第二十章 本当の私
第120話 私のせい
西の空が真っ赤だった。ずっと目を開けていたせいか、少女の眼も真っ赤に充血していた。夕焼け色に染まった千切れ雲が、おぼろ雲の下を、帰りを急ぐ少年少女のように、駆け足で流れていく。
全部、私のせいだ。私が巻き込んだのだ。
少女は、自責感に苛まれていた。
シャルも、遅れてやってきたイレートスとかいう大きな鳥も、それからシャルの友だちも、私が馬鹿なことを考えつきさえしなければ、誰も怪我を負わずに済んでいたのだ。苦しむ事も無かったのだろう。恐ろしい目に遭う事も、戦う羽目になる事も。
こんなに大ごとになるなんて思いもしなかった。誰にも心配されていないと思っていた。シャル以外は誰も私のことなんて知らないだろうと。お父様も、私の事なんかとっくに忘れてしまっているだろうと。そう思っていたから――、まさか追手が来るなんて、考えもしていなかった。
全部、これは全部、私のせいなのだ。自分のことだけではなくて、シャルや周りの人たちのことに少しでも頭を巡らせていたのなら、他にいくらでもやりようはあったろうに。どう謝ったらいいんだろう。どう償ったらいいんだろうか。
怪我をしただけならまだよかった。いや、駄目だけど……、簡単に治るような傷を負ったくらいなら、いつかは許してもらえるのかもしれない。だけどもし、仮に誰かが私のせいで命を落としてしまっていたのだとしたら?
―――――――――249―――――――――
少女はその可能性に気づき、震え上がった。自分の身勝手のせいで、独りよがりな心のせいで、誰かが死んでしまっていたのだとしたら。きっと私は一生――、いや死んでも許されない。謝ってもどうにもならない、取り返しのつかないことをしてしまった。外に憧れたばっかりに、一時の感情に左右されてしまったばっかりに。
それなのに、私ときたら、誰かを手に掛けるのが怖くて。自分よりも弱いはずのシャルの後ろで、ただ見ていることしかしてこなかったのだ。
シャルが男に殺されかけていた時も、何をしていたかと言えば、黙って震えていただけで。……最低だ。私。自分が傷つくことを恐れて、皆に痛みを押し付けている。
何時までも空を見上げていないで、いい加減に現実を見なければいけないことは分かっていた。だけど、怖かった。ただ視線を少し下げるだけの行為が、とても恐ろしいことのように思えてならなかった。
ひょっとして、このままずっと目を背けていれば、辛い現実から逃げ切ることが出来るんじゃないか。黙ったままでいるとそんな考えばかりが頭に浮かんできて、少女は甘えた気持ちを振り切るため、一度両目をしっかり閉じた。それから薄っすら目を開き、恐る恐る手元を見る。
そして、軽く開かれた手のひらにピントを合わせて、少女は初めて、現状に違和感を覚えた。大きな鳥が助けてくれて、シャルは無理やり少女を抱きかかえ、森の出口を目指していたはずだったのに――、視界が少しも揺れ動かない。
もしや、シャルは立ち止まっているのだろうか? 誰かが後ろから追いかけてきているこの現状では、見通しの悪い森は、一番の危険地帯であるはずなのに。
―――――――――250―――――――――
そう疑問に思い、顔を上に向けて、シャルの様子をうかがおうとする。そして少女は、身の毛がよだつような悪寒を覚えた。少しざらざらした感触。違う。肩のあたりに置かれた手。違う! いま私を抱いているのは、シャルじゃない。
例えるなら、夜道で振り返った時、真後ろに知らない人が立っていたような感覚。いつの間にか、シャルが見知らぬ誰かと入れ変わっていることを知り、恐怖で少女は腰を抜かしかけ、それから、自分の知らない間に状況が随分と変わっていることに怯え、意識を遠くに飛ばし逃げていたことを悔やんだ。
なぜ――? 捕まった? 気が付かなかった? どうして? というか、この人は誰? 森の入り口で見た男でもない。シャルと一緒にいた女中たちでもない。私を捕まえに来たの? 探しに来たの? 何の目的で――、シャルはどこ?
目線が宙をさまよった。そしてすぐさま、見知らぬ人たちが近くに幾人も立っていることに注意がいく。この人たちは、追手なのだろうか? だけど、それなら私を捕まえれば、それでお役は御免のはずなのに。どうして彼らは城に戻ろうとしないのだろうか。目的は達せられたのに。まるで皆、それよりも重要な目的があるみたいに、一点を見上げて――。自然と少女の眼もその一点に向いた。地上から少女十人分の背丈はありそうな枝の上。そこで、数人の男女が何かやっている。
―――――――――251―――――――――
一度見て、理解できず、二度見て、受け入れられず、三度目で。ようやく少女はその男女が誰で、何をやっているのか気が付いた。変わり果てた姿になったシャルが、そこには居た。血のあぶくを口から垂らして、死んだようにぐったりしている。
横の少年は、どうしてシャルの首を絞めているのだろう。
シャルが苦しそうだ。やめてあげて。このままじゃ息が出来ないよ。喋れないよ。どうしてこんなに酷いことが出来るの? 笑っていられるの?
鼻の穴が膨らんで、目に熱い物がいっぱい溜まった。涙が流れるより先に、鼻水が垂れてきて、息が段々と苦しくなってくる。
このままだと死んじゃうよ。息が出来ないと死んじゃうよ。どうしてシャルが。誰か、シャルを――。だが、いくら心の中で助けを求めても、説明を求めても、返事をしてくれる者は誰もいなかった。
シャルがまた殺されかかっている。今度は一人ではなくて、数人に囲まれて。追手達は私を捕まえることが出来たのに、それでもなおシャルを殺そうとしているのだ。
だったら――、ああ、多分。シャル以外のみんなは……私が逃げられるように協力してくれた鳥さんも、私を見つけようと森の中を探してくれたシャルの友だちも、みんなみんな殺されてしまったのだろう。
あんなふうに。首を絞められて。苦しんで。なんて残酷な――。
いや、全ての原因は、やっぱり私にあるのだろう。あの人たちは、私に関わったせいで、命を落としてしまったようなものなのだから。
ひょっとすると、あの人たちは、シャルの一番の友だちだったのかもしれない。
ひょっとすると、あの鳥さんは、シャルの大切な人だったのかもしれない。
それなのに――、私が外に出たいとわがままを言ったばっかりに、シャルの交友関係は全て無茶苦茶になってしまったのだ。すべて、全部、何もかも、私のせい。
きっと、私さえいなければ、全ては上手くまわっていたのだ。だけど、今さら私が消えたところで、もうどうにもなりはしない。
―――――――――252―――――――――
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます