第110話 同族
「けれども、その結果、お嬢様は左腕が使えなくなってしまったわけですし。それも計画の内だというなら、その思考は、低俗な私には理解できませんねえ」
男は、シャーロットの思考を見透かすように言った。
「お嬢様、あなた、殺したことないでしょう」
人を馬鹿にするような、下卑た薄笑いが聞こえてくるようだ。
「怪我でもない、喧嘩でもない。殺し。したこと、ありますか?」
「見くびらないで。こう見えても、あんたより、人生経験はずっと豊富なんだから」
少女は、挑戦的に言った。
「今日だって――」
そう言って、昼間狩ってきたばかりの、ロドラの幼体を見せつけようとする。
「おおっと、まさか。低俗な獣を数に入れようというわけではないでしょうね。そんな、我々が歩いただけで勝手に死ぬような輩を、勘定に入れるなんて」
男は大袈裟に驚いて見せた。
「お嬢様、私。それから、そこの女。私が、言っているのはこういうことです。獣ではなく、魔獣を殺した経験はあるのかと」
男は自分の首を掻っ切る仕草をしながら言う。
―――――――――183―――――――――
「いや、魔獣と呼ぶのは不適切かもしれませんね。例え、魔法が使えたとしても、卑しく、意地汚い、四足歩行の獣の恰好をした魔獣など、何匹殺したところで、何の価値にもなりますまい。魔獣であるにも関わらず、人の形をした――低俗な者どもが陰で懼れて読んでいるところの、悪魔。そう、悪魔を、同族を殺したことがあるのかと、聞いているのです」
「さあ、どうかしらね」
少女ははぐらかそうとする。しかし、声は震えていて――殺したことがない、と自白しているようなものだった。
「いいや、無いね。はったり利かせようったって、そうはいかない。私には分かります。試しに今、お嬢様が何を考えているか、当ててみせましょうか。私を殺さずに、生かしてとらえる方法は無いか。すべて丸く収める方法は無いものか。手首を外されたというのに、なんとお優しいことか。貴方様は下賤の者どもの命を御気に掛けていらっしゃる」
過度な敬語から、男が高を括っているのが分かる。
「動かない木なんて、取るに足りない。逃げるだけの獣も数にもならない。確かに、遊びにはもってこいだが――、あの自分の死を確信した時の怯えた目。そして、なおも向かってこようとする心意気。生と死を賭けた心躍る闘い。生が実感できるのは、同族と戦っている時だけです。私に言わせれば、殺しをしない者は、生きながらにして死んでいるようなもの。折角与えられた、殺戮の権利を行使しようとしないんだから。どうです……今、此処で、私を殺してみませんか? お嬢様?」
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「言われなくても、殺してやるわよ!」
少女は、声を張り上げた。憎々し気に男を見て、残った右腕で魔法を放つ。だが、その攻撃は単調だ。ただ、男めがけて撃っただけでは、先ほどと同じように簡単によけられてしまうだろう。男は、避けることすら必要ないと言いたいのか、両手を大きく広げている。
しかし、次の瞬間、シャーロットの、そして多分少女の予想にも反して、男は魔法をまともに食らい、吹き飛ばされた。落ち葉の中に身を沈め、天を見上げている。
なんだかよくわからないが、倒したのだから喜ぶべきだろう。そう思い、シャーロットは少女と手を取り合おうとした。だが、やはり致命傷には至らなかったようで、男はすぐに、手も使わずにむくっと起き上がる。そして、陽気な顔を二人に向けた。
「な、殺せなかっただろ?」
命中したのは確かだろう。胸の辺りからはうっすらと、一筋の白煙が立ち上っていた。が、どういうわけか男は痛みすら感じていないようで、ピンピンしている。
「臓器の前で、魔法が止まっているんだ。お嬢様が、殺すまいと思って魔法を放ったから。魔法は、私の命を奪う寸前で消滅した」
「私は殺すつもりで撃った! そんなの偶然よ!」
「じゃあ、もう一度、試してみるかい?」
今度は、男の手元から閃光が発射され、二人の傍の地面を焼き焦がした。
―――――――――185―――――――――
「私は今まで多くの者を殺してきた。ある時は、脱獄犯を。またある時は、町の風紀を乱す輩を。後ろの女を殺すのも、命令が下されれば、お嬢様を殺したとしても、悔恨の念に駆られることなど一切ない。後腐れなくすぐに殺すのを、主義に掲げてるもんでね」
