第135話 真犯人

「それなら貴方は、自分と全く関係のない人に手を差し伸べられるの? もし、あなたが行動することで何かが変わるって、前もって知ることが出来たのなら」

「知ってしまったら見過ごさない――と思う。だってもし、見て見ぬふりをしてしまったら、あとになってずっと後悔することになりそうだから。僕の行動ひとつで誰かの命が助かったり、人生が変わるっていうなら尚の事。知らなかったのならしょうがないかもしれないけど――、僕は知っていて、口をつぐんだりなんかしない。面倒くさいからなんて理由だけで黙っているなんて、そんな卑怯な真似は絶対しないよ!」

 どこか試すような素振りで問いかけてきたユリに、ルーツは非難するような上ずった口調でそう言った。しかし、

「本当にまったく関係がないのよ? 相手のことを深く知っているわけでもなければ、喋ったことすらない。ただ、道端で一度見かけただけの関係性。身なりから察するに莫大なお返しも期待できないし、美人でもない。それなら、もしかして、貴方は厄介に巻き込まれたいの?」

 ユリは懐疑的だった。本当に、そんな人物がこの世に存在しているのだろうかと、澄んだ眼差しで、まるで心の内を覗き込むようにしてルーツを見ている。

「どういうこと? 厄介って。ただ、ちょっとばかり前に出て、証言すればいいだけじゃんか。そりゃあ、皆の前に出ていくのは少し恥ずかしいかもしれないけれど」

 ルーツがそう言うと、ユリは深いため息をついた。

「貴方って、本当に目の前のことだけしか見えていないのね。ちょっと見ない間に、すっかり忘れちゃってたわ。……これも、ほんの少し考えれば分かることだと思うんだけど――、証言すればどうなると思う?」

 そう尋ねられたルーツは、頭を絞って考えて、そして言う。

―――――――――331―――――――――

「……なんだろう。より詳しく話す、くらいのことはしないといけないのかな? 裏を取らなくちゃいけないから。でも、そんなところでしょ?」

「自分には火の粉が降りかかってこないと考えてるのね」

 呆れた口調でそう言われても尚、ぽかんとした表情を浮かべていたのが良くなかったのかもしれない。ユリは心からうんざりしているようだった。

「証言をするっていうことは、自分から騒ぎの渦中に飛び込んでいくってこと。だからたとえ、貴方にそのつもりがなかったとしても、一方の肩を持つようなことを言ってしまえば、当然もう片方の人からは目の敵にされるし、恨まれる。関わることがなかったら、感じずに済んでいたはずのストレスや、余計な不安。他者に向けられていた負の感情まで、肩代わりする羽目になってくるのよ。そして、殺人者の肩を持つってことは――、協力者じゃないかとも疑われかねない」

「それとこれとは話が別じゃんか!」

「考えても見て。いま、台の上で泣き喚いてる人たちは、誰かの証言一つで犯人扱いされたのよ。それなら、貴方が疑われない理由がどこにあるのかしら。たとえ些細な発言一つでも、この場で、兵士たちの面子を潰すようなことをしてしまえば――」

「恨まれることにもなりかねないって? ユリが言っているのは、全部仮定の話じゃんか! もし、もし、もしばっかりだ! それに、ちょっと火の粉が降りかかろうがなんだ! 人の命がかかってるんだよ!」

「でも、さっき言った通り、彼らの判断基準は『かもしれない』。確実な安全を求めて、わずかな可能性すらも排除することが彼らなりの正義なのよ。だったら、その理不尽に対抗するには、隙を見せない。これに尽きると思わない?」

 思っていることが上手く伝えられない。伝わらない。

 もどかしさに、ルーツは頭を掻いた。

―――――――――332―――――――――

「物価の高い王都に住んでいて、いい身なりをしていて、しかも日中にも関わらず、暇そうにぞろぞろと集まっている。……それがどういうことなのか、貴方に分かる?  今、広場にいる人たちは、そのほとんどが、仕事に精を出さなくても食べていける、裕福な人たちなのよ。かと言って、お付きの者を連れずに出歩けるくらいの、中途半端な金持ち。成り上がり者か、生まれつき恵まれていた者。それなら、身の振り方は、わきまえているでしょうね。だいたい、ただ生きているだけでも、貧乏人が金をせびってきたり、境遇を妬んだ暴漢に襲われたりと、理不尽に恨まれることがあるというのに……。わざわざ危険に飛び込んで、自分から敵を作るだなんてことをしていたら、命がいくつあっても足りないもの。それに――。貴方は、守るべきものがないから、ためらわずに前に進むことが出来るのよ」

