第157話 なんて言葉を掛ければいい?

「もし、ユリが悪人を――。それこそ、自分の手で殺したくなっちゃうほど毛嫌いしてるんだとしたら」

 本当に、心の底からそんなことを考えているとは思えないのだが。実際に兵士たちを殺してしまったという事実と、先の悪人なんて死んだ方がいいという発言を、頭の中で結び付けながら、ルーツは口を開いた。

「僕と一緒に、ずっと村の中に引きこもっているのが一番だよ。だって村なら、滅多に犯罪なんて起きないし。それこそ、王都に留まったり、各地を放浪した方が、嫌な奴に出くわす確率も高いと思うから。……さっきの言い方からするに、ユリは、悪人はともかく、非のない人は殺せないんでしょ?」

「だったら良かったんだけどね」

 ユリは一瞬目を閉じて、微かに首を数度振ると、口を開く。

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「どこにいても関係ない。例えその人が、非の打ち所がない根っからの善人だったとしても、私の方で悪人だと判断しちゃったらもう駄目なの。たとえばアンタ、昼間の時に、私がリカルドを殺しかけたって怒鳴ってたけど――」

「あれは、悪かったよ。そん時は僕も……なんていうか、頭に血が上ってて。自分でも、何言ってるかよく分かってなかったからさ」

 物の弾みで言ってしまった言葉を思い返し、ルーツはバツが悪そうにぼそぼそ喋る。だがユリは、ルーツを責めるつもりで蒸し返したわけではないようだった。

「謝んなくてもいいわ。だって、本当のことだから。あの時、私はリカルドを殺そうとしていたの。しかも多分、悪人に見えたって理由だけで。……ひょっとして、アンタには最初から分かってたんじゃない? ユリが――私が魔法を使ったせいで、リカルドはぶっ倒れちゃったんじゃないかって。でも、そんなことはおくびにも出さず、口をつぐんだ。選考会が終わったあと、役人たちから私のこと、かばってくれたでしょう? 何も見てないって嘘ついて」

「そんなつもりじゃ……本当にあの時は、何も分からなかったんだ」

 選考会の時。意識が薄れていく中で目にした闇の影。ルーツは必死に否定するが、言われれば言われるほど、闇の中で笑っていた何者かの顔は、ユリの冷たい笑みに書き換えられ、顔が判別できないほどぼんやりとしていたはずのそのシルエットは、いつしか完全に、ユリの姿に変わっていた。

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「誤解しないように言っておくけど、もしアンタが、守ってもらったと恩を感じているのなら、それは全くのお門違い。別に私は、アンタを助けたくて、そんなことをしたってわけじゃないんだから」

 庇ってなんかいないというルーツに、どうだか、とでも言いたげに肩を竦めると、ユリは言う。

「私はただ、リカルドがルールを破ったのをいいことに、正義という名の暴力を振りかざしただけ。自分の見方が絶対的に正しいという考えの下、私は悪を断罪する正義なんだって、狂った使命感に酔いしれて。過剰な罰を加えようとした――つまり、命を奪おうとしたってわけなの」

「でも、結果的に殺さなかったじゃないか」

 ルーツの言葉に、ユリは口ごもった。

 もしあの時、リカルドの呪文が消失したのが、本当にユリの仕業だったとしたら――。なぜその時だけ魔法が使えたのか。そこらへんのからくりは未だによく分からないままだが、観客席から役人が駆けつけてくるまでの短い時間。その間に、ユリなら十分リカルドを殺せたはずだ。と、ルーツは思う。

 少しでも危害を加える気があったなら――少なくともリカルドの身体は、今日の昼間にユリがぶち抜いた、この床より頑丈には作られていないだろう。ということは、ユリはやっぱりリカルドの呪文を掻き消すため。つまり、危険に晒されたルーツの身を守るために、おぼろげな意識の中、立ち上がったということになるわけで。