退け、とばかりに、少女をシャーロットの前から追い払おうとする。が、少女は頑なに退こうとしなかった。何処かで自分の心がストッパーをかけていて、本気で魔法を放てない。魔法は何の役にも立たない。男が親切にも、それを教えてくれたから、今度は体を張って守ろうと、シャーロットの前に立ちふさがっている。本来なら、少女は守られる側であるはずなのに――。
「さっきも言ったけど、絶対にシャルは手を出さないでよ。真剣勝負に水差すような真似するなら、例えシャルでも許さないんだから」
「真剣勝負? 片方は、殺す覚悟も無いのに、ですか?」
男は鼻で笑った。
「私の役目は主、そしてその所有物を守ること。もちろん、私がおらずとも、主はご自身で賊を倒せると、分かってはいますが――、それでも、もしもの時のため、日々鍛錬を積み重ねている。その私に、力を抑えて勝てるとでも?」
「力を抑えるつもりはない。全力で、それでも勝てないというなら、道連れにしてでも――」
―――――――――186―――――――――
「いけません!」
例え、少女を犠牲にして、シャーロットが生き残ったとして、どうなるというのだろうか。召使いは替えが利く。だが、少女の代わりは誰もいない。
「シャル、手を出さないで、って言ったでしょ」
「口を挟むなとは言われてませんよ。もっとも今から、手も出しますけどね」
シャーロットは女中を下ろし、前に出た。同じく、シャーロットを遮って前に出ようとする少女といがみ合う。
「困ったなあ、道連れなんて」
男は他人事のように、とぼけた顔をしていた。
「女はどうなっても構わないと言われているけど、お嬢様を殺しちゃあ、逆に私の首が飛んでしまう」
シャーロットの脳裏に、少女と友だちになってやって欲しい。そう丁重に頭を下げてきた時の、主の顔が浮かんだ。人当たりのよさそうな、いかにも部下の信頼を集めそうな顔だ。あの時、頼みを引き受けたばっかりに……いや、シャーロットは後悔してはいなかった。安定した給料より、平穏な日々より、少女との毎日は金や言葉では例えられないくらいの価値を持っていた。その結果、少しばかり寿命が縮まったところで、誰が文句を言うだろうか。
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だが、誘拐犯と間違われて死ぬのは、だいぶ癪だった。確かに、少女が外に出てしまった責任の一端はシャーロットにあるのだが……こちらの言い分も聞かず、殺しに来るなんて。あの下々の者でも、一人ひとり信じてくれていた主は、この数年間で何処かに行ってしまったのだろうか。
「そうだ! 私が来る前に、お嬢様は既に誘拐犯のせいで気がふれていて、私はやむなく誘拐犯を殺して帰ってきた。そういうことにしよう。うん、それなら多少傷を負わせてしまったところで、文句は言われまい」
そしてこの、名も名乗らない男に殺されるのも納得いかない。だが例え、気に食わなくても仕方のないことはあるのだろう。少女を押しのけて、前に出れば殺される。それは、はっきりしていることだった。今はもしもの誤射があるといけないから傍観しているだけで、少女が退けば、男がシャーロットを殺さない理由はない。だのに、死の瀬戸際にあって、シャーロットは意外と冷静だった。まるで、まだ奥の手。とっておきが残っている悪の親玉のように、心は波立たず、落ち着いている。この状況になって、誰かが助けに来ることを信じている。
「なんだ、そのふてぶてしい顔は。今更、謝る気にでもなったのか?」
そう聞かれても、なぜ震えずに、大胆な態度をとっていられるのか自分でもわからない。
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「さあ、どうでしょうね」
少女に押し負けないように、必死で抵抗しながらシャーロットは言った。
「退いてよ! シャルが死んでも、何にも良いことないじゃない。私なら、数発は受け止められるから――」
「いいえ、お嬢様、これが私の役目なのです。なぜなら――」
自分でも次に続く言葉は分からなかった。
が、空からやってきた奇妙な黒鳥がその続きを持ってきた。
「私は時間を稼ぐことしか出来ないから」
「君は、時間を稼ぐことが出来るから」
空気が揺れる。大気が揺れる。そして、いつの間にか耳にしていた羽ばたきは止んでいる。仕事を辞めたろくでなし。万年床の引きこもり。見慣れた大鳥、イレートスが二人の前に舞い降りていた。
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