第125話 究極に自分勝手な存在

「シャル。私、分かっちゃったんだよ」

 シャルは、いつの間にか輪郭がぼやけた瑠璃色の球体に包まれていた。周囲に光は無いのに、球体はシャルの背後の森を、まるで昼下がりの木陰にいるかのように、ぼんやりと映し出す。

「楽しいことってね、一回知っちゃうともう駄目なんだよ。戻れないの、決して。あとは暗い穴の底に――、深みに落ちていくだけ。行きつく先に何かがあると願って」

 シャルは球体を、右手でつう、となぞっていた。だが、触れたらすぐに割れてしまいそうなぐらい頼りなく見える瑠璃色は、意外と頑丈で、依然、形を保っている。

「私、殺してる間に自分の本性が分かっちゃったんだ」

 本当に? 

 何かが私に問いかけた。

 本当に、殺している間に初めて知ったの?

 本当は、前から分かってたんじゃないの?

―――――――――275―――――――――

「出来るだけ、いいえ、世の中のことを全部知りたい。それは、年中暗い部屋の中に閉じ込められている反発心からきてるんだと思ってた。自由に動き回れない苛立ちからきてるんだと思ってた。外に出れたら、この衝動は消えるって。でも違う」

 そう。全然、違う。全くの見当違い。

「私はね、自分より他人がたくさん知ってるのが我慢できなかっただけなの。誰よりもいっぱい知りたかっただけなの」

 みんなと同じことをしたかったんじゃない。普通を目指していたんじゃない。誰かと比べて、自分が少しでも劣っているのが我慢できなかった。私は、自分より幸せな人が許せなかっただけなんだ。

「誰かから奪ってでも、知りたい。貴方に分かる? 手に入れたいって言葉の意味。教えてもらいたいじゃなくて、手に入れたいだったの」

 だから、外に行ってもこの悪癖はきっと治らない。どこまで行っても、私より優れた人はいる。私より知識を持った人はきっといる。その人より、あらゆる点で勝らないと満足できない。

「手に入れなければ、分からないこともある。じゃあ、世界に一つしかない物があったら? 奪うしかない。持っている者から。嫌だと言っても、無理やりに」

 でも、私から何かを奪う者は許さない。自分が奪っておきながら、他人に奪われるのは我慢ならない。究極に自分勝手な存在。それが、私。

―――――――――276―――――――――

「ねえ、シャル。貴方はずっと私の元に居てくれるわよね。どこかに行ってしまったりしないわよね」

 ましてや、私の大切な物を奪おうとする輩は絶対に。

「うんうん、って何度も頷いて……ほんとかなあ。これだけじゃ分かんないよ。私は、シャルの心までは読めないんだし」

 私から離れていくのも許さない。

「じゃあ、手綱つけとこっか。こうすれば、永久に私の管理下に入るから、誰に取られることも無い」

 私は、口元を少し動かした。すると、真っ白な一枚の紙が、私の手元に突如として現れ――、シャルは身を震わせた。辺りに、球体をガンガンと叩く音が木霊する。

「ねえ、シャル。一つ、プレゼントしてあげる。私の記憶をあげるよ。これまで私が生きてきた思い出が全部詰まった、濃密な記憶。貴方に見て欲しいの。貴方に私の全てを知ってほしいの。そうだよ、どうして今まで気が付かなかったんだろう。こうするのが、一番よかったのに。そうすれば、全部一気に解決するのに」

 本音と虚言が入り混じっている気がした。これは、半々ぐらい。半分は本当、半分は真っ赤な嘘。私は最初から知っていた。こうなることを知っていた。気が付かなかったんじゃない。今まで気づかなかったふりをしていただけなんだ。無知な子どもを装って。

―――――――――277―――――――――

「嬉しいでしょ? 私のことをもっと知ることが出来るんだから。シャルは前から知りたがってたもんね。もっと、お嬢様のことが理解できるようにならないと、って口癖のように――それに、残念だけど、世界をたくさん見て回るには、どうしてもシャルはお荷物になっちゃうもん。だからね、おとなしくお城で待っていて。私が帰るまで。……暇はさせないわ。私がいない間も、記憶の中の私が遊んであげる」

 偶然殺してしまったことで、未知の悦びを知ったんじゃない。私はあらゆる可能性を考慮に入れていたんだ。きっと前からずっと興味を抱いていたんだ。生物の恐怖の感情にも、自分の手で何かを壊す快楽にも。だから、目の前に選択肢が表示されたら躊躇なく実行した。その結果、どうなるかは薄々分かっていながら、私は自分でやってみたくてたまらなかった。

「殺さない、じゃ生き残れないの。今までの日々は、お部屋の中でシャルと過ごした平穏な日々は、外の世界を生き抜くにはどうしても邪魔になってくる。覚えておくと、もしもの時に、躊躇してしまうかもしれないから。だから、貴方にあげる。勘違いしないでね、押し付けてるんじゃなくて、あげるのよ」

 部屋を抜け出せばどうなるか。誰が追ってくるのか。城の人々がどう動くのか。シャルは何を思うのか。考える時間は、限りなくあったはずだ。私は長い間、ずっと暇を持て余していたのだから。考えていない方が、不自然だ。

