第144話 私の身代わり

 もし、ユリが犯人なら――、ルーツは自分が否定することの意味を知った。

 自分がどんなに恐ろしいことをしているのか。犯人をかばうということがいったい何を意味しているのか。こうやって、不毛なやり取りを繰り返している間にも、演説台……いや、処刑台の上にさらされている人たちの命は理不尽に消されかかっているというのに……。そう思うと、心臓が激しく鼓動を打ち始める。

―――――――――378―――――――――

「じゃあ、ユリは――もし、本当に犯人だったらの話だけど――無実の人が殺され続けているのを知ってて、黙ってるっていうの?」

「そうよ。いま出て行ったら、私。殺されちゃうもん」

「でも、ユリが出て行けば、あの人たちは助かるんだろ!」

 声は怒りで震え、鼓動は肋骨をぶち抜こうとでもしているかのように、ますます大きくなった。

「さあ、どうでしょうね。もう手遅れなんじゃない? でも、もしかしたら――」

「じゃあ、今すぐ出て行くんだ。この部屋を出て。今すぐに! もうこれ以上、誰かが死ぬ前に!」

 そんなふうに、ルーツが部屋の入り口を真っ直ぐ指差し、非難すると、ユリはとぼけたような顔になって尋ねかけてくる。

「どうしたの? そんなに必死になっちゃって。さっきまで、知らない人がどうなろうが構わないって顔してたじゃない。あれは、アンタと関係のない人たちなんでしょう? それにアンタの考えじゃ、私は犯人じゃないんじゃなかったの? どうしていきなり認める気になったのかしら。その心の変わりよう、単純に興味が湧いたから教えてくれない?」

「君は本気で――」

 あくまでも、まだ疑惑の段階だと言いつつも、ルーツの口調は段々と、ユリが犯人だと断定しているような荒いものへと変わっていった。認める認めないの下りは無視して、ルーツは思いを声高に叫ぶ。

―――――――――379―――――――――

「君が犯人なら――僕だって完全に関係者だ! 君の言うことがほんとなら、僕らのせいであの人たちは死ぬんだ」

「僕らじゃなくて、私のせいよ。勝手に自分の手柄にしないで」

「手柄だって⁉」

 怒りのあまり声が裏返ったルーツに、ユリはコクリと頷いてみせる。

「そうよ。死は日常的にある光景だって、さっき私、そう言ったと思うけど、何人もの人を一度に殺すのって、アンタが考えてるよりもずっと面倒なんだから。当たり前だけど、ご丁寧に一人ずつ挑みかかって来てくれるわけじゃないから、死角になっている箇所から攻撃はされるし、呼吸を整えるひまもないし、誰かを殺している間に他の奴は逃げちゃうし……」

「やめろ! そんな言い方するなよ! じゃないと、疑っちゃうだろ!」

 自分の髪の毛を、両手で思い切りつかむようにしながらルーツは言ったが、ユリは止まらなかった。

「アンタが憤ったところで、もう今さら何も変わらないわよ。ほら、もう一人。私の身代わりに殺された」

「ユリ!」

 そう言うと、ルーツはユリに飛び掛かった。飛び掛かってからどうするか。その後のことは何も考えていなかった。ただ一発、どこでもいいから殴りつけてやりたい。そんな敵意を、ルーツは初めて、リカルド以外に覚えていた。

―――――――――380―――――――――

 だが、ルーツが殴りかかる相手はいつだって自分よりずっと強かった。

 ユリの身体に触れることも出来ないでいるうちに、眼前に手がやってきて、ルーツは頭から床に叩き伏せられる。

 目がせり出る感覚。頭が揺れる。ユリに馬乗りになられ、動けなくなる。ユリは自分と同じくらいの背丈で、同じくらいの体格をしているはずなのに――選考会の日には寝ているユリを背負って、重さも大体わかっているはずなのに、ルーツは、額に手をのせられただけで全く抵抗出来なくなっていた。

「うるさい。今は、私が話してるの。口挟まないで、そこでじっとしてて」

 ユリの声は同じ血が通っている人間だとは思いたくないほど冷たくて、聞いているだけで、ルーツの喉はカラカラに渇いた。額には汗が浮かび、歯の根も合わない。

 人一人くらい簡単に殺していそうな目だ――。

 ルーツは心の奥に生じたユリへの悪印象を、なんとか今度も押さえつけようとしたが、恐怖が勝った。ユリは別に刃物を持っているわけでもなく、今から殺すとルーツに明言しているわけでもないのに――、次の瞬間に殺されてもおかしくない。吸い込まれるようなユリの瞳に見つめられていると、そう思えてくる。

「いい子ね」

 まるで年下みたいな扱いをされて、いつもだったら悔しいのに、寒気がした。

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「私が出て行けば、全て解決すると思っているんでしょう? そんなわけないのに。事はアンタが思っている以上に大きくなって、もう取り返しのつかない所まで来ているのよ。だからこそ、私はアンタに噛み砕いて状況を説明してきたの」

 冷笑が、耳の近くで響いている。

「私は兵士を殺した。八人。残念ながら三人は逃がしちゃったみたい。傷は負わせたけど。一見、私が不幸にしたのは、十一人だけに見える。そうでしょう?」

 ルーツは何とか否定しようとした。ユリは間違っている。不幸になったのは、兵士。そしていま、疑いを掛けられている――。

「急がないで。いま言うから」

 ユリは慌てず言った。

「兵士一人一人の知り合い全て。代わりに疑われている人も含めるともっとたくさんの人たちを私は不幸にしてしまっている。アンタはそう言いたいんでしょう? でも、それはそもそも、さっき私がアンタに説明したことじゃない! 真犯人こそが元凶なのだと、アンタに納得させるために。わざわざ、そんなことを二回言うために、ここまで話を引っ張るなんて真似、無駄を嫌う私がすると思う?」

 先回りされて、ルーツの口から出かけた言葉は引っ込んでしまう。

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「そう。不幸になったのは、とりあえずそのくらい。あの兵士たちが見た目以上に繋がりを持っている街の人気者だったとしても、彼らが死んで悲しむのは多くて百人くらい。市民全員っていうわけじゃない。

 もし、生前の兵士と直接的には何の関係も無かった市民が、彼らの訃報を耳にした際、若くして亡くなったその境遇を憐れんで、可哀そうだと顔をくしゃくしゃにして泣き崩れている姿や、加害者を許せないと憤っている姿を、アンタがどこかで目にしたとしても、間違えないでほしいのは、その人たち自身はちっとも不幸になんかなってないってこと。みんな、一時的に遺族や被害者本人の気持ちに共感して気分が沈んでしまっているだけ。喪失感を覚えているわけでもないから、その悲しみは長くは続かないし、ふとある時に死んだ兵士のことを思い出して自然と涙が零れ出てくることも無い。一晩寝たり、美味しいごはんを食べたり、友だちと喋ったり、他ごとをしていればすぐに忘れちゃうくらいの悲しみを、不幸とは呼べないわ。本当に不幸だと感じているなら、簡単に頭を切り替えれるはずがないもの」

 悔しいけれど、そんなものかもしれないとルーツは思った。仮に今、僕がここで殺されたとして、一体どのくらいの人が悲しんでくれるだろう。

 一日後なら、まだしも。ひと月、いや一年後なら――。僕が生きていたということを覚えてくれている人はいるのだろうか? 

 百人というユリの予想は、一見少なく思えるが、案外多すぎるくらいなのかもしれない。毎日のように顔を合わせているなら兎も角、何かの祭りの時くらいしか出会わない人が死んだところで、皆、日々の忙しさの中で少しずつ忘れていくのだから。

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