第152話 汚い不意打ち

 自分が考えている通りに、事が進むとは限らない。むしろ、計画通りに行く方が珍しい。そんなことは、既に承知の上だった。だがルーツは、極力上手く行った場合のみを考えるようにした。最悪のパターンなんて、意識せずとも、吐いて捨てるほど思い浮かんでくるのだ。危険ばかりを恐れていては、一歩も前に進めなくなる。

 それに、此処で行動を起こさなければ。兵士達は必ず、エルト村に進軍してくるのだから。だったら、少しでも可能性がある分、行動した方がいいというものだ。

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 そして、二つ目は――。

 ルーツはユリの顔を凝視しようとしたが、ユリは頭まで、すっぽりふわふわに覆われており、顔は見えなかった。

「どうやって、広場まで連れていくか、だ」

 ルーツは苦々し気に言った。

 当人がその場に行かない限り、村の中に犯人を隠しているという疑惑は無くならない。だが、丁重にお願いしたところで、ユリは出向いてくれないだろう。

 当たり前だ。犯人だと分かれば、死は免れないのだから。昼間の、情け容赦のない処刑を見ていれば分かる。死ぬと分かっていて、計画に快く乗ってくれる者などいない。しかし、今ここで、ルーツがユリを連れて行かなければ、村人全員の身に危険が降りかかるのだ。そして、浮浪者たちにも。ユリは、不幸ばかり巻き散らす。

「考えろ」

 ルーツは眉間に皺を寄せた。騙すのは論外だった。自分が心理戦に適していないことぐらい、試してみなくても分かっている。それは、ユリの得意分野だ。本音を隠して、上手く立ち振る舞う。わざわざ、敵の十八番を使って相手してやることはないだろう。だが――。力でも、とても敵わない。ユリは魔法が使えるし、力だって僕より強い。反抗したら、命が幾つあっても足りやしない。

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 思考が堂々巡りを始めて、ルーツは頭を掻いた。せめて一つぐらい、勝てる手段があってもよさそうなものなのに。この世の中は、なんて不平等なのだろう。

 ――が、その時。自分の思考の内に、何か引っかかるものを感じた気がして、ルーツは怪訝な顔つきになる。

 力でも敵わない。

 どうして、そんなところで迷うのか。

 考えるまでもなく、それは明らかなことだろう?

 首を傾げるルーツに、その存在を主張するかのように、右手がまた重くなった。

『剃刀』

 脅してみる? と、少し控えめにルーツは思う。

 だがすぐに、自分自身で否定した。

 こんなに小さな、軽い刃物を突き付けたところで、何かが変わるとは思えない。剃刀どころか、蛮刀を振りかざしたところで、ユリは平気で笑っているだろう。

 なにせユリは、武装した兵士たちを相手どり、ひとりで大立ち回りを演じているのだ。これでは今さら、魔法も使えない少年と対峙したところで、脅威を感じるはずもない。からかわれ、馬鹿にされ。笑われるのが関の山。

 じゃあ――、殺す?

 不意に不穏な言葉が――、いや、今までも頭の片隅に置いてはいたのだが、現実味を帯びてきた気がした。最悪、自白してくれなくても構わない。怪我をした兵士に、ユリの顔を見せれば話は済むのだ。そしてそれは、生死問わず可能なこと。だがそもそも、ルーツにユリは殺せない。気持ちの問題ではなく、実力の違いで。理解できぬ魔法を使う化け物に、魔法も使えぬ欠陥品は敵わない。

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 本当に……? 

