第145話 生きるために殺す

 そう思っていると、

「不幸ばっかりじゃなくて、アンタは逆に、私が兵士を殺したことで、喜んでいる人がいるかもしれないとは考えないの?」

 と、ユリは、だんだんと怒る気力も失せてきていたルーツをふたたび焚き付けた。

 それでもルーツが弱々しい声で、なんとか反論しようとすると、ユリは額に置いていた手を、口を覆うように移動させて塞ぎ、ありきたりな感想は聞き飽きたから、と、素っ気無い態度をあらわにする。

 そして、耳を疑うような酷い言葉を、平然とした態度で口に出した。

「意外と私、人を殺したことで、不幸にしたより多くの人を幸福にしてるのよ」

 今度ばかりは、ちょっと考えただけで、分かるはずもない。分かりたくもない。

 一瞬ルーツは、もしやユリは、広場にいる群衆たちのことを言っているのではと思ったが、その可能性は一番にユリによって否定された。

「群衆たちが何を思って集まっているのかまでは知らないけれど、あれは幸福な状態とは呼べないんじゃないかしら。……だって、いくら滑稽な物を見て笑い転げたところで、それは気晴らし程度にしかならないでしょう? 私に言わせれば、幸福っていうのは、長く続く楽しい状態のことを指す言葉なの。だから、私はあの人たちを幸福にはしていない。日頃の鬱憤を晴らす手助けに、ほんの少し関わってしまっただけ」

 そう言うと、ユリはまた、いつの間にか手にしていた白黒の紙をルーツに向かって突き付けた。

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「そんなことより、この刷り物。ちゃんと全部見てくれた? ここよここ。ここを見て、って言ってるの。事件が起こった通りが大きく載っているでしょう?」

 その言葉に、嫌々ながらも目線を送ると、そこには確かに先ほどと同じ、事件が起こった路地裏が載っている。だが、

「綺麗になっているでしょう。……どこもこうなのよ?」

 だからなんだ、とルーツは口が開いていたら言ってやりたかった。

 確かに、そこに載っている通りはごみ一つなく掃除されていた。だが、それは――それも、既に言ったことだ。自分で掃除したわけでもあるまいし、誰かを喜ばせることと、この通りの清潔さは関係ない。

 そう考えていると、ユリは、違う違うと手を振ってくる。

「その、ゴミじゃないわよ。もっとも、そう呼んでいる人たちも居るかもしれないけれど……アンタはそんな、汚い罵倒の仕方はしないでしょう? 私は、アンタがこのまえ路地で出会った、あの親子みたいな貧しい人たちが、ひとり残らずいなくなってるでしょって言ってんの」

 そう言われて、今一度紙面に目を通すと、確かにそこに人間は誰も映り込んでいなかった。だが、紙面に映っている家々の外観は、どれも今にも崩れ落ちてきそうなほど危ういものになっているし、そもそもあの親子がこの通りにいたのは、税を払わずに王都で商売をするためだったのだ。

 崩れてきた家々に潰されて、死にたいと考えているような自殺志願者ならいざ知らず、事件が起こって、多くの兵士がこの辺りをうろついている今となっては、新しくここに住み着こうと考える間抜けがいるとは思えない。だから――、それこそ人が映っていた方が不自然だと、ルーツはユリの真意を図りかねた。しかし、

「この通りだけじゃない。全ての裏通りから。彼らは掃除されたのよ」

 その直後、人間を埃みたいに言いなしたユリに、ルーツはひどい悪寒を覚える。

―――――――――385 ―――――――――

「兵士たちが王都の隅々まで捜索したって考えてるなら違うわよ。別に、違法な商売をしてたから、彼らは捕まったんじゃないの。だいいち、それで全員ひっとらえることが出来るなら、最初からそうしてるでしょう?」

 そう言うと、ユリは一枚の藁半紙をひらひらさせた。

「【一連の王都における殺人事件において、現場を目撃ないし疑わしい人物を知る者はただちに申し出る事。秘匿する事は、刑罰の対象となる】これ、何日か前に、王都中にばらまかれてたの。それからね。広場まで連れてこられて、法の名のもとに殺される者たちが出始めたのは」

 そんなふうに書いてある文句を読み上げつつ、ユリは続ける。

「生きるために、作物が採れなくなった故郷を捨てたのはいいけれど、行く当てもなく、仕事にもありつけず、なんとか路地裏に辿り着いたものの、日々の食べ物を稼ぐくらいが精いっぱい。だから身寄りも無ければ、家も無い。簡単だったみたいよ。そんな後ろ盾がない人間を犯人に仕立て上げるのは。世間も乞食は色眼鏡で見てくれるから。従って、二、三人が協力して証言すればすぐ、新たな容疑者の出来上がり」

