それから経験を重ねてるとはいえ、あの村にユリより強い人が残っているとは――」

「まさかアンタ……村に攻めてくる軍隊と戦おうとしてるんじゃないでしょうね?」

 ルーツが最後まで言い終わる前に、ユリは焦るように口を挟む。そして、自分の言葉に、ルーツが小さくうなずいたのを見て、みるみる顔を青ざめさせた。

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「馬鹿なんじゃないの? 相手が何人いると思ってんの! 一人、二人の話じゃないのよ。百人、いや、もしかすると千人以上……そんな大軍に、村の大人たちだけで敵うと思う? たとえ全員で立ち向かったとしても、まともにやり合ったら全滅は必至。どう足掻いても、どんな奇跡が起こっても、その結果は覆らない。生き残るためには、もう逃げるしか手は残されていないのよ」

 戦って勝てる可能性は、万に一つも存在しないとユリは言う。だが例え、四方八方に散って逃げたところで。その時は良くとも、二年、三年と生き残れる確率なんて、それこそ億に一つも存在しない。そうルーツは考えていた。

「さっきからユリは逃げるっていうけれど、この、どこに行っても人間だらけの国の中で、一体どこへ逃げるって言うのさ。……逃げたところで、その先に未来なんか待ってやしない。前に村長が言ってたけど、税をちょろまかしたり出来ないように、赤子から老人まで、村民の名前や数。役人たちは全ての情報を握ってるんだ。それに、半獣人だけで暮らしている村は他にもいくつかあると思うけど、助けを求めてそこまで行ったところで、きっと誰一人として受け入れてはもらえない。だって、匿ったら関係なかったはずの自分たちまで危険に晒されることになっちゃうんだよ? 可哀そうには思ってくれても、まともな人なら家族の安全を優先しようと考えるでしょ」

 昨年の刈り入れの時、村長が呟いていたことを思い返しながらルーツは言った。役人に追われているから匿って欲しい。そんな事情を話そうもんなら、いくら見知り合いだったとしても、その場で役人に居場所を告げ口されなかったら御の字で、保身に走らない人が一人も出ないとは思えない。後になって怖くなって、近くの役所に駆け込んだ。そうなればたちまち、逃亡者は捕まってしまうだろう。

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「だったら人がいない所に。森か山にでも逃げれば――」

「槍が刺さっても大丈夫。さっきそう言ったのが本当ならの話だけど、皆がみんなユリみたいに頑丈なわけじゃないんだ。体力のない僕とか、それより下の子どもたちにとって、その提案は、足手まといは死ねって言ってるようなもんだよ。それに、いつもだったら、複数人で相手してれば比較的危険が少ない小型の獣も、見通しの悪い場所で不意に出くわせば、死に直結する。新天地を求めて、しかも幼い子どもを連れながら歩いている時に襲われたらどうなるか、ユリだったら分かるでしょ? 一歩一歩気を付けて進めば、危険はある程度回避できるかもしれないけど、悠長なことは言ってられない。村がもぬけの殻だったら、兵士たちはきっと追ってくる。つまりは逃亡中、僕らは土地勘のない場所で、兵士と獣とそれから自然。三つの脅威に同時にさらされることになるんだよ。

 それに、追手に場所を悟られないようにするためには、獣が活発に動き出す時間帯になっても火を灯すことさえできなくなるし――。そうなれば、真っ暗闇の中で、四方八方から柔らかい肉を求めて襲い掛かってくる獣たちと一晩中やり合わなければならなくなる。足場の悪いところで。子どもたちを守りながら。どんなに腕の立つ人でも、その生活をずっと続けるのは無理な話でしょ。だから結局、逃げたところで、死に方が変わるだけなんだよ。迷ったあげく怪我をしてそのまま動けなくなるか、獣に食べられるか、追手に捕まるか……。森を抜けた先に理想郷が待っているならともかく、あてもなくさまようだけじゃ、僕らはたちまち全滅する。森の中では、人は圧倒的に弱者なんだから」

 そこまで言い切ると、ルーツは肩で息をする。

 道に迷った時は、絶対に先に進まず、ひとまずその場から引き返せ。以前、ルーツは村長に、そう教えられた。だけど、戻るべき場所がもう存在しないなら……迷った時、いったい人はどこに向かって進めばいいのだろう。

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