―――――――――278―――――――――

「さあ、受け取って。私の思い出」

 自分の立場を考えて、何年も一人で考えて、今日計画を実行した。そっちの方が合理的。そもそも、行き当たりばったりで、こんな悲惨な結末を迎える方がおかしいのだ。偶然が重なって、今がある。そんなわけがない。そうだとすれば、悲しすぎる。

「どうしたの、シャル。もしかして嫌なの? 私のこと、嫌いになったの?」

 私は、自分が外に出るために、完全に自由になるために、もっと多くのことを知るために、追手も、シャルも、全てを利用したに違いない。この結果を、現状こそを目指していたに違いない。先ほど感じた感情は、シャルを失ってしまうかもしれないという恐怖は、全て偽りの物なのだ。仮面をかぶった私が周囲を騙すために作り上げた薄っぺらい感情なのだ。

「そんなわけないよね、シャルは私の命令なら喜んで従うもんね」

 一時でも、私が優しく見えたのは、いま私が居るのが、自分を慕っているシャルの記憶の中だからなのだろう。だから、全て。全ては幻想。シャル以外の人の記憶を見れば、それがよく分かるに違いない。私は、本当に自分のことしか考えていない。自分が良ければ、他の者がどうなろうとそれでいいと思っている。だから、急に態度を軟化させたことも、シャルといた時のあの気持ち悪い言動も、笑顔も、直前にシャルに好意を抱いているように見せたことも、シャルを心配していたことも、森の中で男に出くわしたとき恐れを抱いたのも、シャルが死んでしまうんじゃないかと胸が張り裂けんばかりの気持ちになったことも――、全ては演技なのだ。シャルを取り込むための。利用しやすくするための。

―――――――――279―――――――――

 どうして、この記憶がシャルと出会ったところから始まったのか、やっと分かった気がした。一部を切り取って見せられたのならまだしも、こうまで全てをさらけ出されては言い訳すら出来やしない。ありのままを、受け入れるしかない。

 私は最初から、シャルをずっと使い捨ての道具としか思っていなかったのだ。友だちになったように見えたのは、シャルが図鑑づくりに熱心だったから。話し相手として残したのも、ずっと都合のいい存在が欲しかったから。友だちとしてなんかじゃない。いいなりの道具として。

「だから、もう、ついてこなくてもいいよ」

 紙が、球体を覆う膜を何の抵抗もなく通過する。

 私は全身が弛緩しているシャルに、無理やり紙を握らせた。これで、シャルは長い間、記憶という名の夢を見ていられる。

「そんな目で見ないでよ。いつかは戻ってきてあげるんだから。私が外に居られる時間は限られているけれど。その時に――、帰ってきた時に貴方が変わっちゃってると困るのよ。死んじゃってたら、もっと困る」

 シャルは相変わらず、球体を叩いていた。単調に。その行為が何の意味も成さないと分かっていながら。こもった声は、私の声にかき消されて聞こえない。

「さっきも言ったけど、私はシャルに待っていてほしいの、私が帰るまで。帰るべき場所として、変わらずにいて欲しい。ずっと私だけのシャルでいて欲しい。でも、一人で部屋に何年も残しておいたら、きっとシャルは変わっちゃう。孤独とか、怒りとか、貴方にふさわしくない感情のせいで。だから――」

 私の記憶の中に閉じ込める。私の考えが詰まった記憶を目に焼き付かせて、私色にシャルを染め上げる。

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「ね、すっごくいいアイデアでしょ? 考えを共有すれば、もっと親しくなれるわよ、私たち。魔素がいっぱい身体に溜まって、これ以上は外に居ちゃいけないってなったら、また思い出をたくさん持って帰ってきてあげるから。そうしたら、今度こそお城の中で、二人で遊ぼう? 私が遊び惚けて、帰るの忘れちゃってたら、その時は迎えに来てよ。その頃には、記憶も終わってると思うから」

 今よりもっともっと、私に夢中にさせる。どんなことをしても、恐れないで、慕ってくれるように調教する。

「お嬢様の考えていることが、私にはよく分かりません」

 シャルの弱々しい声が聞こえた。

「大丈夫、今はわかんなくても、記憶を見た後には、私が考えてることも全部わかるようになってるよ。だから、ほら、早く破いて」

 他にどうすることも出来なかったのなら、どちらかを選ばなければいけなかったのなら、片方を切り捨てるのは当然だったんだ。男が言ったことは間違っていなかった。私も間違っていなかった。間違っていたのは、今までの私の価値観だった。殺さなければ、生きていけない。何かを犠牲にしないと、大切な物は守れない。どっちも欲しいなんて、傲慢だ。

 私はおかしくなってなんかいない。今までが狂っていたんだ。忘れていただけだったんだ。これが、正常なんだ。これが私。私の考え方そのもの。

―――――――――281―――――――――

「破いて……破け!」

 痺れを切らしたかのように、私が無表情で怒鳴ると、シャルの両手は紙をゆっくりと破き始めた。私は、中央から分かれていく白紙を少しの間見守っていたが、隙間から文字が湧き出て、シャルの顔を這いずり始めたのを見ると、微塵の名残惜しさもないようで、くるりと後ろを向き、暗い森の中へと歩き去っていく。

 その行先を目で追って、気づいたときには、ユリは暗く埃臭い、廃墟と化した住居の中へと帰っていた。



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