第141話 肩透かしを食らいたい
「どうして、涼しい顔をしていられるの?」
自分だって平然とした顔をしているのに、そう言って、ルーツは問い立てた。
「アンタ以外、広場にいる人も、こうして私たちと同じように家の窓際から見ている人たちも、みんな悲しんではいないと思うわよ。特に、広場の人たちは、この場面を見たいがために、わざわざ結構な距離を歩いて集まってきているんだから」
ユリは、ルーツの様子には気が付かないようでそう返す。もしくは、ルーツの顔は、外っ面だけは悲しげなものになっていたのかもしれない。
ちょうどその時、広場が湧いた。
だが、ルーツはもう確かめる気も起きなかった。
「あの人たちは、兵士に気を遣って笑っているんじゃなくて、心から笑ってるのよ」
ユリは続ける。それは、ルーツが疑問には思っていたが、今聞くべきことではないと考えて、聞かずにいたことだった。
―――――――――
「兵士たちは街の見回り役であって、あの人たちの上官ではないんだから、気を利かせて、つまらない冗談に付き合う必要はどこにもないわ。むしろ、あの女性が見世物だったなら、兵士は芝居の盛り立て役。盛り立て役には、時間を割いて見世物を見に来てくれたお客たちを楽しませる義務が課せられているの。そして、見物客は客らしく、本当に面白かった時だけ笑えばいい。だから、笑い声がしたってことは、広場の人たちが満足したってことなのよ。見世物が、哀れにも赤く染まって、滑稽にも自分の過去を無意味に語って、終いには精神まで壊れちゃって、処刑される姿。その最後まで呪文のからくりに気づかない馬鹿さ加減を見て、笑いたくて。日々のうっとうしさをパーッと解消するために、彼らはここまでやって来ているんだから」
「アレを見て面白いの? もしかして、ユリも――」
「そんなわけないでしょう? あんなつまんない人たちと一緒にしないで」
広場にいる人達の心情が全く理解できず戸惑うルーツに、ユリは声をとがらせた。
「もう何回も言った気がするんだけど、私はこの茶番には、みじんも興味がないからね。だいたい、何度も同じものを目にしたところで、新たに得られることなんてあまりないし。私がアンタにこれを見せたのは、段階を踏ませるため。上手く使えば有用な薬でも、慣らさずに最初から過剰に取り入れちゃうと毒になっちゃうから。熱いお湯につかる前に、身体を流すのとほぼ同じ」
「何を言いたいのか、全然分かんないよ」
「あーもう。アンタって本当に物分かりが悪いんだから。でも――、まあいっか。この際、順々に教えていくなんて面倒な方法をとらなくても」
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まどろっこしいやり取りに嫌気がさしてきた様子でそう言うと、ユリはガラリと話題を変えた。
「私はアンタが何を考えているのか分かるわよ。自分の目の前で人が亡くなったっていうのに、思ったよりも動揺していないことがショックなんでしょう? ……なんでって、分かるわよ。だってさっきから、アンタは毎回、私が期待した通りの反応を返してくれているんだから」
そこまで言うと、アンタがあの女性の生き死にに、あまり関心を持てなかった理由について教えてあげようかと、ユリはにじり寄ってくる。だが、誰かに教えてもらわずとも、ルーツは既にその答えを知っていた。
「知ってるよ。多分、全くの他人だから、僕はあんまり同情出来なかったんだ」
そう言うと、自信たっぷりに二の句を継ごうとしていたユリは目を丸くする。
「知っていたのに、ショックを受けたっていうの?」
「なんとなくそんな気はしていたけど、実際に目にしたら、それでもショックを受けるだろうって思ってたんだ。他人だから同情出来ないとかは、あくまでも目にしていないから言えることで――、大体死ぬところまで行っちゃうとは思ってなかったし」
「ふーん。これは初めて予想外。でも、まあそれはそれで――良かった。じゃあ、話は早いわね」
そう言われて、何が? と、ルーツは首を傾げる。
話はあれで、もう終わりだと思っていた。段階を踏むとか言われても、魔法が使えたことをずっと隠していたことに対する衝撃があまりにも大きすぎて――
―――――――――
まだ、打ち明けることがあるというのだろうか?
