第139話 嘘つきの色

「何が始まるの?」と尋ねると、

「さっき、言ったでしょう? 法の名による正当な裁きが下されるだけよ」

 と、背後からユリの声がした。

 それからまた、窓の外から、兵士の声が聞こえてくる。

「別に怖がることは無い。その胸の内に、他者に言えないような後ろ暗い過去を秘めているのでもなければ、話はそれですぐに終わる」

 だが、鎧を介しているせいなのか。耳に届いてくる兵士の声には、かなりの雑音が混じってしまっていた。

「私は聞くだけだ。そして、貴方は答えるだけ。さあ、洗いざらい吐くのだ。貴方が犯してきた罪を、ついてきた嘘を」

 そう詰め寄られても、女性は震えながら、兵士に抗議しようとしている。

 すると、ユリの声が広場の会話を遮って、ルーツの意識は自分の背後に集中した。

「ねえ、今まで並べてきた嘘、でっち上げてきたこと。他人の機嫌をうかがうためのお世辞。強がり、見栄を張るためのほら話。アンタは全部覚えてる?」

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 そう言われて、少し考えて、どうしてユリがそんなことを聞いてくるのか理解できないままに、覚えているわけがないとつぶやくと、ユリは何故か小さな声でクスクスと笑い、満足そうにこう言ってくる。

「そうよね、アンタもそう思うわよね。だったら、あの女性は助からないわ。だいたい嘘なんて、ついた方は、ただのその場しのぎのつもり。すぐに忘れちゃうのがごく普通。騙された方だけが悔しくて、ずっと覚えているものなんだから」

 ユリがそう言い終わった途端、つんざく悲鳴が空気を切った。兵士の杖の先端から乳色の煙が噴出し、女性は、自身の身体中にまとわりついた煙を振り払い、後ろに下がろうとしたものの、足がもつれてしまったのか、ばったり倒れる。

 だが、仰向けになった女性は、意外なことに、死んだわけでも、どこか怪我をしているわけでもないようだった。何ともないことに、自分でも少し拍子抜けしている様相で、しばらくすると平然と起き上がってくる。

 そんな女性に、兵士はどっしりと構えながら、急いだほうが懸命だと思うが。と、謎の言葉を送っていた。

「悠長にしている時間は、貴方にも私にも無いからな。人は忙しい。いつだって時間に追われて生きている」

 そう言われても、女性はいまいちピンと来ていないようで、小首を傾げながら戸惑った様子を見せている。

―――――――――353―――――――――

 だが、その言葉の意味は、すぐにその場にいる全員に、そして少し離れた所から見ているルーツにも開示された。

「見て、あのお姉さん、赤くなってる!」

 どういうわけか、子どもの無邪気な声が割って入り、街全体に響き渡った。それから、まるで子どもを叱りつけているような耳が痛くなるほどのキンキン声――。

 続けて聞こえた、すいませんという申し訳なさそうな声に、もしかすると、音を増幅させる機械のようなものが広場のどこかにあって、そこに小さな子どもが近づいてしまったのかもしれないとルーツはそう推測する。

 しかし、人々の意識は子どもではなく女性の方に向かっていた。女性も自分の手のひらを見て――、今度こそ、引き裂くような金切り声が女性の喉元から発せられる。

 女性の顔や足。そして、腕やお腹。

 いったいどういうわけなのか、手のひらのみにとどまらず、服の隙間から見えている女性の肌のほとんどが、鮮やかな紅色に染まり切り、女性はまるで、頭から血のシャワーを浴びたような、実に不気味な容貌になってしまっていた。

「これは、嘘つきの色だ。しかも、今まで相当、人を騙してきたとみえる」

 そう呟いているのは、女性を取り巻いている兵士たち。そして、

「嘘をついているか、それとも、ついていないか。それが、一目で分かってしまう呪文。これは主に、自白用に使われるらしいわよ。敵の諜報員を捕まえて、拷問して情報を吐かせる時に、全部吐いたかどうかを確かめるための」

 ユリの言葉が、今、女性の身に起こっている状況の全てを補完していく。

―――――――――354―――――――――

「もしかしなくても、諜報員は狡猾だから、苦しくて吐いてしまったふりをして偽の情報を伝えるかもしれないし、数段階に重要な情報を隠し持っていて、一番下の、まだ教えても取り返しの利く情報だけ喋ったのかもしれない。その真偽が分からないと、どれが正しいのか分かんなくなって、かえって危険になっちゃうから」

 そう口にすると、ユリはそのまま続けて言った。

「でも、この呪文。結局、重要な場面では全く役に立たなかったのよ」

 その言葉で、ルーツは、ニーナの父親から本当の名前を聞き出すために実力行使に出ていた赤鎧たちのことを思い出す。

 別にルーツは、赤鎧のやり口を肯定したいわけではないのだが、自白させるための呪文などという便利なものが本当に存在するのなら、あの時赤鎧は、わざわざ痛みが伴うやり方で、相手の真意を聞き出そうとはしなかっただろう。

 もちろん、指を折ることそのものが目的だったというのなら分からなくもないのだが、あの兵士たちが、無理やり相手を痛めつけることで満足感を得るような、常軌を逸している趣味の持ち主であったとは、あまり思いたくないものだし――。

「さあ、白状しろ。覚えがないとは言わせないぞ? 何といってもこの色が、何よりの証拠なのだから。肌の色が元に戻らない限り、貴様は何かを隠しているということになる。……もちろん、黙秘し続けるのも一つの手だが、殺人犯だと疑われて、必死に否定したが、嘘をついていることが明らかになった。こんな状態で沈黙を保ち続けるのは悪手だろう? もしかすると、私はただ協力しただけですと、この場で素直に認めてしまえば、多少は罪も軽くなるかもしれないぞ?」