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「ユリは無意識のうちに攻撃しちゃっただけなんだ。だって、あの時、ユリは何も覚えてないって顔してた。だから悪気が無かったのなら――」

「違う! 私はいつだって考えてるの。アンタがニーナちゃんを救うべく、兵士たちに立ち向かっていった時もそう。この人たちは悪いことをしたんだから、裁かれても仕方ない。兵士たちは法という確固たる正義に則って職務を全うしているだけなんだから、口を挟んじゃいけないんだって。私はあの時、そんなことを考えて、目の前でニーナちゃんのお父さんが拷問まがいの酷いことをされているのに一歩も動けなかった。それどころか、アンタが何故、悪人の味方をしようとするのか。理解できずに、アンタを止めようとしたの。それに、例え無意識だったとしても同じことよ。結果が全て。その時どう思ってたかなんて、記憶でも覗かない限り、本人にしか分からないんだから。分からない以上、口先だけで何とでも言いくるめられる」

 ルーツの言葉を断ち切るようにユリは言った。自分を責めるようなその言い方に、もしかすると、ユリが今一番恐れているのは、人を殺めてしまったという過去でも、捕まるんじゃないかという恐怖でも、自分の代わりに何の関係もない浮浪者たちが死んでいっているという事実でもないんじゃないか。ルーツはそう思い始める。

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「ねえ、ユリってさ。自分で自分のこと、分かってる?」

 何するか分かんない。そう言ったのは、脅しでもはったりでもなくて。

「次の瞬間、自分が何をしでかすか分からない。だからユリは、出来るだけ早く僕と別れて、それから一人で、誰にも迷惑が掛からないような人気のない場所に行こうとしてたんじゃないの?」

 私、という言葉に、異常なほどの執着を見せていたのも、自分を見失っていたからだと解釈すれば、ある程度説明がつく。


 ユリはしばらく黙っていた。この時ばかりは、ルーツも沈黙を尊重した。事実をうやむやにするための嘘を――今のユリが、失言を取り繕う言葉を探しているとは思えない。誰かと向き合うためには、そして自分自身と向き合うためにも。時間が必要なことを、ルーツはもう知っていた。

「……もう、分かんないよ」

 結局、たっぷり時間を使った割には、ユリはそんな簡素な言葉を口にする。けれどもそれは、思考を放棄した結果放たれた、諦めを意味する言葉ではなく。考えて、考えて、考え抜いた上で導き出された、今の心境を明確に言い表した一言だった。

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「アンタが正しいのかもしれない。いろいろ言ってるうちに分かんなくなってきちゃった。ねえ、何のために、私なんか連れて村に戻るつもりなの? 私刑にでもかけるの? こいつが僕らの村を滅ぼすことになった元凶だって、私を吊るし上げるだけで満足するの? 素直に殺せばいいのに。そして、私の首でも身体でも、役人のところまで持っていけばいい。この女が実行犯ですってそう言って。そうしたら、少しは時間が稼げるでしょう? あとは野となれ山となれ。兵士が来る前にそこらの森にでも散り散りになって逃げちゃえば――。エルトの人たちって、狩りとか森の中での暮らしとか、そういうの得意そうだから、なんだかんだで暮らしていけるんじゃない?」

 未来が想像できなくて、どうしても投げやりになってしまう目の前の女の子に、優しい言葉をかけてあげたい。そう思った。苦しい時に、さらに追い詰めるような言葉なんて言いたくない。そう思った。だけど――。取り返しのつくことならともかく、人を殺してしまった少女に、いったい僕は、なんて言葉を掛ければいい?

 その場しのぎの優しさや、ありきたりな慰めなんて、かえってユリをいたずらに傷つけるだけだろう。僕ならきっと何もかもが、空虚な言葉にしか聞こえない。

 それにユリだって、自分なりに色々決意して、今この場に立っているはずだ。だから固く、閉ざされてしまった心を動かすには、単なる慰めの言葉ではなく、ユリが想定もしていない、それでいて、筋の通った論理をぶつける必要がある。

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