第147話 卑怯者!

 何か来る!

 そう思うと同時に、ルーツの身体は本人の意思を無視して勝手に動いた。上からのしかかられているという圧倒的に不利な体勢だというのに、先ほどまで、力をどこに入れてもびくともしなかったユリの身体を、ルーツの手は簡単に押しのけていた。

 そしてそのまま起き上がり、前かがみの態勢になると、まるで大型の獣に相対した猟師のように、一定の距離を保ったまま、ユリの周囲を円を描くように動き回る。

 目はユリをじっと睨みつけたまま、瞬き一つしない。一瞬で勝負が決することをルーツは本能で感じ取っていた。一方ユリは、余裕しゃくしゃくで、何の構えも見せないどころか、腕なんか組んでいる。

「何、アンタ、やれば出来るじゃない」

 二人はしばらく、互いの揺れる瞳を見つめていたが、やがてユリは少し綻んだ顔でそう言った。その場違いなセリフにルーツの頭には血が上る。

 ルーツは赤布に興奮する闘牛のように、首を傾げて見せたユリに突進した。が、あと少しで触れられる。その一歩手前まで近づいたところで、不意につんのめったかのように倒れ込むと、手を伸ばし、結果としてユリの膝下辺りを掴む。

 とは言っても、特に意表をついてやろうなどと考えていたわけではない。駆け引きが出来るほど冷静だったなら、そもそも実力差のある相手に無策で向かっていく愚行を敢行することもなかったろう。ただ、身体が自然と、攻撃を予知したかのように正面から逃げ、下を向いたのだ。

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 つまりルーツは頭ではなく、本能に引っ張られたことになるのだが、拙い策を労するよりも、かえってそれはよかったらしく、次の瞬間、頭の上を紫色の閃光が通過していった。一瞬遅れて吹いてきた生暖かい風が、少し伸び始めた髪の毛に当たる。

 当たったら、死んじゃうじゃんか!

 ユリに殺すと言っておきながら、ルーツはそんなことを思い、冷や汗をかいた。だが、もう後には引き下がれない。脛を掴むと、ルーツはユリの軸を揺さぶり、どうにかしてひっくり返そうとした。うつ伏せになったところに後ろから乗りかかれば、非力なルーツでも五分に戦える。しかし、ルーツのそれよりずっと細いはずのユリの足は、地中に根が張り巡らされているかのように、てんで動かず、ルーツは大木でも引き抜いているような気分になった。

 そんなこんなでもたもたしていると、ガツンと一発。脳天に鈍器で殴りつけられたかのような強い衝撃がやってくる。ルーツは焦りと疲れで、朦朧とし始めた意識の中、何を思ったか、徐に足を振りかぶって、ユリを蹴りつけようとしたが、そんな大きな予備動作で当たるはずもなく、躱されるだけに終わった。そのまま転んで、喧嘩や戦闘の最中にあるまじき、仰向けのポーズになる。背中を床に打ち付け、四肢を投げ出し、相手に腹を見せる。その無様なさまは、まるで敵意が無いことを飼い主にアピールする子犬のようだったが、ユリは許してくれず、ルーツの服の上衿を掴むと、そのまま荒々しく引きずっていった。

―――――――――399―――――――――

「化け物! 誰か来て! 殺される!」

 自分から襲い掛かった癖に、ルーツは勝手なことを口走る。が、ユリがどこからか目の粗い縄を取り出して、横向きに倒れたままの背もたれ椅子と少年の身体を固定しようとしていることに気がつくと、今度は恨みったらしく顔を歪めて喚き散らした。

「殺さないのか! 僕は一人でも言いに行くぞ。お前が犯人だって!」

「……犬死にしたいってんなら、もう止めはしないけど。アンタが言ったって、なんにもなんないでしょ? それより、ちょっとそこまで出かけてくるから留守を頼むわね。安心しなさい、夜までには帰ってくるから。その時に、まだ殺したいって思っているようなら、また相手になったげる」

 そんなやり取りをしている合間にも、一体どこで覚えてきたのか。ユリは実に器用な手さばきで、ルーツの胴と両手両足をみるみるうちに拘束していく。

 しかしこれは確かに、紐をより合わせて作られた縄であるはずなのに、伝わってくるのは、金属製の丈夫な手かせと足かせをはめられてしまったような冷たい感触。

 後ろ手に組んだ手首をきつく締められ、背中との間に、無理やり背もたれを押し込むように通されると、瞬く間に、ルーツが動かせる箇所は口と目だけに変わってしまった。――が、身体の自由を完全に奪われて、震えおののくルーツに対し、ユリは縛り上げてしまうと、急に興味を失ったような顔になって、何も言わずに古ぼけた小さな扉に近づくと、ルーツを一人残して出て行ってしまいそうになる。

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 それを何とかして引き留めようと、何が卑怯なのか分からぬままルーツは叫んだ。

「卑怯者! どうして殺す必要があった! 答えろ!」

 どちらが卑怯な手を使っているのか見比べれば、それは正面切って戦おうとせず、ユリをひっくり返して一方的に主導権を握ろうとしたルーツ自身なのだが、ルーツは自分のことは棚に上げて、荒い口調でがなり立てる。

「分かった! あの兵士たちが何か気に障ることでも言ったんだろ! 機嫌を悪くされたから、お前は殺した。そうだ――。選考会の時、僕があの光の中で見た闇はやっぱりお前だったんだ。リカルドたちと戦った時も、リカルドが意にそぐわないことをしたから、お前はそれだけで殺そうとした。誰かが見てなかったら、殺してた! 人殺し! お前なんか、死んじまえ!」

 しかし、ユリはまるで何も聞こえていないかのように扉の方に近づいていく。そして、そのまま無言で、ユリが扉に手をかけたのを見て、ルーツはさらに声を張った。

「うるさいって思うなら、同じようにすればいいだろ! 兵士たちを殺した時のように。魔法をバンバカ撃ち込んで。どうして使わない? 一発、たった一発、撃ち込めば僕はすぐ死ぬのに、こんな面倒くさい真似までして――。いいか、戻ってくるのは良いけどな、そうしたら僕は、お前を殺すぞ! 絶対に、絶対にだ! ……返事しろって! 人が真剣に話してるんだから。こっちを向けって言ってるんだよ!」

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 売り言葉に買い言葉で、本当にユリが戻ってきてしまったら、ルーツは情けなく命乞いをしたのかもしれない。けれども結局、ユリはルーツの低俗なあおりには応じることが無かった。

 ユリは、ため息ひとつ零さない。言いたいことは全て言い切ったと確信しているのか、まったくためらうことなく部屋の中から立ち去って――。扉は、きしんだ音をたてながら、ゆっくりとユリの姿を隠していく。

「戻ってこいぃ!」

 段々と影が落ち始めた部屋の中には、ルーツの悲痛な叫びだけが、響いていた。

  

  

  

  

  

  

  

  

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