第114話 追手

 失念していた。どうして、追手が一人だと思い込んでいたのだろうか。気が付けば、シャーロットはいつの間にか、八人の男女に囲まれていた。一切の物音を立てず、対象に接近し、罠を仕掛ける。よく練られた……とまではいかないが、行き当たりばったりではない、考えられた犯行だ。いつから幻覚にかかっていたのかさえ、シャーロットには分からなかった。

 逃げることに必死だったとはいえ、存在に気づけないほど差があるのだ。もうこれ以上逃げることは出来まい。何度か体を振ってみて、自分の力だけでは、枝の上に這い上がることすら厳しい。そう気づいたところでシャーロットは抵抗するのを止めた。少女は胸に顔を埋めたまま、動きもしない。

「シャーロットだな」

 森の入り口で出会った男と同じ口調で、地面の上の男は言った。一瞬、同一人物なのかと思ってしまったシャーロットはイレートスの安否を思い、ぞくっと身を震わせたのだが、体つきが全く異なっていたため、俯いたままの姿勢で息を吐く。

「今から君を処刑する」

 男は仕来りに則るように有無を言わせぬ口調でそう言った。分かってはいたのだが、先の男のように、少女を懐柔してくる様子はなく、全てにおいて淡々としているというのが、初めの印象だった。

 だが、おそらくは、森の入り口で出会ったあの男が常軌を逸していただけだったのだろう。本来なら、追手たちは少女を傷つけることも許されていまい。そう考え、シャーロットは諦め、目を瞑った。だがその時、初めに言葉を発した男の隣に立っていた女が、激情に駆られたように口を挟んだ。

―――――――――211―――――――――

「ねえ! ちょっとあんた、その子に手出してないでしょうね。俯いてないで答えなさいよ!」

 言葉には、深い憤りがにじんでいる。

「やめろ。処刑が先だ」

 男が無愛想な口調で静止しようとしたが、

「殺したら聞けないでしょ! 馬鹿なの? 脳みそにゴミでも詰まってんの?」

 育ちが悪そう。聞く人が、思わずそんな偏見を持ってしまうようなトゲトゲした口調で女は続けた。

「落ちた首にでも聞け」

 男は、眉間をつまみ、苛立たし気にしている。

「言っとくけどねえ、旦那様は、もうそれはすんごい取り乱してらしたのよ。あんな姿、今まで見たことなかったわ。お嬢様のことがそれは心配で、心配でたまらないご様子で――」

「レイナ。そろそろ黙れ。あと、閣下のことを馴れ馴れしく、旦那様と呼ぶのは金輪際やめろ。お前のそのうるさい口も、ここで一緒に切り飛ばしてやろうか?」

 今度は、シャーロットの頭上の枝に立っている、背丈の低い男が重い声で言った。

―――――――――212―――――――――

「わかった。もう喋らない、一生口きかない、目も合わせてやんない」

 女はフンと顔を横に向ける。男の他六名は、いつものことか、とでも言いたげに、気にも留めていなかったが、隣の、まだあどけなさの残る若者だけが、慌てて小声でとりなそうとしていた。

「それは無いんじゃないかなあ。レイナさんはお嬢様のことが心配で言ってるわけだし」

「あんたは黙っといて。その少し、離れたところから物を言うような話し方、聞いてると腹立つのよ。まるで他人事みたいに涼しい顔しちゃって」

「だって、実際他人事じゃん。こっちは仕事だから仕方なくやってるだけで、金さえもらえりゃ正直どうでもいいし……それに、今回の仕事はあんまりよくわかんないんだよね。だって聞くところによると、閣下はお嬢様の世話を傍付きたった一人に任せてたって言うじゃん? それも、休みもろくに与えずに。噂がほんとなら、責任は閣下にも少なからずあるんじゃないかなあ。誘拐犯が死刑なのは、まあ免れないとしても、娘をずーっと放っておいて、自分だけ被害者ぶるってのはどうにも」

 しかし、自分の立場が悪くなるのを見て取るや、若者もすぐに攻勢に回る。

「なに? あんたも、旦那様のことを、悪く言うってわけ?」

「いや、別にそういうわけじゃないんだけど。……何だかなあって。なあ、お前もそう思うだろ?」

―――――――――213―――――――――

「知るかよ。話ならあいつに振ってくれ。こっちはいま、休むのに忙しいんだ」

 話を振られたもう一人の若者は、単純に興味が湧かなかったのか、それとも口論に巻き込まれたくないと思ったのか。手にした袋から、ひっきりなしに何かを口に運んでは、食べかすを地面にボロボロとこぼしてしまっている、下腹がぽっこりと突き出た中年男性に話を受け流した。

「え、僕?」

 見ると、小太りの男性は、丁度、歯と歯の間に物が挟まってしまったところだったのか。口の中に指を入れ、爪で掻き出そうとしている状態で注目を浴び、動きを止めている。

「いや、やっぱもういい」

「喋らないで、口開かないで、息しないで、ついでに死んで」

 これほどタイミングが悪い事例も他にないだろう。少し可哀そうではあるのだが、中年男が弁明を思いつく前に、若者と、嫌悪感を顔に張り付けた怒り心頭の女性は、厳しい言葉を浴びせかけていた。

