第115話 浅ましい


「……楽しく盛り上がっているところで悪いんだが、少しだけの間でいい。口をつぐんでいてはくれないか? 誰かが口を開くたびに、頭が段々こんがらがってくる」

 眉間を抑えていた男が苦々しい口調でそう言ったところで、納得いかぬという表情で、追手たちは肩をすくめた。そして珍しく、パッタリと喋るのを止めてしまう。

 だが、その間生じた静寂は、あくまでも、一時的なものに過ぎず、いつまでも続くようなものではなかったようで、

―――――――――217―――――――――

「言い残すことがあるのなら、今ここでいっておくといい」

 と、男がシャーロットの方を見て、最期の言葉を尋ねてくれている間にも、

「旦那様に逆らった大罪人に、口を開く権利なんかないはずなのに……」などと、

 明らかに憎しみに満ち満ちている様子の女の声が、風に乗って聞こえ始めていた。

 けれども、男の方はと言えば、言うだけ時間の無駄だろうと、そう思ってしまっているのか。もうこれ以上、仲間の追手たちを咎めるようなつもりは全くないようで。

 その代わりにもう一度、言い残す言葉を尋ねられてしまったシャーロットの頭には、命乞いともとれるような言葉の数々が、ぼんやりと思い浮かび上がり始める。

 だが、そもそものところ、この追い詰められた状況下で、まだ生き残る手段が残っているとするならば。それは、必死に謝って、追手のご機嫌空模様に託すことではなく。たったひと言で全員を説得できてしまうような、そんな画期的な考え方が思い浮かんでくるように、何かに祈ることぐらいなのだろう。

 もしくは、その前に――。神頼みに走ってしまう前に、たとえ何も伝わらなかったとしても、一度くらいは説得を試みてみるべきなのかもしれないと、追手たちの楽し気な会話を耳にするまでは、シャーロットはそう思っていた。

 追手たちが、ただ忠実に、自らの職業に準じているだけの存在なら、条件次第でこちら側に引き入れてしまう事も可能なのかもしれない。

 たった一度の名演説や、金銭的な話し合いで、まとめて心変わりしてくれる可能性もゼロであるとは言い切れないのかもしれない。

 ふとしたことで、何が一番、双方のためになることなのか気が付いて、思い直してくれるかもしれないと、そう考えていた。

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 だが、追いかけてきたのは、誰かの忠実な飼い犬では無かった。心を持たない機械人形でも無かった。一つの悪意ではなく、八人の追手だった。

 その証拠に、あの人たちは、リーダーらしき存在が命令を下しているにもかかわらず、好き勝手に振舞ってしまっている。その他にも、反論したり、決定に憤ったり、それよりも食事の方を優先したり……? 

 よくよく考えてみると、ろくな奴がいないような気もするのだが、だとしても。

 この追手たちは、いわゆる「悪の手先」のイメージに当てはめることが出来るような、統率の取れた存在ではなかったようで、シャーロットは説得を諦める。

 各々が確固たる意志を持っているならば、複数以上の人々を、一言で納得させるなんて芸当はまず無理だろう。

 それに、あの時イレートスの手によって、簡単に見抜かれてしまったように、シャーロットは、少女を襲う敵に立ち向かっていく覚悟は持っていても、善良な同僚たちを殺すような覚悟までは持ち合わせていなかった。


 すると不意に、まるで「早くしろ」と、暗に催促されているかのように、片腕に巻き付いたロープがきつくなった。

 けれども、事前に考えてでもいない限り、残したい言葉なんてものが、すぐに見つかるわけもなく。答えを求めて視線を下げると、胸元の少女と視線が通い合う。

 ……いや、ほんの一瞬だけ、通い合ったように感じられただけだった。

 現実の少女は、どこか虚ろな眼差しで、此処ではない所を見つめたまま。

 イレートスや他の女中たちを此方のいざこざに巻き込んでおきながら、自分たちだけで逃げてきてしまったことが、よほど身体に堪えていたのか。それとも既に、それ以前の男との戦闘で、精神をすり減らしてしまっていたのか。気を失っているわけではなさそうなのだが、まったく反応を返してくれる様子がない。

 そして、その様子を見ていると、少女の心はただでさえ、こんなに弱り切ってしまっているのにと、シャーロットは、我が身の安全のことよりも、少女の精神の状態の方がだんだんと心配になってきて。

 ――このあと仮に、すぐ目の前で、私の死を目撃してしまったら、お嬢様の心は今度こそ、修復不可能なほどまでに壊れてしまうのではないだろうか。

 一度そう考えてしまうと、シャーロットは、何よりもまず第一に、このあと行われるであろう凄惨な場面から、少女の存在を遠ざけずにはいられなかった。

 だから、せめて最期の一時まで――、この命の火が燃え尽きるまでは少女と一緒に居続けたいという、ささやかな願いを抱きつつも、

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「……その前に、お嬢様を。先に城まで連れて帰ってもらえないかしら」

