第142話 覚えているでしょう?
「そのリュックに、見覚えはないかしら?」
その言葉に気を取られて、キャッチに失敗して拾って開くと、そこには、妙にリアルな色合いをした赤と緑のこじんまりとした小さなリュックが載っていた。
しかもそのデザインは、村を出てから、つい先日まで、常に背中の重しとして存在し続けていたルーツたちのリュックによく似ていて。
他には活字ばかりしかない、白黒の味気ない紙面を覗き込んだルーツは、いったいこれは何なのだろうと、首を傾げて困惑する。するとユリは軽く微笑んで、
―――――――――369―――――――――
「触れてみて。そして、自分の物かどうか、確かめてみて」
と、言ってきたのだが、紙に描かれたものを触ったところで、自分の持ち物かどうかかなんて分かるはずがないだろう。そう思いながらも手を伸ばすと、
不意に手のひらに重さを感じ、気が付けばルーツの右手の中心には、小さな緑色のリュックがひとつ、ちょこんと行儀よく収まっている。
そこでもしや、これは紙面から飛び出てきたものなのだろうかと疑いながらも、まさかと思い、目を向けると、紙面の中には赤い方――ユリが背負っていたものに似ている方のリュックしか既に残っていなかった。
「見て欲しいのは、そこの裏。アンタの頭文字が刺繍してあるでしょう?」
そう言われて、手にしたリュックの底面を見ると、そこには確かにルーツのイニシャルが、黒色の目立たない縫い糸でしっかりと縫い付けられている。
それもとても下手くそな、村長らしき人の字で――、どうやらこれは紛れも無く、ルーツのリュックであるようだ。
だがこれは、現実のリュックと比べると随分と小さな代物だった。
これでは無理やり詰め込んだとしても、せいぜい二、三枚の貨幣ぐらいしか持ち運ぶことが出来ないだろう。
……いや、そんなことはどうでもいいことなのだ。問題なのは、どうしてルーツのリュックと瓜二つの存在が、この紙の中に入っていたのかという話であって――。
「ねえ。そういえば僕らのリュックって、今どこに置いてあるの?」
そこまで考えたところで、ルーツはようやく、この家の中で、自分たちが背負ってきたリュックをまだ目にしていないことに気がついた。
一階の部屋は適当に見て回ったけれども、どこかにリュックが置いてあった記憶は無い。だとすれば、この部屋の中にあってもおかしくはないはずなのだが――。
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「リュックならアンタがその手に持ってるじゃない」
ユリの言葉に、ルーツは戸惑いを隠すことも出来ず、自分の手の平を二度見する。
「だって、これはとても小さくて――」
「当たり前でしょう? この紙面は王都中に配られているんだから。大きさまで再現していたら、採算が取れなくなっちゃうもの。……それ、今回の事件の証拠品を再現した物なのよ? 作った店を特定するために、王都中にばらまいて、犯人への足掛かりにするんですって。でも、このリュックに関して言えば、おそらく村長さんが自作した物だからあんまり意味はないと思うけど。まあ、ちょっとばかり小さくなりはしたみたいだけど、戻ってきた分、運がよかったわね」
そう言われて、目を見開くルーツを他所に、ユリは淡々と話を続けた。
「うっかりしていたから。私、忘れてきちゃったんだよね。アンタのリュックも、私のリュックも、いわゆる殺害現場というところに。隣に現場の映像も載っているんだけど、記憶にない? ……その暗い路地。アンタが親子と出会った路地なのよ。もうすっかり片付けられちゃってるみたいだけど、ちょうどそのあたりにごみがたくさん捨ててあったことくらいは、覚えているでしょう?」
そう言うと、ユリは紙面を指で差す。
「それ、週刊商工の一面記事なの。まあ、何日か前のなんだけど。出来れば暇がある時にでも、適当に目を通しといて」
文字が目に飛び込んできた。断片的に。単語単語が。
【本日――王都北区ノーント街三番地を中心に大規模な爆発――現場は騒然とし――居合わせた王都警備隊の兵士十一人が死傷――家屋の崩落に巻き込まれた三十代の女性が手足に軽いけが。犯人は逃走――王国国営のオールト通信は今日――まだ情報が錯綜しており――多くの目撃情報――安全神話、破れる――空を飛ぶ、謎の影――魔獣とおぼしき――住居には魔法がめり込んだ跡――威信をかけて追跡する】
