第156話 善悪の境目
「馬っ鹿じゃないの?」
どこまでも自分の主張を通したがるルーツに、ユリは言った。
「何度も何度も、ここで別れるって言ったでしょ! ……だいたい、平気な顔で人を殺せる気狂いを。私みたいな化け物を傍に置いておこうとするなんて、アンタ――やっぱりどっか可笑しいのよ」
「いいじゃん、別に。可笑しい者は可笑しい者同士、仲良くすれば。どうせ、村に居た時も歯抜け者だったんだし」
肩をすくめるようにそう返すと、ユリはルーツの両肩を掴み、言い聞かせるように言ってくる。
「自棄にならないで! 私が兵士たちを殺すとこ――、あのおぞましい場面を見ていないから、アンタはそんな甘っちょろいことが言えるのよ。今からでも遅くない。外に出て、その目で路地の様子を確かめてきたら? 肉片はもう散らばってないだろうけど、血痕なら残ってる。それを見れば、自分がどんなに馬鹿な真似をしようとしてるのか、思い知ると思うけど」
だがルーツは、一瞬たりとも窓の外に目を向けることはなく、ユリを見つめたまま首を二、三度横に振った。
「いいよ、面倒くさいから。それより話して。あの時、路地裏で、どうやって兵士たちを殺したのか。遠慮なんてしなくていいから細部まで。本当に罪悪感を感じていないのなら、そんな思い出、まるで手柄のように語れるはずだよね。昼間のように、力強い語り口で」
ルーツが言うと、ユリは、喉に酸っぱいものでもこみ上げてきたのか。まるで胸やけを起こしたように、胸の上あたりを何度も擦る。
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「したいなら勝手に想像すればいいじゃない」
やっとのことで聞こえた声は、震えていた。
「じゃあ、記憶の中の殺しでもいいから」
「嫌だって言ってるでしょ!」
せがむように言うと、肩にぐっと力が加わる。加減の感じられない力の入り具合に、少し顔を歪めながらも、ルーツは平静を装って言った。
「思い返したくないんだ。嫌な記憶だから。心の中では罪悪感に苛まれてるから」
「……読めたわよ。どうしてもその方向に持っていきたいのね。でもご生憎様。私は、自分の快楽のためだけに、殺さなくてもいい人まで殺してるの、特に記憶の中ではね。だから、口でなんと言ったとしても、反省なんてしていない。
確かに、さっき私は、少しばかり冷酷なふりをしたけど、それはアンタに、事情を手っ取り早く理解させて、この場所から遠ざけるために――いいえ、王都の軍隊が、村に攻めてくるっていう情報を、アンタが早く村まで持ち帰ってくれるよう、仕向けるためにしただけのこと。騙してたって言っても、それは必ずしも私が冷酷じゃないってことを意味するわけじゃないから、勘違いしないで」
少し苦しいような気がするのだが。ルーツの言葉に、ユリも感情を抑えながらこう返す。話している途中で、手に力が入っていることに気が付いたのか。ルーツが痛みで声をあげるより前に、肩の力は緩んでいった。
が、その頑なな態度は、一向に緩むことがない。
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「それは本心じゃないって?」
ユリは反論を許すことなく、間髪入れずに続けた。
「別に疑う分には構わないけれど、私が口にしていることは本心よ。さっきから言っている通り、私は好奇心の塊なの。自分の知識欲を満たしたいっていう自分本位な理由だけで、大切な人を危険に晒して、たくさん殺した化け物なの」
「でも、自分のやってることが正しいと思って疑わないような人が、自分のこと、化け物なんて言ったりするかな? ユリも薄々、自分が可笑しなこと言ってるって分かってるんじゃないの?」
自分自身を説き伏せんばかりの勢いで言うユリに、ルーツは疑問を投げかける。が、何かが逆鱗に触れてしまったのか、返ってきたのは強い語調。
「勝手に決めつけないで。気づかないの? アンタに近寄られたくないから、わざと自分のこと貶めてるって。……鬱陶しいのよ! いつまでもベタベタと、何処に行っても引っ付いてきて。アンタと居るのはもううんざり。四の五の言わずに、とっとと村に帰ってくれない?」