ルーツは、最後まで自分の精神が持たないかもしれないと何となく予想した。今までだって十分にひどい話だったというのに。これ以上の重大な話が待っているかもしれないだなんて……。考えただけで、頭が痛くなってくる。
ユリが物事を大げさに言っているだけならいいのだが――。肩透かしを食らいたいと思ったのは、これが初めてのことだった。
「私はアンタにも味わってほしかったの。自分とは遠い世界の話だと思っていた出来事が、実は自分に深く関わっていたと知る体験を。その瞬間を。全ての出来事は他人事じゃなくて繋がっているということを」
そう言われても、人を殺したと打ち明けたユリの言葉を、本当に質の悪い冗談としか思っていなかったから。この言葉が持つ残酷性にも、ユリの話に何一つ誇張が入っていなかったということにも、ルーツはまだ気づけない。
「それじゃあ、ここでもう一度。……私がこの事件の真犯人。どう? 少しは見方が変わってきた? 私への信用も無くなってきたところでしょう?」
「信用しないなんて一言も言ってない。僕は、ユリを疑っているんじゃなくて、怒ってるんだ」
ユリの相手の対応をうかがうような態度に、ルーツは、またそれかと半分呆れて、半分不機嫌そうに言った。
―――――――――
「これ以上試すような真似をするなら、もっと怒る。そんな馬鹿なことをするより、僕は――何がどうなっているのか、始めから説明してほしいよ。騙していたことも、ちゃんと説明してくれれば許せるから。多分、何か重要な理由があるんでしょ?」
先ほど声を荒げた反動で喉が痛く、言葉はだんだんと尻すぼみになっていく。
「だって、弱いのを隠すのは分かるけど、理由もないのに長所を自分から殺すなんて変だもん。あんな魔法が使えたのなら、わざわざ誰かと組まなくても、色々作戦を立てなくても、ユリは絶対選ばれていたのに、どうして僕なんかと一緒に王都に来ようと思ったのか。真犯人なんてどうでもいいから、そっちの方を話して欲しいよ」
「本人が目の前で、兵士を殺したって言い張ってるのよ?」
「ユリは、そんなことしないから」
「それはアンタの知っている、偽物のユリ。私はずっとアンタの前で演技をしていたんだから。……魔法を隠していたのもその証拠。これで、いい経験になるでしょうけど、あんまり誰かに心酔しない方がいいわよ。自分のすべてを捧げたところで、きっとどこかで裏切られて、泣く羽目になるんだから」
その言葉の意味はあまり分からなかったのだが、どうやらユリは、どこまでも、今までのユリだけを信じようとするルーツの態度に落胆しているようだった。
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「ほんっと、都合のいい目と耳をしてるのね。ずっと騙されていたのに、気がつかないなんて。いっそ死ぬまで見抜けなかったら、それはそれで幸せなのかしら? でも今は、どうしても知ってもらわないといけないの。アンタには現実を見て、ちゃんと絶望してもらうから」
そういうと、ユリは後ろに手を回し、厚さがほとんどない白黒の本――いや、それは折りたたんであったせいだ――ルーツが知っている本よりも、横にも縦にも二、三倍は大きい数枚つづりの薄い刷り物を取り出した。
しかし、これほどまでに大きな物を、ユリはいったいどこに隠し持っていたのだろう? と、そんなどうでもいいことをルーツがしばらく考えていると、ユリは細かい文字がずらっと並ぶ、両面刷りの大きな紙面にゆっくりと目を通し始める。そして、
「【白昼堂々、王都を揺るがす世紀の大事件。近年類をみない、大型組織犯罪の可能性も】うん、これで合っているわね」
機械的な声でそこまで読むと、ユリは紙面を縦に裂き、その左半分をくしゃくしゃに丸めると、ルーツの方に投げて寄こしてきたのだった。
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