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そして、目が勝手に追っていった先には、
【現場に残された状況証拠品】
という文字がでかでかと、強調するように太い字で載っている。その下には、先のリュック。そして、既視感のある暗い通り。崩れた家々。
「嘘だ。からかってるんだろう。冗談なんだろう?」
「嘘だと思うのなら、その下を見てみるといいわ。鞄の中に入っていた物品が、ひとつひとつちゃんと丁寧に載っているから。……まったく、趣味が悪いわよね。いくら落し物とはいえ、人の持ち物を勝手に覗き見るだなんて」
明るい声をつくろうようにしたルーツに、ユリはすげなくそう言った。思わずルーツの目は文字を追い、首はさらに下を向く。
【上下服、および下着数着。小型の木彫りナイフに、糸巻に針。あて布数枚に、油が入った小瓶。髪留め、くし……】そこには、日用雑貨がざっと並んでいた。
「最初の方は、私の持ち物しか載っていないかもしれないけど」
ユリが口を挟む。と同時に、目に入ってきた文字に、ルーツの時間は停止した。
【魔獣カードゲーム一セット。街をつくろう千ピース、および工作糊。霧の火口湖の謎……】ご丁寧なことに、その全てには、使用済みと但し書きがされてある。
それは全部、ルーツが持っている――、いや、道中の暇をつぶそうと、リュックに入れて王都まで持ってきた、特にルーツが気に入っている遊び道具だった。魔獣カードゲームは言わずもがな、あとは立体パズルに謎かけ本。
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「これも取り出せるわよ」
ユリに言われて、ルーツは震える手で文字をなでた。すると、先ほどと同じようにルーツの持ち物が紙面から飛び出して――床に落ち、音を立てる。
よく見ると、書いてある文字が見えないほど小さくなった魔獣カードの三枚目。紫色のとさかが特徴的な鳥が翼を広げているカードの右端は、意識しなければ気がつかないほどわずかだったが、潰れてしまっていた。
そうだ。あんまりにも、ユリに勝てなくて悔しいもんだから、裏返しにした状態でも判別がつくように、印をつけておこうと思っていたのだ――。
ルーツは王都に来る道中、自分が仕込んでおいたズルを今更になって思い出した。
「あとは、日記帳。アンタにも、こんな豆な習慣があったのね。もっとも七、八日くらい書いただけで、あとはさぼっていたみたいだけど。三面に特集してあったわよ。【つたない字で書かれた怪文書。当局上層部は証拠品としての価値を認めず、捜査をかく乱する目的で書かれたものだと判断した。本文は以下に記載】」
そこまで言うと、ユリは声色を変えて、【以下】にあたる部分を読み、当時のルーツの心情を赤裸々につづった言葉を暴露する。その瞬間、ルーツはようやく事態を理解して、顔を真っ赤にさせながら抵抗した。
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「返して!」
「どうしたの? いきなり血相を変えたりして。……さっきも言ったけど、これは、街中に配られているものなんだから、ここで私から取り上げたところで、意味がありはしないわよ? ……もし、誰にも読まれたくなかったんだとしたら、ご愁傷様。今頃はもう、この街中の人たちが、アンタの日記をじろじろ見て、くすくす笑ってるんじゃないかしら。広場に居た人たちがそうしていたみたいにね」
ユリがそう言い終わるより前に、ルーツは、先ほどの女性に負けず劣らず、耳まで赤くなっていた。意味はないと分かっているのに、鼻先におもちゃをぶら下げられた猫みたいに手を動かしては、ユリが持っている紙束を必死で奪おうと追いかける。
だが、ユリは身軽にひらりと避け、ルーツは無様にも、勢い余って壁に衝突し、指を痛めて、泣き顔になった。
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