第136話 魔法

「びっくりした?」

 そう言ったあとで、冗談めかして笑ってくれると思っていた。

 だが、少女の笑みはすっかり引き、ユリはルーツの反応をうかがうように目を細め、沈黙を保っている。じっと見つめられることに耐えられず、ルーツは首をさすったり、後ろを振り返ったりした。

「やめてよ。趣味が悪い。人の反応をうかがうなんて……。試してたんなら、もっと簡潔にやってよ。前振りが長いんだよ。わざわざ三階まで呼び出して、何をするのかと思ったら、こんな手の込んだ悪戯――下らない。僕、いちおう病み上がりなのに――。今回ばかりは言わせてもらうけどね、こんな冗談、くだらないよ。心底くだらない。大嫌いだ、こういうことでふざけるの。……ねえ。聞いてるの? 僕、本当に怒ってるから。一時間、いや、丸一日は口もききたくないぐらい」

 ルーツは少しトゲトゲしい口調でそう言った。だが、ユリは全く動じていない。

―――――――――336―――――――――

「ええ、聞いてるわよ」

 全てが自分の思惑通り。ユリは、そう言いたげな顔をしていた。

「予想はできていたもの。貴方がすぐには認めないだろう、いくつか段階を踏まないと、信じてくれないだろうっていうことぐらい。それほど、以前の貴方は私のことを信じて、頼り切っていたようだから」

「……ねえ。その『貴方』ってやつ、好きで言ってるの? 違うんなら、止めてくれない? なんだか、わざとそう言われてるみたいでイライラするんだよ。一度、アンタって言いかけて、言い直したときもあったし。別に、なんて呼んでくれようが構わないけど、僕を苛立たせるために言ってるんだったら――」

「もちろん」

 ユリの返事に、ルーツは苦虫を噛み潰したような顔になる。

「面白くない」

「別に、面白さは求めてないから」

 ルーツは、わざと聞こえるように舌打ちをした。が、反応は返ってこない。その代わり、ユリは淡々とした様子で、何かを言い始める。

「事件が起こったのは、王都北区の第三通り裏。被害者は王都警備隊の兵士十一名。八名は既に死亡。三名は手足欠損、または臓器損傷の重症」

「何? 殺人事件のこと、言ってるの?」

「あの後。貴方が私をかばって、背中に槍をぶっ刺されちゃったあと、また兵士たちがやってきたの――」

「だから、殺したって? まったく、つじつまが合わないよ。やっぱり、行き当たりばったりで考えてるから、話が下手くそなんだ」

 ルーツの瞼はピクピク震えていた。鼻から大きく息を吐き、苛立たし気にずんずんと、部屋の中を歩き回る。

―――――――――337―――――――――

「僕にだって、ユリの話がおかしいことぐらいは分かるよ。だいいち、自分でも分かってると思うけど、ユリは、僕とおんなじくらい魔法が使えない。使えるかどうかすら怪しいくらい。一度だって、成功したことなんてないんだ。だから、どう転んだって、ユリは兵士たちに勝てっこない。魔法を扱えない限り、到底むり。それに、一対一ならいざ知らず、どんなにツキがあったとしても、複数人で来られたら――」

「言っとくけど、魔法のことなら問題ないわよ。それは私の得意分野だから。ただ、今までずっと、貴方には使えることを隠してきただけで」

 その言葉に、ルーツは一瞬、動きを止めた。

 が、馬鹿らしいと考えて、すぐに大きなため息をつく。

「止めなよ。もう、嘘だって分かってるから。すぐに見破られて、悔しいのは分かるけどさ。嘘に嘘を重ねたところで、いいことなんて一つもないよ。だいたいは、嘘がどんどん派手になって、収集がつかなくなっちゃうだけだから」

「……ちょうど良かったのよ。兵士達が貴方を殺そうとしていたから。私は、正当性を保ったまま人を殺せたの。だって、誰かを殺そうとしている人は悪人でしょう? 返り討ちにされて、逆に殺されてしまったとしても、何の文句も言えないじゃない」

 ユリが平然とした様子で言うのが、余計、気に障った。まだ、嘘は言っていないとか、顔を赤くしてムキになってくれれば許せたのに、このままじゃあ――。

 安心できないじゃないか。そう思っている自分に気が付いて、ルーツはぶんぶんと首を振った。安心以前に、ユリの話が真っ赤な嘘であることは、既に分かり切った事実であるはずなのに、どうして僕は一瞬でも、ユリの言っていることが真実かもしれないだなんて、そんなことを思ってしまったのだろうか。

―――――――――338―――――――――

「じゃあ……、たとえ何歩譲ったとしても、そんなわけはないけれど、仮にそうだったとして、兵士達が僕を殺そうとしていたって言う主張は、どう説明するつもり?」

 ルーツは、ちらちらとユリの様子をうかがいながら言った。考え込んでいる様子はないだろうか。嘘をついていると確信できる仕草は無いだろうか。

「それは貴方が無謀にも――、本当に無謀にも、あの親子を逃がそうとしたからよ。王国への反逆者の協力者、そして逃亡補助者。それだけでも、殺すには十分たる理由になるらしいわよ。もっとも、私も詳しくは知らないんだけど」