「じゃあ、どうして――どうして僕に、殺して、なんて言ってきたの? 本当に好奇心だけで殺したっていうなら、変じゃんか!」
ルーツが必死に問いたてると、ユリは肩からすっと手を離し、目を落とした。それから、ほんの一瞬、左の親指の先端を噛むようにすると、数秒口ごもり、口を開く。
「あれは……。あれは、一時の気の迷いよ」
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どう考えても、言い逃れにしか思えない。曖昧な言葉に、どう反応していいか分からなくなってしまったルーツに、畳みかけるようにユリは言った。
「それに、剃刀なんかじゃ私は死なない。私は、アンタの出方を試してただけなの。いつものように、アンタが動揺するのを見て、面白がってただけなのよ!」
「言ってることがめちゃくちゃだ!」
本気で言っているのか。それともルーツを混乱させるために、あえて、訳のわからない言葉を口走っているのか。それは分からない。ともかく、ユリの声量に負けないように、ルーツも喚いた。が、ユリの言葉は止まることがない。
「アンタに分かってほしいとは思ってない。でも、私の行動は、全部好奇心から来ているの! その証拠に、初めてアンタに会った時、私、色々と聞いたでしょ? 知らなくてもいいことまで。異常なくらい、根掘り葉掘り」
「そりゃあ、ユリは記憶を無くしてたんだから。言うほど変かな?」
もし自分が記憶を無くしたら。不安に駆られて、今までのことを色んな人に聞いて回るか。それとも殻に閉じこもってしまうか。おそらくは、そのどちらだろう。そう考えながら、ルーツは言った。
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「知らないことを人に聞くのは、ごく普通の行動じゃないの?」
「違う。私が言いたいのは、世の中には情報を得るためなら手段を択ばない異常者がいるってこと。そして私が、まさにそうなの。きっとあの時、アンタが押し黙って教えてくれなかったら。……私、アンタを痛めつけてでも言わせてた」
そう言うと、ユリはルーツに触れられるのを懼れているかのように少し離れる。自分で触れておきながら、他人には触れられたくない。そんなところからも、言動からも、何かにつけて今夜のユリには矛盾が多い。そう思いながらルーツは首を振った。
「……そんな馬鹿な。行動が全部好奇心から来てるだなんて、きっとユリの思い過ごしだよ。だってさ、ユリは、記憶の部屋に入っておかしくなった僕を付きっきりで看病してくれてたじゃん。それも、興味が湧いたからなの? 僕は七日七晩、ほとんど同じことしか喋んなかったのに」
「私は昔から、何一つ変わってなかったの。ただ、自分に力があることを忘れていたから、強硬手段を取らなかっただけ」
一つの事を全てに当てはめすぎだとルーツは警告するが、ユリはまったく耳を傾けることがない。都合の悪い言葉をすっ飛ばして、自信の危うさをアピールするように、ユリは言った。
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「……つまり、自分の強さを知っちゃった今となっては、もう近づかない方がいいってこと。今だって私、いつアンタに何するか分かんないんだから」
「じゃあ、尚更。ほっとけないから一緒に来てよ」
「何でそうなるわけ? 厄介払いしようって思わないの? いいわよ、私の言うことに整合性がないって思うなら、私の言うことを信じていないなら、そのなまくらで私を刺して見なさいよ。きっと死なないから」
「だから、殺さないって言ってるだろ!」
逃げようとしたユリの手を、掴むとユリは振り向いて、カッとなったように自分の胸を右手で叩く。
「殺せなんて、誰も言ってない。喉に深く突き刺してみろって命令してんの!」
張り上げるように言ったはずなのに。それより、遥かに上擦った――聞く人の肝を潰すほど大きな声が返ってきて、ルーツは思わず一瞬ひるんだ。
