第158話 死人はなんにも言わないけれど

 難しい注文だった。何しろ、ルーツは未だかつて、前もって綿密な筋道を立てて物事に当たったことなど一度たりともなかったのだ。

 幸か不幸か今までは、それで何とかなってきた。だが今度ばかりは――その場の思い付きだけで、ユリを押し切れるとは思えない。

 たっぷりと、時間が残されているわけでもなかった。まともにものを考えられる、健康な状態でもなかった。だけど、今この場所で、ユリを説得しきれなければ。目の前の女の子はどこか遠くへ――、もう二度と、手の届かないところへ行ってしまう。

 自身の死を持って、この問題に終止符を打つ。おそらくは、そんなことを考えているであろう少女に、自分を殺させないために、僕は何が出来るだろう?

 場に再び沈黙が降りた十数秒の間に、ユリが自分を偽ってまで冷血な少女を演じ、ルーツに嫌われるよう仕向けていたことを思い返しながら、ルーツは考えた。

 そして、一つの答えにたどりつく。

 ユリだって、ユリのことを信じ切っていた僕の心を変えさせるために、自分自身を犠牲にしたのだ。……だったら、僕も。

 嫌われることを恐れ、まだ少し、ためらっていた自分の心にさよならを告げる。

 嫌われたっていい。人でなしだと思われたっていい。生きている限り、仲直りなら後でだって出来るんだから。……だから、ユリが生き続けてさえいてくれるなら、ひとまずはそれで十分だろう?

―――――――――464―――――――――

 こういう時、誰しもが感じ入ってしまうような案をポンポン出せる、ひらめきの天才なら良かったと心底思うのだが。

 結局、この限られた時間の中で、ルーツの頭に思い浮かんできたのは、筋の通った論理とはかけ離れた突飛な意見だけだった。それでも、自分なりに心を定めることが出来たからこそ、ルーツは自信を持って言い出せた。

 心が弱りきっている人には、絶対に言ってはいけないはずの。とても残酷な、そんな言葉を。


「……何その言い方?」

 想定外の言葉だった、ということは間違いないらしい。ユリは大きく目を開き、全身をわなわなと震わせていた。

「じゃあ……アンタは。アンタは私に、他にどうしろって言うの?」

「一緒に村に戻って、僕を助けて欲しい」

 震えるユリに、ルーツは大きく息を吐きながら答える。

 先の口調とは打って変わった、落ち着きさえも感じさせるルーツの言葉に、ユリは信じられないとでも言いたげに、自分の唇を噛みしめた。

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「殺人鬼が、まだのうのうと生きてるなんて、殺された側が許すわけないでしょ!」

 それは、まったく持ってその通り。死人はなんにも言わないけれど、理不尽に命を奪われた兵士の側からしてみれば、自分たちを殺した犯人が、何のおとがめも受けずに自由の身でいるなんて、これほど浮かばれない話もないだろう。

 ……それでも、

「殺された側って、死んだ兵士の事を言ってるの? だったら、今さら何したって駄目なんだよ。許すも何も、彼らはユリのせいで、もう考えることすら出来なくなっちゃったんだから。それか、何? ユリが死ねば、死体が息を吹き返したりするの?」

 自分自身をどこまでも追い込もうとする、その持ち前の責任感の強さを利用すること。それこそが、ユリを生かす唯一の道だと気づいたから。ルーツは嫌悪感を押し殺しながら、そんな言葉を口にする。

「馬鹿なこと言わないで! 兵士自身もそうだけど、私が言ってるのは、その家族とか、知り合いとか……。アンタも、大切な友人が殺されたら、草の根をかき分けてでも犯人を探し出して、殺してやりたいって思うでしょ!」

 自分が被害者の身内だったら――。ユリに改めて言われずとも、その考えはとっくにルーツの頭の中にあった。なにせ、ルーツがこれからしようとしているのは、とても自分勝手な、それでいて、もしかすると並の犯罪よりも許し難い、遺族の思いを勝手に代弁するという、この世で最もおぞましい行為の一つなのだから。

―――――――――466―――――――――

「あの路地裏の兵士たちの家族の身になってみてよ!」

 必死に訴えかけてくるユリの言葉を、ルーツは自身の考えをまとめながら聞いた。

「朝は元気に、行ってきますって言って出かけていったのに、多分、昼過ぎに家に同じ部署の役人がやってきて、扉を叩く。こんな時間におかしいなって思って、少し胸騒ぎを覚えつつ出迎えると、旦那さんが殺されたかもしれないって、居た堪れない顔で役人は言う。そのまま間に合わせの説明を受けるが、理解できない。何かの間違いだと思いながら、茫然としたまま付いて行くと、暗い路地で死体になってご対面。多分、家に帰ってきた子どもたちにはそのことを伝えられず……」

 そこまで言うと、ユリは言葉を続けられなくなってしまった。

 いったい、ユリはどんな光景を思い浮かべていたのだろう。家族を亡くした遺族たちは、いったい今、どんな心境でいるのだろう。ルーツはユリではない。そして遺族でもない。だから、どれだけ分かったつもりでいても、面と向かって心を打ち明けてもらえない限り、ルーツは分かった気にしかなることができない。

 それを知った上で。――ある日突然、光の見えない暗闇に叩き落とされた時の気持ちも、あの日から時が止まったまま動かない、そんな感覚も、この世で一番大切な物を失くした時の絶望感も、本当のところは本人しか知り得ない。――そんな大切なことを分かった上で。ユリを生かすため、こちらの都合のいいように、残された家族の思いを捻じ曲げようとしている自分に、吐き気をもよおしながらルーツは言った。

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「ユリが死んだところで――例え、その手でユリを殺したとしても、残された人たちの気は晴れるのかな?」

 分かってはいるのだ。ルーツだって、そして、ユリにだって。自分が死んだところで、兵士の家族の心がやすらがないことぐらい、わざわざ口に出さずとも、分かりすぎるほどわかっている。

「居なくなってしまった家族が、また自分たちのところまで元気な顔で生きたまま帰ってきてくれない限り、彼らの心は満たされることがない。そうじゃないの?」

 憎悪を向ける矛先の消失。前の暮らしに戻れるわけでもないのだから、ユリの死によって彼らが得るのは、せいぜい一時的な喪失感くらいのものだろう。

「もうユリの力じゃ、どうにもならない。たとえ、罵声を浴びせかけても、ユリを自らの手で引き裂いて殺しても、ユリが世にも恐ろしい魔法を掛けられて、死ぬに死ねずに、肉体的にも精神的にも苦しい責め苦を味わっている姿を見たとしても、彼らの気は晴れないよ。一時的にスッとすることはあるかもしれないけど、決して満たされることは無い。彼らは空しく恨み続けるんだ。自分の人生全てを使って――」

 それでも、ユリが本当に殺してしまった人のことを考えて、命を絶とうとしているなら止めるべきではないのかもしれない。だけど――

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「私のせいで、みんな不幸になってる。それは分かってるの。でも……助けてよ! 今にも押しつぶされそうなの! これ以上生きたところで、私はもう自分自身を肯定できない。アンタと話している時も、口をつくのは否定的な言葉ばっかりで……」

 ユリが、自分がしたことの責任を受け止めきれず、逃げるように死を選ぼうとしているのなら、ルーツは、生き続けて苦しみ抜くことも一つの責任の果たし方なのだと、ユリの責任感に訴えかけることが出来る。

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