第151話 守るべき最低条件

 すると、ユリが一際大きな寝息を立てる。瞬間、呆けていたルーツは、びくりと身体を震え上がらせた。そして何故だか、自分でも分からないままに、反射的に勢いよく立ち上がる。右手で何かを握っていることに気がついたのは、そのすぐ後だった。

 触っていると落ち着くような、なんだか自分が少し強くなったような――。そんな心地よさが、右手には集まっている。

 自然と手元に視線が移り、目についたのは、銀色で四角く、尖った鋭い刃。どういうわけか、先ほど紙袋の中に戻しておいたはずの剃刀が、そこにはあった。そしてルーツは、その柄を握りしめて――。ユリの方へと向けている。

 敵意を感じたわけではない。恐怖心が急に、膨れ上がってきたわけでもない。それは、無意識の行動だった。危険を察知した獣が、長年の習性でそうするように。ルーツの身体は、自己防衛を行っていたのだ。

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 もちろんこれは、ルーツにとって初めての経験だった。森の奥で、魔獣に出会った時でさえ、こうはならなかった。一瞬戸惑って、当然だろうという気分になる。騙され、裏切られ、人を殺したと平気な顔で告白され……。心の内はともかくとして、ルーツの身体はとっくの昔に、ユリを信頼のできる友人とみなすのを止めていたのだ。むしろ、いつ襲ってくるか分からない、危険生物として認識している。まさに、殺らなれば殺される。ユリが昼間、言っていた通りだ。

 そう考えたら、身体の奥でくすぶっていた怒りの熱が、ふっと消えた。頭が冴えわたり、いつになく自分が落ち着いている気がする。

 食欲も失せ、枷も外れた今が、感情に流さない唯一の時だ。ユリの発言一つ一つに振り回されていた昼間と違って、今なら理性的に振舞えるだろう。

 ルーツは、眠りに入っているユリを警戒したまま、知恵を絞り始めた。どうすれば、この殺人鬼から身を守れるだろう。村の人々を守れるだろうか。

 いつもなら、迷った挙句に引っ込めてしまう判断が、大きな目的のために何かを犠牲にする冷酷な判断が、今ならすぱりと下せる気がした。

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 ユリは、村に帰ってほしいと言った。それは何故か。

 王都の軍勢が攻めてくるから。

 何故、攻めてくるのか。

 それは、一連の殺人が、半獣人による反乱の兆しだと判断されたから。

 何故、そんな馬鹿げた判断が下されたのか。

 それは、真犯人が捕まっていないから。捕まっていない以上、何とでも言える。

 それならどうすればいい?

 真犯人を突き出せばいい。ユリが犯人だと訴え出ればいい。

 それ以外の方法は無い。

 ルーツは順を追って行くことで、自らの昼間の発言に帰着した。証拠と、それから当事者の証言。この二つが組み合わされば、信憑性も増すだろう。

 殺傷事件に巻き込まれて生き残った兵士は、確か三人いたはずだ。そのうち、誰かひとりとでも話をすることが出来れば――。

 重傷というのが、いったいどれくらいの傷なのか。ルーツにはよく分かっていないのだが、この際、片方の眼だけでも無事でいてくれれば。ユリを見れば、犯人かどうか、その目で確かめることが出来る。

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 しかし――。この論理には、二つの重大な欠陥がある。

 ルーツは、自分の計画のつたなさに、既に気が付いていた。一つ目は、ユリが言っていたこと。そしてルーツも、身をもって経験してきたこと。

 王都の人々は、みな、例外なく、半獣人たちのことを嫌っている。隙あらば、おとしめてやろう、国から追い出してやろうと言いたげに、目を光らせている。そこに来て起こったのが、この事件なのだ。

 仮にもし、本当に、大きな力が半獣人たちを罠にはめ、一連の殺人にかこつけて、滅ぼそうとしているのなら。今さら真犯人が出てきたところで、意味はない。都合の悪い事実は、握りつぶされるだけだろう。

 そうなってしまえば、犯人が明らかになったところで、半獣人たちが国家の転覆を狙っていたという疑いは晴れることがない。

 むしろ、実行犯がその口で、出身がエルト村だと自白した。この部分だけが切り取られ、伝えられてしまう可能性も大いにある。

 身よりの無い少女を、血も涙もない、冷酷な殺人者に仕立て上げた半獣人達……。

 ああ、ユリの影響なのか、ルーツにも、未来の見出しが見えたような気がした。

 だが、こちらの欠陥は、この一言で解消できる。

「でも、疑惑は潰せる。出て行けば、彼らは好き放題言えなくなる」

 ユリを、同じエルト村出身のルーツが突き出したという事実に、世間はどう反応するだろう。実行犯を切り捨てたと思うだろうか。それとも、かばうのをやめたと思うだろうか。

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 交渉もせず、いきなり村まで攻め入ってくる名分を考えた時。一番に思い浮かんでくるのは、村ぐるみで犯人を隠そうとしているから。というものだ。例えこの国が法ではなく、感情によって治められていたとしても、さすがに何の証拠も無いのに、反乱を計画していたという言いがかりだけで踏み込んでくるとは考えにくい。

 犯人が見つからない。こんなに探しても見つからないということは、村が匿っているに違いない。匿うということは、村ごとグルに違いない。そういえば、あの村には半獣人が住んでいる。そうだ、半獣人が悪い。引き渡さないのなら、実力行使だ。

 こんなふうに、噂とはだんだんと、尾ひれが付いて広まっていくものなのだ。だから逆に、その根本から絶ってしまえば。自ら全てをさらけ出してしまえば。馬鹿げた連想ゲームはそこで終わる。

 犯人が見つかったということは、村は何も秘匿していないと言うこと。すぐに攻め入る理由は、とりあえず無くなる。最悪、嫌疑が晴れずとも、時間は稼げる。数人だけではなく、全員が逃げられるだけの十分な時間が。

 ユリの言ったことにホイホイと従って、知らせに帰るのは得策じゃない。第一、金も地位も無いルーツが、どうやって屈強な軍人より早く、エルト村まで帰り着くというのだ。今から出ても、辿り着くのは、全てが終わった後に違いない。

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 村人たちを危険に晒さないこと。ルーツは、守るべき最低条件をそう定めていた。直前にまで迫っている危険を、とりあえず回避する。今はまだ、それだけでいい。

 正直、一部の大人たちはどうなっても構わないが、優しくしてくれたカルロスさんや、ハバスたち。それに、あんまり好きじゃないけどリカルドや双子。誰かが怪我をしただけでも、ルーツは悲しいし、そんな姿は見たくない。ましてや、死ぬかもしれないなんて――。想像しただけで身震いする。森の中で魔物に会って、倒れているハバスたちを見つけた時。その時の絶望と恐怖が蘇ってくる。何を捨てても、これだけは捨てることが出来ない。捨ててはいけない。

 少し、感情が入り混じってきた気がして、ルーツは首を振った。熱くなってはいけない。冷静にならなければ。此処で判断を誤れば、ルーツは、そして村の人たちは、未来全てを落っことすことになるのだから。

 村を失おうが構わない。村人たちが無事でいればそれでいい。ルーツは改めて、自分にそう言い聞かせた。最低でも時間が稼げて、最高なら嫌疑がすっかり晴れる。

 大丈夫、欠陥は無い。

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