第155話 人は変わらずにはいられない

「分かんないんだよね」

 口を開こうとしたルーツを、押しとどめるようにユリは言った。

「何でアンタの前でだけこんな喋り方になっちゃうのか、自分でも分かんないの。昔の私は、自分で言うのも何だけど、もうちょっとおしとやかな感じだったのに」

 そう言うと、一瞬うつむく。それは、今夜ユリが初めて明かした、ルーツの知らない過去だった。

「ねえ、覚えてる? 私がアンタと初めて会った時のこと。客間のベッドに私は腰かけてて、そこにアンタが恐る恐る入ってきた。で、手探りで会話が始まった。だったわよね?」

 ルーツが頷くと、ユリは思い出すように言う。

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「確か――あの時、私、変な喋り方をしていなかった?『あなたも私のお世話をする人なの?』こんな具合に」

 それは、言葉から色が抜け落ちたような喋り方だった。ルーツの思考は、ユリと出会ったその時に引き戻された。はっとした顔をするルーツに、ユリは続ける。

「アンタはこの喋り方のこと、人当たりが良く見えるように作られた、見せかけの口調だと思ってたかもしれないけど――。アンタが部屋に入ってくるまで、私はずっとこの喋り方で通してたのよ。なんたって、森で拾われて、ベッドの上で目覚めた時の私は、記憶と同時に喋り方まですっかり忘れちゃってたんだから。

 この、ちょっとぶっきらぼうな喋り方は、アンタと話しているうちに出てきたの。何の脈絡もなく。唐突に。知らず知らずのうちに。必然に。でもなぜか、その時はしっくりきたから、私は、てっきりこの話し方が本来のものなんだと疑っていなかった。記憶が蘇ったもんだと思って疑っていなかったの。

 だけど、過去を知った今、はっきりわかった。このぶっきらぼうな喋り方こそ、私の手によって作られたものだったんだって。記憶を忘れた私は、日常生活に支障を来さないよう、辛うじて記憶の隅に残ってた――ううん。過去にどこかで見聞きしてきた他人の行動を無意識に真似てるにすぎなかったの。口調とか、ふるまいとか、それこそ全部。それでもアンタは、こんな私を『本当の私』だなんていうつもり? 他人を真似た、見せかけだけの空っぽの器を、本当のユリだなんていうつもりなの?」

 そう言うと、自嘲気味にユリは笑った。単純に目を合わせたくなかったのか、それともこれ以上言い返してこないだろうと思ったのか、言い終わると横を向く。だがルーツには、さきほどからユリに伝えたくてたまらない一つの考え方があった。

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「何、当たり前のこと言ってるのさ」

 強い言葉で場の雰囲気を断ち切ると、ルーツはユリの驚いた顔を見ながら続けた。

「他人の生き方を真似ずに生活することなんて、そもそも不可能なんだよ。小さい子を見てれば分かる。大人のやること、そっくりそのまま真似してるんだって。多分、僕にもそんな時があった。今は、全部に反抗したいお年頃だけど……環境によって人はいかようにも育つっていう良い例だ。とどのつまり、誰しも何かしらの影響を受けながら生きている。それが親か、友だちか、それとも遠い記憶の中だったかの違いだけさ」

「そんなありきたりな事を言ってるんじゃないの!」

 いつになくもっともらしいことを言うルーツに、ユリは叫んだ。が、ルーツの冷静な態度は変わらない。

「周りの人や環境によって、考えることが変わるのは当たり前。だから、勝手に人々が勘違いしてるだけで、『本当の私』なんてものは最初から存在しないんだよ。過去のユリも、今のユリも、全部同じユリ。僕は、自信を持ってそう言える」

 今まで頭の中をどんよりと包んでいた重たい空気が消えていく。まるで霧が晴れていくように冴えわたっていく思考に、ルーツは爽快感すら感じていた。

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「私は、私よ。他の人がどう振舞おうが関係ないし、変わらない!」

 今や、ユリの言葉一つ一つにいちいち考えを左右されることはない。

「僕らが毎日考えてることを思い返してみればわかるよ。誰かとの会話、出くわした色んな出来事。他人がいないと成立しないことばっかりだ。自分以外の人や物があるからこそ、僕らは僕らでいられる。そう考えると、『私』って他の人の意識がいっぱい交じり合って出来てる物だって思えてこない?」

「思えない!」

 いつもとは立場がまったく逆転している。冷静さを欠くユリとは異なり、いまのルーツには、温和に言葉を包んで返す余裕があった。

「それって、アンタが居るから今の私があって、私がいるから、アンタはアンタで居られるってことじゃない」

 一つ崩れれば、全部まとめて倒れる。そんな不安定な関係性なんて認めないとユリは言う。だけど、やっぱり。

「そう、人は変わらずにはいられない生き物なんだよ」

 自分なんてのは、今この瞬間にも少しずつ変わっていってる不確かなものなんだと思う。

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「違う! 私がアンタに影響されるわけがない。生まれついた性格はそう簡単に変わるもんじゃない。記憶を無くした程度ではリセットされない。全部、妄想よ。生きてるものはみんな繋がってる、だなんて仲良しこよしに綺麗ごと言っちゃって――気持ち悪い。アンタと一緒にしないで!」

 誰ともくくられたくない。一人で居たいとユリは言うが、その節々からは孤独への恐怖と、自分への不安が伝わってきた。

「何でそんなに頑なに拒むの?」

「アンタのことが、嫌いだからよ」

 怒りでも、悲しみでも、自分を突っぱねるユリへの戸惑いでもなく、ユリの心を理解したい。そんな気持ちで言葉を発すれば、突き放すような答えが返ってくる。

「もしかしてアンタ、何かおめでたい勘違い起こしてない? 言っとくけど、私はアンタに、微塵も好意なんて抱いてないから」

 が、それでもめげずに見つめ続けると、

「今さら……もう思い出しちゃったから、何しても無駄なのよ。私が、記憶の中でどんなことしてたか、アンタに分かる?」

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 ついにユリは、へなへなと今にも崩れ落ちてしまいそうな口調を表に出した。

 そこでルーツは、少し考えて、可能性を口にする。

「誰かを殺してた、違う?」

「正解。それ勘? それとも、何か確証があって言ってるの?」

「恐ろしいことに、全部勘だよ」

 そう言いつつも、合っていたことにルーツはあまり驚きを感じていなかった。

「正直なのね。それ聞いてちょっと安心した。あんまりにも、アンタが言ってることが当たるもんだから、もしかして意識を失ったふりして、ずっと聞き耳立ててたんじゃないかと思って。……だったら馬鹿みたいじゃない。必死になって、アンタを騙そうと徹夜であれこれ呟いてたのも聞かれてたって事でしょ?」

 ひょっとするとユリの言う通り、ルーツは無意識のうちに全部聞いていたのかもしれない。ユリの話を聞いていると、そんな気分になってくる。

「あっさり騙そうとしてたって認めるんだね。僕も正直、意外だよ。ずっとこのまま隠し通されるのかと思ってた」

 そう言うと、ユリが一瞬微笑んだ気がした。だが、暗闇の中の話。きっと見間違えだったのだろう。

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「気づかれちゃったんだから、しょうがないでしょ」

 不本意そうにユリは言った。

「変に誤解されるぐらいならそっちの方がいいと思っただけ。おかしいなあ、当初の予定では、こんな展開にならないはずだったんだけど。……で、どうするの? こんな私を殺さずに野放しにしておいて。また人が殺されるまで待ってるの?」

「ユリはどうするつもりだったんだ」

 沈黙が長引けば――考え込めば考え込むほど重い空気が広がるのは間違いない。そんな展開を避けたかったルーツは、一方的に質問攻めにされないよう、尋ね返す。それに、ルーツを村に帰らせて、それから一人になったあと、ユリが何をするつもりだったのか知りたかった。

「また、誰かを殺すつもりだったって言ったらどうする?」

「さあ? でも、今のユリは、また誰かを傷つけるくらいなら死んでやるって目をしてる」

「私がどんな表情してようが関係ないでしょ!」

 はぐらかすような口調をそっくりそのままお返しするように言うと、おそらく目のことに言及したのがいけなかったのか。「顔のこと、話に出すの金輪際禁止!」と、ユリは強い口調で言ってきた。

 つい一瞬前に人に色々聞いておきながら、なんで私がアンタの質問に律儀に答えなきゃいけないの? とでも言いたげに顔を背けるユリに、それならこちらだって身勝手に、自分の思うように振舞ってやろうとルーツは考える。

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「じゃあ、僕も答えるから、答えてよ。それで平等だ」

 何が平等なのか、自分でも分からぬままルーツは言った。

「ユリを兵士たちに突き出すのは止めた。理由は何となく後味が悪いから。村まで一緒に帰ることにする。さあ、話したぞ。ユリも話して!」

「ちょっと待って! 何でそう、極端なわけ? 大体、意味わかんないし。私は、村のことなんてどうでもいいって言ってるでしょ!」

 明らかに制止するタイミングを逸したようで、ユリの声は戸惑いに満ちている。

「僕がどうでもよくないんだ。無理やり連れていく」

「嫌って言ったら? 私は全力で拒否させてもらうわよ。面倒だし」

「無理やり連れていく」

「答えになってないわよ!」

「手段はある」

 とルーツは言った。もちろん全部はったりなので、あると言っておきながら詳細は言わなかった。その代わり、まるで駄々っ子のように、

「あるけど言わない。ユリがこのあと、何をしようと思っていたか。打ち明けてくれないと言わない」

 こんなことを口にする。

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