 そう言うと、ユリはひとりで納得してしまった。そして、こればっかりはどうしようもない話だと、うなずきながら続けて言う。

「彼らの多くには、家族がいる。友だちがいる。……だからね。ついさっき、出過ぎた行動を取ってしまえば、その分、火の粉が降りかかってくるだろうって、私はそう言ったけど、彼らの場合、割を食うのは自分だけにとどまらないの。馬鹿な真似をして、自分だけの責任で済ませられなくなってしまえば、自分の家族や知り合い全てに迷惑が行くことになってしまう。それにもし、仮に大切な人が居るのなら――。

 ともかく、安請け合いをして、自分だけで請け負いきれるなんて保証がどこにあるのかしら。たとえ貴方だって、自分の行動ひとつひとつのせいで、村のみんなが多大な迷惑を被っていると知れば、うかつに動けなくなるはずよ。知らない時は何も考えず、好き放題に動けていたのにね。……つまり、家族や友だちっていうのは人質なのよ。大切な物が多ければ多いほど、その分、弱点も多くなり、やがて自由は失われる。貴方の意思は――、自由は制限される。簡単に、制限されてしまう。昔の人も言っていたわ。誰かに言うことを聞かせたいのなら、家庭を持たせれば済む話だって」

―――――――――333―――――――――

「見知らぬ人と、家族。当然取るべきは家族ってことか」

 ユリの話を聞いて、ルーツは苦々し気にそう言った。

 ユリは面倒くさいからなんて言っていたけど、実際は、違うじゃないか。みんな、何かにがんじがらめに縛られていて――、だから動けない。地位やお金、大切な人。何かを持てば持つほど、失うリスクに押し負けて、本当にしたいことが出来なくなってしまうのだ。だけど……、じゃあ、何だ? 本当の意味で自由な人は、何も持っていない人だって、ユリはそう言いたいのか? でも、全部捨てれば、自由になれる。だなんて、とっても寂しい。そこまでしなけりゃ、全てを捨てなきゃ手に入らないのなら、ルーツは自由が欲しいだなんて思わない。代償があまりにも大きすぎる。

「じゃあ、広場にいる人達の振る舞いは正しいの? 見過ごすことが正解なの? それで、誰も動かなかったせいで、無実の人が死んじゃうかもしれないのに――」

「そう、正しい。あそこにいる人は、誰も悪くない。見て見ぬふりをすることは、別に責められることじゃない。自分を守るために仕方のないことなのよ。自分を守ることが出来て、それでもまだ余裕がある人だけが行動すればいい。行動するかしないかは、個人の意思に任される。そうじゃない?」

 ユリは促すように言った。だが、ルーツは受け入れられない。彼らのしていることが間違っていると思いたかった。何かが間違っていて、歯車が上手くかみ合っていないから、悲劇が起こるのだと思いたかった。誰も間違っていないのなら、誰かが悲しむことなんて、無くなるはずだから。

―――――――――334―――――――――

「誰かが悪いはずなんだ。僕は――、僕は誰を責めればいいんだ」

 決めつけようとして、途中でよく分からなくなって、ルーツはそう言った。

 するとユリは、そんな言葉が返ってくるとは思いもしていなかったのか、目を丸くして、初めて声を上げてクスッと笑う。

「別に、責める必要なんか無いじゃない。……それとも何? 貴方は誰かを責めたいの? そうでないなら、貴方はそっと目を閉じて、見ないようにしていればいいのよ。そうしていれば、いつかは丸く収まるんだから」

「でも、それで、無実の人が死んでるんだろう。今からも死ぬんだ。なら、見ないふりをするのはやっぱりおかしいよ」

「それなら、唯一悪いと断定できるのは、その事件を引き起こした人物――貴方が言うところの真犯人なんじゃないかしら? 何と言っても実際に、人を殺しちゃっているんだから。どんなに都合のいい解釈をしたところで、その擁護は出来ないでしょう? 被害者を不幸にして、その遺族を不幸にして、その知り合いにも、そして果ては、見知らぬ人にまでも不幸をまき散らしてるんだから」

「言うまでも無く、それは当たり前のことだ。身勝手にも人を殺して、逃げ続けている犯人は許せない。だけど、他にも――」

「犯人を許せないって?」

 そう言うと、ユリは可笑しそうに――、ルーツはとても意外だったのだが、本当に可笑しそうな顔で、白い歯を見せて大笑いをした。

―――――――――335―――――――――

「それじゃあ、貴方は幸運ね。他の大勢の人たちとは違って、怒りを向ける矛先を見つけられたんだから」

 重苦しい様子は、すっかりどこかへ消え失せて、ユリは肩をぐるりと回す。そして、ふざけているのかと、怒りを滲ませたルーツの両肩に、ポンと軽く手を置いた。

「ルーツ、私が犯人よ。憲兵殺しの」

 その吸い込まれるような黒い瞳に、ルーツの心臓はドクンと跳ねた。

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