第126話 冷たい声

「お遊びの期間は終わったってことかしら」

 言い回しにそぐわない冷たい声が、暗い部屋に響いた。

「迎えに来たんでしょう? 私が忘れていたから」

 そう言われて、シャーロットは首を横に振る。

「いいえ。帰ってもらわないと、今度こそ私の首が危ないので。私は私自身のためにお嬢様を迎えに伺いました。ですが、強制するつもりはありません。帰るか帰らないかは、もちろん。お嬢様の意向次第です。お嬢様は自由なのですから」

「建前はいいわ。それにいくら自由だと言っても、此処で死んだらつまらないもの。大人しく部屋に帰るつもりよ」

 ユリは首筋に流れた黒髪を、払いのけながら言った。

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「ところで、シャル。私の記憶、どうだった?」

「ええ、しっかり。私の頭の中に入っていますよ。もっとも、お嬢様はもう覚えていないのでしょうけれど」

「元は私自身の物だったのよ? 貴方に渡したところで、忘れるわけないじゃない」

「ほら、忘れてる」

 そう言うと、シャーロットは、何が可笑しいのかくすっと笑って見せた。

「なんだか急に、お嬢様が大人びたような気がします」

「そう? 私はまったく変わった気がしないんだけど」

「もちろん見た目は変わっていませんが……、たたずまいのことですよ。短時間でひと回りほど年を取ったみたいですね」

「シャル。女の子に、失礼なことを言っちゃいけないって、そういうことは記憶の中で教わらなかったの?」

「覚えていらっしゃるのでしょう?」

「……まあ、いいわ。本当に、どうでもいいことだもの」

 ユリが息を吐くと、シャーロットは軽く笑みを浮かべた。

「それで、外の世界はどうでしたか? 少しは楽しむことが出来ましたか?」

「十一年だったかしら? 私が外に居た時間って。……だったら、あんまり。外は意外と面白いことばかりじゃなかったみたい。だって、その間の思い出も、ほとんど忘れちゃっているんだもの」

 ユリは一瞬、不意を衝かれたように口ごもったが、何の気なしにそう言った。

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「生まれてから城を出る時までの記憶は、シャルにあげちゃったんだから、それは覚えていなくても問題ないんだけど――、どういうわけだか、城を出てからつい最近までの記憶も抜け落ちちゃってるのよ。きっと、誰かにあげちゃったんだと思う。多分……相当つまんない記憶だったんじゃないかしら、城にいた時以上に。じゃなきゃ、シャルのために取っといたはずだもん。ごめんね、シャル。……、あっ、別に気にしてないわよね。もちろん、貴方が気にしてないってことも分かってるのよ。私に、記憶をあげる義務はないんだし」

 ユリがそう言い終わると、細切れになって、床に落ちている白い紙をひょいとシャーロットは拾い上げた。拾い上げると見る見るうちに、紙はもとの皺ひとつない状態まで姿を戻して行く。

「そういえば、シャルは全部覚えたままなのね。私に記憶を見せてくれたのに。なんにも忘れてないみたい。私がいない間に、技術が進歩したってこと?」

「お嬢様が目にされたのは、私たちが共に過ごした月日のうちほんの数日間だけだったのではないですか? というより、そうしたつもりだったのですが――。過去を知りたいだけなら、転換点だけで十分でしょう。平穏な日々のことなら腐るほど覚えていますから、私は抜け落ちた記憶に近い時間から、大体のことを推測できます。それに全てを見せるとなると、何年もの年月がかかってしまいますから――、まさか記憶を見るためだけに五、六年も寿命を消費するなんて、そんな非効率なことは誰もしたくないでしょう? ですから、重要なところだけ切り取って、お嬢様に渡したのです。私自身の記憶ですから、継ぎはぎするくらいは、簡単に出来ますし。それにお嬢様は、私の元を去る時、自分の記憶をくれたではありませんか。その記憶が残っている限り、私目線の記憶が消えても何の支障もありません」

 しかし、ユリは、自分から質問しておきながら、興味なさげなようだった。

「ふーん、そうなんだ」と、そう言うと、お腹の辺りに気になるところでもあるのか、服の中に手を入れて、円を描くようにして擦っている。

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「それにしても、十一年って随分と早かったのね。私は、もう少し持つと思っていたのだけれど」

「そうですか? 私はお嬢様の記憶を見終わる前に、お嬢様の身体が魔素でいっぱいになってしまうのではないかと、内心では戦々恐々で。今回は、出来るだけ急いでやって来たつもりだったのですが」

「へ? あー、確かに。考えようによっては、持った方なのかな? 私、外で沢山無茶やって来ただろうし。……ほら、記憶が全部飛んじゃってるから、魔法をどれだけ使ったか、とかいちいち覚えてないのよ」

 ユリは早口で言いきって、自分よりさらに口早に現状を説明しようとし始めるシャーロットに、もういいからと釘を刺した。

「で、お嬢様。いつ帰られますか。明日の朝にしますか? それとも、もう少し外を堪能してから帰りますか? お嬢様が望むなら――」

「今すぐに、帰ることは出来ないの?」

 そう不思議そうな顔で言ったユリを、シャーロットは目を真ん丸にして見つめる。

「ええ、もちろん。今からでも私はお供致しますが……、正直、出来るだけ長い間外に居たいものだとばかり思っていましたので、それなら準備を――」

「可能性を聞いただけよ。早まらなくていいわ」

 冷静な口調で言いつつも、ユリは動き出そうとするシャーロットの腕を押さえつけていた。そのまま部屋を眺めまわし、記憶を見始めた時と変わりなく、すやすやと眠っているルーツの寝顔をじっと見つめる。

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