 声が出てきてくれたことに感謝しながら、涙を呑んで、シャーロットは言った。

「あと、出来ることならこの子も一緒に。この子は、私が勝手に連れてきてしまっただけだから。此処に居たことを、出来れば咎めないであげて欲しいのだけど」

 そう言いながら、気を失ったままでいる女中をちらりと見て、巻き込んでしまったことを心の中で詫びる。すると、

「その点については、安心してくれていい。閣下が我々に命令なさったのは、君を刑に処することと、お嬢様を連れ戻してくることだけだ。街の住人が森に倒れていたのなら、我々には保護する義務がある」

 男はそう言って、シャーロットに詰め寄ろうとしていた女を手で制し、糸を優しく手繰るように、両手を巧みに動かした。

 そうすると、抱きかかえていた存在がするりと腕から抜け出ていって――、いったい、どんな魔法を使ったのだろうか。少女の身体は、まるで風を受けた綿毛のようにふわふわと宙を漂いながら、ゆっくり地面に近づいていく。

 また、背後の女中も、まるで見えない何かに引っ張られているかのように、木に吊るされたままのシャーロットからだんだんと離れていって、

 地面に立っている男の額くらいの高さまで降りてきたところで、隣の女が背伸びして、女中の方は地べたに寝かせ、少女は自分の腕の中に抱え込んだ。そして、

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「おい、レイナ。お嬢様を――、まあ大丈夫だとは思うが、念のため先に城まで連れていってくれ。体に障ったら大ごとだ」

 男はそう口にしたのだが、少女を抱えた女の人は、機嫌を損ねたような顔をする。

「……そこでどうして私の名前が出てくるわけ? 私に、あんたの指図を受ける義理はないんだけど。そもそも私は、この誘拐犯が口を開くこともまだ許していなかったつもりだったんだけど! だいたい、お嬢様の身体が心配だと思ったのなら、人に用事を押し付けてないで、あんたが自分で城まで連れ帰ればいいだけなんじゃないの?

 それにどうせ、あの女は、自分が殺されてしまうところをお嬢様には見せたくないから。なんていう、らしくもない気遣いで、ああ言ってるだけなんだから。わざわざ言う通りになんてしてあげなくても、お嬢様の両目に手をかざしておきさえすれば、希望を叶えてあげたことになるんだし。だいいち、誘拐犯の希望なんて、聞いてあげる義務もないわけなんだし! 

 ……ちゃんと目を隠してあげたんだから。これでも充分すぎるくらいでしょう? 充分だと思うのなら、とっとと最後の言葉とやらを吐き捨てて死んでくれない? こっちも色々忙しいんだから。予定がいっぱい詰まってるんだから。いつまでも、あんたみたいなアバズレと、顔を突き合わせているわけにもいかないのよ」

 その女の言い方には少し癪に障るものがあったのだが、少女が心に新たなトラウマを抱えずに済むのなら、シャーロットはそれで満足だった。

 それでも、唯一心残りがあるとすれば、それはもちろん、残される少女のことだったのだが、きっと、少女の心に空いているぽっかりとした穴は、此処に居る追手たちや、他の女中たちとの出会いによって次第に満たされていくに違いない。

 それに――、少女が今でも本当に、どんな犠牲を払ってでも外に出たい、外で暮らしてみたいと思っているのなら。たとえシャーロットがいなくとも、少女はまたいずれ一人でどこまでも突っ走って、道を切り開いていくことだろう。

 仮にもし、この中の誰かが、私のあとを継いで、新しい側仕えになってくれるのなら……、誰であっても少女に翻弄される姿が目に浮かぶ。

 だから――。何も言い残すことはありません。

 シャーロットは、ぼそりとそう言った。言った気でいた。が、意思に反して口は動いていなかった。先ほどはすぐに声が出たというのに、どういうわけか今になって、口は頑として固く結ばれたまま、一向に開く様子がない。

 そんなことをしても、数瞬後に訪れるであろう死は、既に決定していて変わらないというのに。ひょっとすると、私の身体は、ほんの少しでも死を先延ばしにしようと、空しい足掻きを見せているのだろうか?

―――――――――221―――――――――

 そう考え、浅ましいことこの上ないと、潔さの欠片もない自らを、シャーロットは厳しく評した。誰が見ても、形勢はもう明らかなのに、私は生にしがみつこうとしている。既に可能性はなくなってしまったのだと、分かってはいるはずなのに、それでも私は生きる道を探そうとしてしまっている。

 死の寸前で、一度イレートスに命を救われたせいで、救い出してもらえたせいで、覚悟すらも、何処か遠くに落っことしてきてしまったようだった。


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