「ねえ、知ってる? 私の身体、アンタが思っているよりずっと頑丈なんだよ。だから槍でいっぺん刺されたぐらいじゃ全然平気なの。もちろん普通に痛いし、血も出るけれど、多分死なない。つまり、アンタは路地裏で身を張ってくれたけど、それも全部無駄だったってわけ。私は、生命力がアンタたち人間よりずっと強いから」
わんわんと、ユリの大声が、耳の中で反響している。だが、聞こえの悪い中でもしっかりと、その言葉はルーツの耳まで届いていた。
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「変な言い方しないでよ、まるで自分は違うみたいに」
それが何かは分からないが、重大な事実がもうすぐ明かされる。そんな予感を感じながら、ルーツは確かめるようにユリに言う。
「まさか今になって、自分は人間じゃないだなんて――もしかして、半獣人だったとでも言うつもり?」
「その通り。私、人間じゃなかったのよ。魔獣――いいえ、悪魔だったの」
想像通り。いや、そんなわけがない。いつだってユリの告白は、ルーツの予想を二段も三段も超えてきて、ルーツの心を引っ掻き回していく。だけど、
「……また、どう驚いた? って言いたいなら失敗だよ。少しも驚いてない。今更、たかが種族が違っただけで驚くもんか。ユリが神様だったとしても、別に僕は気にしない。今まで通り、接するだけさ」
今回は何とか、ありきたりな言葉くらいは喋れるようだった。
「――の、割りには手震えてるけど。つまり、私が言いたいのは、避けようと思えば簡単に槍くらい避けれたけど、アンタがどうするのか気になって、丸まったまま待ってたってこと。もちろんそれも、ひとえに好奇心から出た行動なの」
どうやらユリにはバレているようだが、動揺が知られたところで別にいい。
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「言っとくけど、僕はユリにあれこれ言われたから飛び出したんじゃない。守りたかったからユリを守ったんだ。ユリが頭の中で何を考えてようが関係ない。僕はきっと――いいや、間違いなく、何度あの場面に戻ったとしても、同じことをしたから」
まとまらない頭でそんなことを言うと、ユリは鼻で笑ったのか、それとも鼻息が震えて出ただけなのか。少し黙ったあと、口を開いた。
「その無謀な勇気は、将来のために取っておいた方がいいわよ。もっとアンタのことを、親身になって考えてくれる人のために。アンタと私じゃ、根本的に考え方が違うから。仮に今は良くても、分かり合えなくなる時がいずれやってくる。例えこれから先、何かに怯えることなく、普通に暮らせる日々が戻って来たとしてもね。
悪人なんて死んだ方がいい。私は、多かれ少なかれ、みんな心の何処かでそう思ってるもんだと思ってた。だって、私自身がそうだったんだから。アンタを殺そうとした兵士を躊躇なく殺せたのも、多分私が、兵士たちを悪人だと認識していたからのこと。……でも、アンタは違う。どんな凶悪犯にも、事情があるって考えてる。私を殺す際、ためらったのがその証拠。普通に考えたら、悪いことをした人は、有無を言わさず絶対悪なのに、お節介にもその背景を、わざわざ時間をかけて探ろうとしてくる。おそらく――善悪の境目。アンタ、こう言われてピンとくる? 来ないのなら、無意識のうちに色々判断してるんでしょうね。
さっき、アンタ、環境で人は変わるって言ったけど、それは裏を返せば、誰しも悪人になり得るってこと。世の中のほとんどの人は――いや、それは言いすぎかもしれないけれど。少なくとも今日の午後、広場に処刑を見に来てた人たちは、そんなこと思ってもみないんじゃないかしら。きっと彼らは、犯罪者のことを、自分とはまったく違う別の生き物だと考えているから」
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最後の言葉に、ユリが自分を遠ざけようとする理由が隠れているんじゃないか。なぜだかそんな気がして止まない。ルーツは少し、ユリの心の内が分かったような気がした。
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