「死ぬってのは、あんたもよ。此処にいる奴みーんな、旦那様への敬意が足りないわ。旦那様の優しさが分かんない奴はみんな屑。等しく死ぬべき。そうじゃない? 特に薄らハゲ、大切な話の最中に物を食べるような奴は八つ裂きにされるべきよ……あんたに言ってるのよ? そのくちゃくちゃ音。垂れ流すのやめてくれる? 不愉快だから。肥溜めの中でやってくれないかしら?」

―――――――――214―――――――――

 女性が誰にでもあんたあんたと言いすぎるせいで、正直シャーロットは、目の前の女性が誰に話しているのかこんがらがってきたのだが、当人たちの間ではめでたく会話が通じているらしく、

「薄らハゲって……僕、言うほど、おでこ広くないと思うんだけどなあ。薄らデブなら分からなくもないけど。間違ってない? レイナちゃん」

 中年男は、女性の言葉が存外ほとんど堪えていないのか。だらっとした顔のまま、自分の額を脂ぎった手で触りつつ、平気な様子で会話を続けていた。

「じゃあ、デブも追加よ。薄らハゲ。どうせ、あんた、生え際から禿げ上がりつつあるんだから、どっちでも変わんないでしょ? あと、ちゃんづけ止めろ。気持ち悪い。あーこれ、冗談じゃなくて、マジで言ってるから。ほんとに気持ち悪いから。声だけじゃなくて、存在そのものが。あんたもデブも、これが終わったら、自分で首切って死んで。墓標替わりに庭の柵でも立てといてあげるわ。飼い犬のふんは、此処でさせてくださいって大きく書いてね」

「ちなみに僕は、殺さなくてもいいと思うよ。別に反省するまで牢屋かどっかに閉じ込めとけばいいじゃん。誰も怪我してないんだし。そういえば、レイナちゃん、昼ごはん食べてきた? 前、貧血気味だって話してたけど、昼抜くと体に毒だよ? おなか減ってると、怒りやすくもなるし」

「はあ? 今そんなこと関係ないでしょ! それに、怪我するとかしてないとか、そう言う問題じゃないの。旦那様を裏切ったことが問題なのよ! 旦那様の心をかき乱すなんて――。その罪が命以外で償えるわけがない。いいえ、何度殺しても殺したりないくらいだわ!」

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 何を言われても全くへこたれない様子の男に、女性は、シャーロットそっちのけで吐き捨てるように文句を垂れる。一方、その頭上でも、ひと組の男女が木々を挟み、ぺちゃくちゃと楽し気に喋っていた。

「いーや、首切りは譲れないね。……知ってるかい? 人の首ってのは、城門に晒しただけで威嚇効果があるんだ。閣下に逆らったらどうなるか。不埒な城下の者どもに教えてやることが出来る。そうすれば、毎日毎日、まるで餌を待ちわびるひな鳥のようにピーチクパーチクさえずっているあいつらも、ちっとは静かになるだろう」

「あら。誰もが知っていることを長々と、どうもありがと。でも、首を晒したいだけなのなら、死体を切断すれば済む話じゃないかしら。わざわざ生きてるうちに切り飛ばさなくったって。どうせなら、生きているうちにしか出来ないことをしましょうよ。ほら、綺麗な首を見せるよりも、酷い傷跡を見せた方が喜ぶ――、じゃなくて、怖がる人も増えると思わない?」

「おい。別に俺たちは殺しを楽しみにきたわけじゃないんだぞ」

「そう? 私は大歓迎だけど。貴方、見かけによらず小心者なのね」

 話している内容は、誘拐犯の処刑方法という日常とは遠くかけ離れたものであるはずなのに。なぜだか会話に温かみがある。奇妙なことに、気づけばシャーロットは彼らから、先の男とは似ても似つかぬ暖かな雰囲気を感じ取っていた。

 この追手たちは、普段もよくこうやって、軽口や減らず口を叩いている仲なのだろう。それが分かりすぎるほどよく分かる。

 こんな時だというのに、シャーロットの眼には、城の階段の側で、厨房で、何気ない話から論争になり、同僚と言い合いをしていたかつての自分の姿が、そして友人たちの面影が、彼らに重なって見え始めていた。

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 森の入り口で出会った男は、命令されずとも日常的に殺しを楽しんでいそうな狂気をひけらかしていたが、彼らからは、忠誠心溢れる一人を除いて、抜きんでた異常さは伝わってこない。聞こえてくる暴力的な語句とは裏腹に、この人たちは、普段殺しとは無関係の場所にいるのだろう。そんなことがおのずと分かった。わざわざ強い言葉を使うのも慣れていない証拠。会話の端々から、態度から、隠しきれない生活感が、滲み出てきてしまっている。

 きっと普段はシャーロットと変わらない毎日を送っている。それどころか、同じような仕事をしているものもいるのかも。

 少女を傷つける意図は彼らにはない。だからこそ、彼らは本当に大穴を用意するでもなく、大人数で時間をかけて、シャーロットをわざわざ囲み、少女を安全に確保できる方法を用いたのだ。そう思ったら、突然身体から力が抜けていった。自分が此処で死んだところで、少女が逃げてくれさえすれば何の問題も無い。仮に捕まってしまったとしても、この人たちなら。きっと私よりもうまく、少女に接してあげられる。


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