第137話 無能なふり
「な、な、な……」
身体への衝撃もそうだが、それよりも。何の苦労も感じさせずに、軽々と魔法を使ってみせたユリの姿が受け入れられなかった。思いを口にすることもできず、ルーツは壊れた玩具のように、同じ言葉を繰り返す。
「今度こそ、びっくりしてくれた?」
また、一瞬だけ、ユリが笑ったような気がして――、ルーツは咄嗟に、ヒイッと、喉を絞ったような声で、後ずさりしていた。掴まれただけで、びろんびろんに伸びきってしまった襟元を見て、呼吸は更に荒くなる。
ユリの足元には、ぽっかりと大きな穴が開いていた。それも、長い時間を掛けて、丹念に切り取ったような歪みのない綺麗な円が。
その隙間が、一階では無く、どこか別の所へ、違う世界へ続いているような気がして――、吸い込まれるような気がして、ルーツは思わず目を逸らす。
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「ほら、これが魔法。どう? 満足してくれた? たった一人の力なんかじゃ、兵士たちに敵うわけがないって言うあのセリフ、訂正する気になってきた?」
そういうと、ユリは右の人差し指を立て、息をふうっと吹き掛けた。すると空気がもやっと揺らぎ、次の瞬間、そこには小さく可愛らしい炎が躍っている。
指を振って――、炎が宙を漂い、壁に触れた。ほんの一瞬、炎が掻き消え、壁がぷすぷす燻ったかと思うと、次第にちろちろとした朱色の炎が壁をゆっくり舐め始める。そして、ユリが指をもう一振りすると、跡形もなく炎は消えた。
ルーツはその一連の様子を、何も言えずにただ見つめていた。
薪を燃やした時とはまた違う、鍋を火にかけていたことを忘れて、料理に失敗してしまった時に漂ってくるような、鼻につく焦げ臭さだけが部屋には残っている。
「何こ――、君は――、あんた誰だ! 誰なんだよ!」
目の前にいるのが、ユリだと信じられなくて、ユリに手荒に投げ飛ばされたことを信じたくなくて、ルーツは荒れ狂った様子で絶叫した。
「どうしたの? 私よ、ユリよ。今までも、ずっと一緒にいたじゃない」
そう言いながら、少しずつ近づいてくる彼女の手を払いのける。
―――――――――344―――――――――
「嘘だ! お前……、ユリをどこにやったんだ!」
見当違いのことを言い、喚き散らすルーツを見て、ユリはくすくすと笑った。そして、ルーツにとって最悪のタイミングで、口調を元に戻してくる。
「さすがに、どこにやったんだ、はないと思うんだけど。……アンタがあんまりにも嘘だ偽りだとうるさいから、ご希望通りに魔法を見せてあげただけでしょう? なのにどうして、そんなことを言われないといけないの?」
その不機嫌そうな口調にユリの面影を見たルーツは、目の前に居る少女がユリの偽物だとは思えなくなってしまい、吠えて、怒った。
「いつから――、何時から使えたんだ。僕が意識を失ったあとか? それとも、もっと前から――、隠してたのか!」
「だから、さっきからそう言ってるじゃない。魔法なんて、本当はアンタと出会う前から、毎日のように使っていたのよ。今までは、敢えてアンタの水準に合わせておいてあげていただけで――」
「ユリみたいな口調で話すな!」
「アンタが戻せって言ったから戻しただけなんだけど。それともやっぱり、『貴方』って呼ばれかたの方が好みだったの?」
「そんなことどっちでもいい! 黙れえ! 黙ってくれえ! そのくすくす笑いを止めろ! ユリの顔で笑うなあ!」
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ひょっとすると、ルーツはユリに憧れていたのかもしれない。
魔法が使えないにも関わらず、強い芯を持っているユリを見て、自分もユリのようになりたいと、そう願っていたのかもしれない。
だが別に、ユリがある日、何の前触れもなく魔法を使えるようになったとしても、ルーツは多分祝福しただろう。
もちろん、羨ましいとは思うだろうが、それは喜ばしいことで――、
もし、記憶を取り戻した結果、芋づる式に、魔法を使う技術も思い出すことが出来たというのなら、それはもっと嬉しいことだ。だから、まるで自分のことのように、ルーツはそこらを跳ね回るだろう。だけど――、
「隠してたって――、今までずっと、非力な僕と釣り合うように、騙してたのか!」
ユリは、最初から魔法が使えたと、そう口にした。
「じゃあ、何? 僕が助けに入らなくても、ユリは逃げることが出来たってこと? 僕が何もしなくても、槍を避けることが出来たってこと? なのに僕は、馬鹿みたいに飛び込んで、勝手に刺されて、怪我をして――」
いや、それはまだいい。たとえ魔法を使えたとしても、恐怖が無くなるわけじゃない。ましてやあの時、ユリは何も見えていなかったんだ。……だけど、
「選考会の時!」
ルーツは怒りをぶちまけた。
―――――――――346―――――――――
「僕らが必死になって、なんとか間に合わせようと――、魔法を一つでも覚えようと頑張ってた日! 本番までの五日間! 僕は、自分の出来の悪さに嫌気がさして、覚えたはずのことをすぐに忘れてしまうこの頭を呪って、何度もやめようかと思ってたんだ。どうせ、君のお荷物になるだけだから――。君には言わなかったけど、ずっと、こんなことを続けていても意味がない。どうせ勝てないんだからって疑って、ああ多分、僕を無理やり引きずり込んだ君を、あんまりよくは思っていなかった。
だけど、それでも僕が止めなかったのは、いつもならすぐに諦めてしまうはずのこの僕が――五日間だけだったけど、何か一つの目標に向かって頑張り続けることが出来たのは、君がとっても真剣だったからなんだよ。……常に全力で、君は最初から負けが頭の隅にちらついている僕と違って、微塵も負けるつもりは無いみたいだった。自分に強い自信を持っているみたいに見えた。目の前のことしか考えられない僕と違い、先の先まで見通し、選択を迷うことなく下す。君について行けば、こんな僕も何か変われるかもしれない。君みたいになれるかもしれない。そんな期待を君は持たせてくれたんだ」
「……そんなことを言われても困るんだけど。でも、まあ、そりゃあ自信たっぷりにもなるでしょうね。本気でぶつかれば負けるはずがないんだから」
白けた顔に、掴みかかりたい気分になる。
―――――――――347―――――――――
「でもそれは、本当は嘘だった! 君はその時から――、努力せずとも、魔法が使えていたんだ! なのに、意図的に手を抜いて、僕と同じ無能なふりをしてた。何? 君は僕を憐れんでたの? 君は僕を見て――、出来損ないの僕の無様なさまを見て、笑ってたのか! 充血した目で、毎晩遅くまで一緒に頑張って、焦って――僕は君が、魔法を使えないもんだとばかり思ってた! 僕よりずっと、一生懸命になってるもんだとばかり思ってた! なのに――なのにずっと、心の中では笑っていたの? こんなことも出来ないの? とか思ってさ」
現在のルーツを罵ってくれる分には構わない。馬鹿、お荷物。考え無し。それでいて、度胸も勇気もまったくない。
そう言われても、全部本当のことなのだから仕方がない。そりゃあ、言われれば悔しいし、多分、僕は怒るだろうけど、それはこれから改善していけばいいことだ。
だけど――、馬鹿にされているのは僕じゃない。僕らの過ごしてきた日々が、過去が、思い出そのものが侮辱されている。ユリの言葉に、ルーツはそう感じた。
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