 兵士にそう促されても、女性は決心が行ったり来たりしている様子で、何度も自分の鼻の頭にちょんちょんと手を当てていた。だが、オロオロするのも悪印象だと思ったのか、最後には何かに押されたように話し出す。

―――――――――355―――――――――

「これは、余計に疑われてしまうと思ったから言ってなかっただけで、決して、隠していたってわけじゃないんですけど――、本当は昼過ぎに一度だけ、北地区の方まで行ったんです。少し前に花がよく売れた日があって、たまには贅沢するのもいいかなあって思ったから――。でも本当に、裏路地なんかには行ってなくて、すぐに気が変わったから、少し通りを散歩しただけで、その日はそのまま帰ったんです」

「ほう、臨時収入があったと」

「勘繰らないでください。これは、真っ当な売り上げです!」

「で、街の反対側まではるばる歩いて行ったのに、何も買わずに帰った」

「貯金しようと思ったんです! 生活は苦しいし、今後も売れるとは限らないから」

「だが、何故か一度は、使ってしまおうと思ったわけだ。悪銭は身につかないとはよく言うし……、やはりその金、花とは別の報酬か何かで――」

「違います!」

 彼女はきっぱりと言い切ると、兵士に弁解する。

「だから言いたくなかったんです。でも、言わないともっと疑われるって分かったから――今まで黙っていてすいませんでした」

 そう言って、頭を下げた。

―――――――――356―――――――――

「分かった。それで?」

 だが、話は明確に区切れていたというのに、兵士はまだ聞いていないことがあるかのように次を促した。

 当然、女性は困惑して、もう全部話しましたと、不安そうに言う。

 しかし兵士は、女性の顔を指差しながら、貴方の顔はそうは言ってないみたいだと冷たく突き放し、自分の手のひらを再度見た女性は、その色を見て、茫然とした。

「え? まだ、赤い! どうして? ちゃんと喋ったはずのに!」

「それならまだ隠していることが、他にもあるということなのだろう。さあ、包み隠さず話せ。隠してもいいことはないぞ」

 女性の顔は、相も変わらず真っ赤に染まってしまっていた。色は全く落ちる気配がなく、兵士が譲歩する気配も全く見られない。

 すると、また背後から声が聞こえてくる。

「だって、あの呪文。生まれてから今まで、白状せずに隠し通した嘘が一つでもあれば、そのどれかに反応しちゃうんだもん。……ね、不正確すぎて、諜報員には使えないでしょう? 子ども時代の可愛い嘘なんて誰も覚えていないだろうし、仮に全部覚えているような奇特な人がいたとしても、嘘を全部言い終わるのなんて、いちいち待っていられるわけがないから」

 ユリが同意を求めるようにそう言っている最中、窓の外では件の兵士が、

「それとも――、本当に、嘘をついていないというなら、最近貴方が付いた嘘に反応しているのかもしれん。と言うのもこの呪文は少し、ほんの少しだけ不正確なのだ」

 と、ユリと時を同じくして、似て非なるようなことを仄めかしていた。そして、

―――――――――357―――――――――

「だから、相手を陥れたい時くらいにしか使えないんじゃないかしら、あの呪文」

 ユリの無気力な発言に、ルーツの背筋は凍り付く。

 それならば、兵士たちにはそもそものところ、真実を知ろうとする気がまったくない。彼らが今あれこれと、女性に多数で詰め寄っているのは、事件の解決を目指しているからというわけではなく、ただ単に、あの容疑者たちを体よく始末したいと思っているから、ということになってしまうのだが……、果たして、そこまでの勝手な振る舞いが許されてしまっていいものなのだろうか。

 もちろん、そんなことをすれば普通なら、ろくな根拠もないのに人を犯人扱いするとはけしからん。そこまで言うなら証拠を出せ、という面倒くさい話にもつれ込んでいくのだろうが、身体の色が紅色に染まっている今だけは、弁解側の説得力はほぼ皆無。誰が見ても難癖に近いこじつけに抗議しようとしたところで、まずはその色を落としてから話してみたらどうだと、兵士は冷たげにあしらうのだろう。

 だから多分、あの女の人は、好き放題に余罪をなすりつけられた挙句、実行犯に仕立て上げられて――そして死ぬ。

 そんなことを知らぬまま、女性は希望の光を見出したような明るい声で、兵士に尋ねかけていた。

「最近――、最近で言うと……そう、三日前! これって、出来るだけ詳細まで述べた方がいいんですか?」

 そう言うと、その方が好ましいという兵士の言葉が返ってきて、女性は続ける。

「三日前の――、十一の鐘が鳴ってすぐにやってきたお客様にお花を買ってもらった時のことなんですけど――、その際、いつもより少し高めに値段を言ってしまいました。……でも、これは嘘とかではなくて――、最近値段を交渉してくる人が多かったから、それを見越していたってだけで――。結果的に、その人は交渉してこなかったから、高いお金で買わせることになってしまったんですけど……ぼったくってやろうなどというつもりは決して無くって……」

 回りくどい話し方でそこまで言うと、女性は罰が悪そうな顔で、自身の真っ赤に染まった手のひらを見て、息を吐いた。

―――――――――358―――――――――

「いいえ、心のどこかに、絞れるだけ絞ってやろうって気持ちがあったのかもしれません。あと、今になって考えてみれば五日前にも――」

 女性は、色々と罪を重ねているようだった。もちろんそれは、殺人よりかはずっと軽い罪だったのだが、それでも幾分か、広場の人々の心象は悪くなったことだろう。

 そう思っていると、日頃からこんなに悪いことばかりしているのだから人を殺していたとしてもおかしくない。という野次が、どこからともなく聞こえてきた。

 それとこれとは全くの、別問題であるというのに。

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