 そこまで言うと、ユリは少し間を取って、ルーツが目を見開いたのを確認してから、話を続けた。

―――――――――386 ―――――――――

「これは私の予想だけど、あちこちから流入してくる浮浪者たちは国にとって厄介者だったんじゃないかしら。武力で追い出そうとすれば、貧困にあえぐ辺境の人々が反乱を起こすかもしれないし、かといって留めておけば、ただで商いをやらせておくのかと、国の大事な財源を担う商人たちから反感を買う。でも、殺人者として処刑するだけなら、批判は噴出しないでしょう? 商人たちは自分にとって有利な不正には目をつぶってくれるし、辺境の人々には真偽のほどが分からないんだから。

 だからこれで、私の殺しのおかげで、王都の浮浪者問題は争いひとつ起こることもないままに解決に近づいた。街の景観も随分と綺麗になった。強制排除に打って出れば、両者の間におびただしい量の血が流れたかもしれないのに、今回はそれも無し。喜ぶ人はたくさん出たでしょう――って何? なんだかアンタ、ご不満そうな顔をしてるわね。言いたいことがあるのなら、気にしないから言っていいわよ」

 そう言うと、ユリはルーツの口を覆っていた手を退けた。息苦しさが無くなった瞬間、腹の内から怒りが湧き出てくる。だが、ルーツは何とか怒りを押しとどめた。感情に任せてしまったら、本当に知りたいことが聞けなくなる。それは、ルーツにとって損でしかない。

「浮浪者たちが王都に何人居るのかは知らないけど、その数は僕が思ってるより、ユリが思ってるよりもずっと多いと思う。対して、大きな問題が解決して喜ぶのは、偉い人だけだ。だったら、どう考えても、不幸になる人の方が多いんじゃないの?」

 ルーツは心を荒立てぬよう努めて言った。が、

―――――――――387 ―――――――――

「もっと、考えてから話してほしいわね。浮浪者たちも幸福だと思うわよ」

 ユリの淡泊な返事に、理性は一瞬で吹っ飛んで、我慢はたちまち決壊してしまいそうになってしまう。

「何の証拠があって、そんなこと――」

「だって、容疑者を仕立てあげたのも、浮浪者たち自身なんだもん」

「そんなわけ――」

 冷静になるんだ。

「さっき、私。協力して証言したって言ったけど――。そんなこと、いったい誰がすると思う? 市民たちじゃないわよね。隙を作るのは彼らが一番嫌うことだもん。嘘をついているとバレてしまう可能性もあるのに、遊び半分で他人にわざわざ付け込まれるような真似をするわけがない。同じ考えで、兵士たちも違うって分かるわね。だって、発覚したら責任問題になってしまうもの。そこまで大きなリスクを抱えるぐらいなら、いっそのこと強制的に排除してしまった方がいいに決まってる。だからやったのは、何も持っていない、そして失う物が何も無い浮浪者たち本人」

「仲間を罠にはめて、どうするっていうんだ」

 落ち着いて。尋ねたいことだけを尋ねるんだ。ルーツは自分に言い聞かせた。

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 怒りで荒い息をつくルーツをよそ目に、ユリは平然と言葉を紡ぐ。

「そもそも、そこが間違いなのよ。いい? 彼らに仲間なんていないの。同じ境遇の者はみな一人一人敵同士。アンタも、住居を持たない浮浪者たちが、どれだけ苦心して日銭を稼いでいるかを考えれば、彼らに気の許せる相手なんていないことぐらい、すぐに分かってくると思うけど――。わざわざ人気も明かりも無い、治安の悪そうな暗い路地裏にやってきて、品質が悪ければ、出どころも怪しい物を買ってくれる物好きは、道に迷った観光客か、良いと悪いの区別もつかぬ人たちだけ。ただでさえ少ない顧客を守るためには、同業者は邪魔になる。だから、たとえ罠にはめることになったとしても、いなくなってくれた方がずっといいってわけなのよ」

「だからと言って――、中には協力して商売してる人たちもいるはずだよ。兵士が来ないように見張る役とか、甘い言葉で誘い込む役とか。安全に商売していくためには一人じゃ困ることも多いだろうし」