 もっと、突拍子もないことを言ってくれればすぐわかるのに。ユリは即座にそう返してくる。そして、決まり事を学んでこなかったルーツには、本当にその行為だけで重罪が課せられるのかどうか分からない。

 だけどとりあえず、ルーツはフンと、小さく鼻をならしておいた。

「そして……、もしかしたら忘れているかもしれないけれど、貴方あの時、兵士の一人に危害を加えちゃったみたいね。私は見てなかったんだけど」

 ルーツが羽交い絞めを無理やり振りほどいて兵士から逃げ出したことを、あたかも、後から誰かに聞いて知ったかのようにユリは言う。

―――――――――339―――――――――

 あの時、路地には濃煙が立ち込めていた。そして、ユリはニーナを抱きしめるように、路地にしゃがみこんでいた。ルーツはその後、意識を失ってしまったから、その時のルーツの行動をユリは何も知らないはずだ。寝言でぶつぶつとあれこれ呟いていたのなら話は別だが、ルーツはユリに話した覚えがない。だから、股間か、もしくは兵士の股の辺りをルーツが蹴り飛ばしたと知っているのは、張本人であるルーツと被害にあった兵士だけ――。

 煙が消えた後、確かに兵士たちは路地に戻ってきたのだろう。ルーツは現実的に考えて、ユリの主張の一部分を認めた。

 でも、そんなこと――。何かがルーツの疑惑を膨らませる。

 そんなことを、あの厳しい赤鎧が許したりするだろうか。部下がいちいち、どこそこを蹴られたなんて、ユリに話したりするだろうか。彼らはあんなに、時間を無駄にするのを嫌っていたのに。

「ひどい怪我は負ってしまったけれど、辛うじて生き残る事は出来た兵士が、その日の事を、全部事細かに証言したのよ。もちろん、小さな女の子に殺されかかった時の話が中心だけど、私たちと出会った時から惨劇に巻き込まれるまでの一部始終を。もう既に、街中の人たちが知っていたわよ。だから私も、街の噂を耳にして知ったの」

「バカバカしい」

 ルーツは笑おうとした。笑ってごまかそうとした。だが、ようやく零れた笑い声は、すぐに空笑いに変わってしまった。

―――――――――340―――――――――

「なら、仮にだよ。もし犯人の背格好が分かっているのなら、あんなに大きな――、大人の男女が疑われるわけがないじゃんか」

「別に事件で捕まるのは、実行犯だけに限らないでしょう? 大きな事件があった際には、一緒に策謀を巡らした者も、芋づる式にみんな捕まってしまうから。

 兵士たちの言い分はこうなの。実行犯は一人だけど、その協力者は何人も、いや無数にいる。だから、全員――、少しは実行犯扱いだったのかもしれないけれど、あんなに大勢の人たちを裁きに掛けても、前の処刑は間違いだったんじゃないか、なんてことを、言われずに済んでいるのよ。一般市民の人たちは、誰も、協力者の人数なんて知らないんだから。……まあ、協力者なんてひとりも居やしないんだけど。そんなもの、いるわけないわよね。私は別に、前もって計画して、殺したわけじゃないんだから」

 そう言うと、ユリは軽く鼻で笑った。

 その仕草に、嘘でもいいから、少しは考えるふりをしてくれとルーツは願う。だがユリは、心が枯れてしまったように、淡々と話し続けている。

「でも、確かにそういえば、背丈がどのくらいとかいう話は誰も語ってくれなかったわね。もしかすると――、ああ、そういうこと。だから、誰も私を見ても何も言わなかったのね」

 そう言いながら、ユリはまた一人で頷いていた。

―――――――――341―――――――――

「残念だけど、ユリの言ってることには、何も証拠が――」

「証拠なら、あるわよ」

 軽い口調を鋭く切り返されて、ユリを見る。瞬間、パンという乾いた破裂音がルーツの鼓膜を震わせた。

 ユリの両手がぴったりと合わさっている――。その光景に疑問を抱く暇もなく、合わせた手の合間から、みるみるまばゆい光があふれだし、空気に光が走った。

 口をパクパクさせて何も言えないでいると、ユリはルーツの真正面。鼻と口とが触れる距離まですっと身体を近づけてくる。それから唐突に身をかがめ、床に向かって、光をまとった自身の手を叩きつけた。

 ゴゴゴゴ、という地の底深くから響いてくるような低い音。ともすると遠雷とも思えるような、不気味で不安感を煽る音が、遠くの方から近づいてくる。かと思うと、たちまち足元が小さく揺れ始め、揺れは瞬く間に、建物全体が崩れ落ちそうなほど激しいものへと変わっていった。

 轟音に合わせて、ほこりが舞い、凄まじいほどの強風に、部屋の隅まで吹き飛ばされる。背中に壁がぶち当たり、何が起こっているのかすら分からぬまま、助けを求めて、ルーツは辺りを手で探った。

 すると、埃で遮られた視界の先からにゅうっと華奢な手が伸びてきて――、ルーツはがしっと胸倉を掴まれる。両足が床から浮き上がり、首の辺りがとても苦しくてもがいていると、不意に身体が自由になって、その刹那、お尻に衝撃がやってきた。

―――――――――342―――――――――

 涙目のまま、何度か咳をして、辺りをうかがう。そして、ユリに力任せに投げ飛ばされたことに、ルーツはようやく気が付いた。

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