 本当に、そうなのだろうか。

 さらに、手の内の銀色が重みを増した。既にその凶器は、縄も切れないほど貧弱そうには見えなかった。ルーツの腕に自信をくれる。

 思い出してみろ。ルーツは自分にそう言い聞かせた。

 選考会の時、どうやってリカルドを追いつめたか。魔法の大会なのに、規則の穴をついて、至近距離から反撃した。身を守るためにしか使えないと定められていた自衛専用の木剣を、目前に迫った魔法を防御するため。という名分で振り回した。リカルドが予期しなかった行動。あの時、ハバスの助けが無かったら、僕は勝っていた。

 正面からぶつかれば、弱者が強者に勝つことは難しい。でも、手段を問わなければ、必ずしも不可能じゃない。そう、汚い不意打ちなら――。

 ゴクリと唾が、喉を下る音がした。眠っている時。それは、一日の内でもっとも無防備な時間。気配だけで起きてしまう、一部の神経質な人たちを除けば、近づいても普通は目覚めない。顔を覗きこんでも、周囲を抜き足差し足で歩き回っても、例え喉元に剃刀を突き付けても――、触れない限りやり放題。

 ルーツは自分の親指に、剃刀の刃をそっと当てた。チクリと鋭い痛みがして、瞬く間に、朝露のような小さな赤い水滴が、傷口に現れる。深い眠りの中にいるのか、綿のような毛布にくるまっているユリからは、微かな寝息も聞こえてこなかった。ただ、だらしなく投げ出された左右どちらかの腕だけが、存在を伝えてくる。

 ルーツは少しずつユリに近づいて行った。右脇までくると、身をかがめ、正座する。その間、剃刀の持ち手を、跡が残りそうなほど強く握り続けていた。

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 思い出してみろ。ルーツは再び、自分に言い聞かせた。

 路地で学院の生徒たちと会った時。先生として場に現れた、ラードルから逃れられたのは、ルーツの不意打ちがあったからだった。

 たとえ相手が魔法を使えたとしても、どんなに実力に差があったとしても。最初の一撃だけに限っていえば、こちらが有利だ。だけど、それ以降は完全に僕が不利。

 あの時は、運よく逃げられたからよかった。だが今度は、この狭い部屋の中。絶対に逃げられない。攻撃を外さずとも、初撃で無力化させなければ反撃される。そうなれば、今度こそ僕は殺される。殺さなければ、殺される!

 まばたきの回数が少なくなり、目が充血してきた。だが息は、全く乱れていなかった。ルーツはすっかり落ち着いている。心臓の音も波立たず、機をうかがっていた。剃刀でも、急所で水平にひくことさえ出来れば、致命傷を負わせることは可能だろう。だが、反撃もされない箇所となると……。これはもう、喉しかない。殺すことだけを考えるのなら、もっと狙いやすい部位でも構わないのかもしれないが、妥協した結果、僅かな時間で道づれにされては敵わない。此方が死んでしまっては意味がないのだ。ユリが犯人だということを伝える者が居なくなってしまう。

 ルーツは、首を水平に切ることを思い浮かべ、同じ動作を、病気のように何度も繰り返し始めた。一度で殺せる自信がつくまで。何度も、何度も。枕元で、虚空に向かって線を引く。

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 そんな強迫観念じみた不合理な思考はしばらくすると消え失せて、ルーツは、実物の首には個人差がある。という極当たり前のことに、後になって気が付いた。自殺するわけでもないのに、自分の首を思い浮かべたところで、ユリを上手く殺せるとは限らない。練習したところで、精度はあまり上がらないだろう。

 だが、頭の中でユリを何度か殺したことは、ルーツの躊躇を無くさせたらしい。静かに息を吐いた時には、もう自信はついていた。毛布をまくったら、その瞬間切り付ける。首が目に入ったら、それが合図だ。仮にユリが気が付いたとしても、何が起こっているのか分からぬ間に殺してやる――。

 ぐずぐずすることはなく、ルーツは左手で、毛布の端を摘まんだ。剃刀を握った方の手は、胸元近くで構えられ、あまり力がこもっていない。勢いよく毛布を剥ぎ取ると、気持ちよく寝ているところに、流れるようにたちまち切り付けて――

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