「羊が群れを作るのは、獰猛な狼から身を守るため。一匹では太刀打ちできないことが分かっているから、彼らは集団で行動し、少しでも危険を減らそうとするの。だけど、それは逆に考えると、寄り添わなくても平気なくらい強ければ、彼らは団体行動なんてしないってこと。目の前に強くなれる権利を――、狼に食べられないという日々の安全を約束された権利をぶら下げられたなら、弱い者なら誰だって飛びつくでしょう? その結果、たとえ誰かが蹴落とされることになるとしても」

 ルーツは願望を口にしたが、ユリは即座に否定していった。

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「相互に協力して利益を得ようとする関係は、大金に弱い。貧乏人たちが時間を掛けて培われた信頼関係は、貨幣の前にあまりにも脆く、崩れ去ってしまう。さっき言った文章には続きがあるの。【情報提供者には謝礼を弾む】」

「それで、たかだか何日間分の褒美のために、彼らは同じ、生活に苦しむ人たちを売ったって言うのか!」

「私もそうなんだけど……毎日、食べる物の心配をすることもなく、のうのうと生きてこれたアンタには分かんないんでしょうね。先が見えない生活の恐ろしさなんて。

 明日は、何も売れないかもしれない。そうしたら、何も食べる物がない。行きつく先は、餓死か病死。朝から晩まで懸命に働いて、それなのよ。子どもがいるなら尚更のこと、簡単にお金が手に入る手段は魅力的に思えてこない? 結果的にそれは、誰かを死に追いやってしまう禁忌だったわけなんだけど……彼らはそれだけ追い詰められてたってこと。彼らは今日を生きるために、誰かを殺すの。日銭のために、これっぽっちのお金のために、人間を捨てるのよ」

 そう言うと、分かっていないのはアンタの方でしょうと、ユリは鋭い目でルーツを睨んだ。

「生きるために殺すのは当然のこと。これは、形は違えど、誰しもがやっていることなのよ。……今回彼らがしたことは、ちょっと見栄えが良くなかっただけで。

 ともかく、彼らは生きるために互いを告発し合ったの。謝礼金の額はどこにも書いてなかったけど……思わず繰り返したくなるくらいには貰えたんじゃないかしら。ここ数日、表の通りで、何度か奇妙な人たちとすれ違ったから。

 高級な物を身に着けているのに、身体から酸っぱいような臭いが漂ってくるの。考えるに、水を浴びる習慣が無かったんでしょうね。今までずっと裏路地の不衛生な所で暮らしてたから。もしくは、飲み水にすら困っている状況だったのかもしれない。それが、急にお金を手にした途端、貯金をすることもなく、贅沢三昧。だから、さっき兵士が言っていたことは強ち間違っていないのかもね。悪いことをして手に入れたお金は、すぐに離れて行ってしまう」

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 そしてユリは、少し自問自答しているかのような調子で言った。

「私の身代わりになった人は不幸だったかもしれないけど、可哀そうだったとは思わないわ。だって、あの人たち。私のおかげで至福の瞬間も味わっていたはずなのよ。

 一連の騒ぎで告発されたのは、たいてい浮浪者の中でも元から悪目立ちしていたか、恨みを持たれていた奴ら。多分いま、死刑台にあげられているのは、元は知名度が低かった後者の方。私が思うに、彼らは以前、泡銭を得ようと、自分と同じ弱い立場の誰かをはめたのね。そして、その家族、もしくはその知り合いに恨みを持たれた。で、その何日か後に、全く同じやり方で、同じように証言されて、ひっとらえられたってわけ。だから――何を言っても助からないことが分かっているから、やけに神妙な顔した人が多いのよ。

 ともかく、この連鎖がずっと続くの。誰も居なくなるまで。もしくは彼らが懼れをなして、王都から逃げ出すまで。いずれにしても、王都の市民は全員喜ぶでしょうね。不良少年だか、少女だかに悩まされてたみたいだから。裏路地の住人にしてみても、お金は証言をした者みんなに同じように配られてるみたいだから、疑惑を掛けられた人より、告発して金を得てホクホク顔でいる人の方が多いことは確かな話。一人を犠牲にして、多数が幸福になる。よくあることじゃない! まあ、私は殺しを肯定したいわけじゃないし、そんなことを言いたかったってわけでもないんだけど。アンタが疑いもしないままに、殺しは悪い物だと決めてかかっているなら、そういう見方もありって程度に、私の言ったことを覚えておいて」

 ユリの話に出てきた人々の心が、そっくりそのままルーツに乗り移ってしまったのかもしれない。ルーツの心は、暗く淀み切っていた。

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