第106話 未練の塊
「ずるいです、ずるいよ」
ただの独り言、呟きから、心の叫びを乗せたかのように、それは大きな声になって、森中に広がっていく。
「ずるいです、お嬢様!」
残陽に赤く染まり始めた森に、既に溶け込むように姿を消していた小さな少女に向かって、天まで届けとばかりに、シャーロットは叫んでいた。
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「ずるい、自分ばっかり。六年間も一緒に居たのに、直前まで何も言わずに置いて行くなんて……、私は唯一の召使いでしょう? 一人だけのお嬢様の忠実な側仕えでしょう! しもべでしょう‼ 一人で森に行くなんて、危険です。獣が出るかも、罠があるかも、川に落ちるかも……戻って――、私も連れてってください‼」
ぜえぜえと、声を嗄らしながら、夕闇に向かって叫ぶ。
「連れて行けば、きっといいことがあります。掃除も出来ます、洗濯も出来ます、食事も、宿の手配も――」
がっくりと冷たい地面に膝をつき、懇願するように言う。
どうして、目の前にいる時に言えなかったのだろう。
言う気になれなかったのだろうか。
……いつでも、そう。
手遅れになったその時に、シャーロットはようやく気が付くのだ。そして、間に合わないと知っていながら、その時になってみて、慌てて過去の過ちを反省する。それの繰り返し。だから、一向に成長しない。失ったものばかり、増えていく。
「お嬢様は自由を手に入れたのに、ずるいじゃないですか。私は、お嬢様を失って、それで――、私にいつもと変わりない日々を過ごせって言うんですか。出来るわけない、出来るわけないですよ。忘れてなんて言われたって、忘れっこないです。六年も――、いいえ、時間の問題じゃないんです!」
気恥ずかしいから、面と向かっては言えなかったのだろうか。だったら、私はなんてどうでもいいことに囚われていたのだろう。それよりも大事なことが、人が、目の前からいなくなってしまったこの時に、ただ指を咥えて、見て見ぬふりをしているだけだったなんて。呆れられても仕方ない。だけど、
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「私の要望も聞いて下さい。私の願いも叶えてください。一緒に、隣に居させてほしいんです。……それでも、もし、私が足手まといで、邪魔になってくるようでしたら、傍に置いてくれなくとも構いません。力仕事でも、使いっぱしりでも、なんでもします。連れて行ってくれないんだったら、こっちから追いかけます。見つけるまで、いつまでも、ずっと。ずっと」
どうやらシャーロットは、自分で思っていた以上に恥知らずだったらしい。心の中では、仕方ない、などと諦めておきながら、口先から出てくるのは未練の塊だった。
「……ねえ、シャル。後を付けまわされることほど、気分を害することも無いと思うの。だから、それは止めてちょうだい」
うんざりしたような声が聞こえた。
「それは……、そうですよね」
シャーロットは、気落ちしたまま呟く。そうだ、そんな自分勝手な要望、受け入れてもらえるわけがない。私は側仕え、そしてお嬢様は――。
「お嬢様?」
目の前に人影が立っている。その姿には、ありすぎるほど見覚えがあって――、黒髪の小さな少女が、ダブって見えた。
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「そんなに一緒に来たいのなら、勝手について来ればいいじゃない。別に、誰も駄目だなんて言ってないでしょ?」
そう言うと、少女は、両の手を腰に当てて、しょうがないなあ。と、軽く言い、シャーロットの手を取ってくれる。そして、
「……お嬢様。帰ってきてくれたんですかあ……」
「別に、忘れ物を取りに来ただけよ」
そっぽを向いたままそう言うと、少女はシャーロットを引っ張り上げ、少し恥ずかしそうにこう続けた。
「……ねえ、シャル。口うるくて、いつもおどおどしてて、言われたことしか出来ないけれど……とっても優しい、私だけの側仕え。ここら辺に落としてきちゃったような気がするんだけど、シャルはどこにいるか知らない?」
「お嬢さまあ、ここですぅ」
「ちょ、止めて。服に鼻をこすりつけるのはやめて。鼻水垂れてるから……ほら、これで拭いて……」
そう言いながら、少女は、綺麗な手拭きを差し出してくる。刺繍の施されている、いかにも高級そうな布を汚すのは躊躇われたのだが、だからと言って、自分の手で拭くわけにもいかず、シャーロットは仕方なく、チーンと鼻を大きくかんだ。
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「随分と時間がかかったのね、もう行ってしまおうかと思っていたところよ?」
「待っでで、ぐれたんですが」
どうやら、上手く喋る事が出来ないのは、鼻水とは別の所に要因があるらしい。
少女が待ってくれていたことや、自分を受け入れてくれたこと。
それが嬉しくって、嬉しすぎて、感情が束になってシャーロットに押し寄せてきて、小さな胸ではもうこらえきれない。
シャーロットは、それよりもっと小さな少女の胸にすがりつくように、もう離さないとでも言うかのように、少女の服の裾をぎゅっと掴んだまましゃくりあげるようにして泣いた。当然、涙に加えて、鼻水はふたたび生産されたが、少女はもう何も言わなかった。シャーロットも必死になって、鼻を啜った。
「で、どうするの?」
シャーロットのしゃくり泣きが収まったところで、少女は言った。
ひと泣きしたせいなのか、急に恥ずかしさがこみあげてきたものの、シャーロットは顔を背けることはしなかった。たった今、少女を失いかけた身としては、恥ずかしさを感じられることも、また幸せだった。
「もし、行き先を尋ねられているのでしたら、森を抜ければ、小さな集落はいくつか在りますが……、今日はもう暗いですし、森の中で、安全な場所を探しましょう。此処から南南西に少し行ったところに、千年前から立っている――、ほら、以前話したあの大樹があるので、まずはそちらに行くということで、どうでしょうか?」
もう付いて行くことは決まったとばかりに、今後の予定を口にすると、少女はうんうんと首を縦に振ってくれる。
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「良いんじゃない、じゃあ、移動しましょう」
どうやら少女も受け入れてくれているようだった。
待ち受けるのは真っ暗闇。立場は城に、財産は家に置いてきた。
シャーロットは一日にして、安定した立場から落っこちて、何も持っていない今の状態に落ち着いた。だが、悲壮感は湧かなかった。それどころか、この身体中をうずうずとした期待が這いまわっている。
おそらく今なら、押し寄せてくるものが何であったとしても跳ね返せるだろう。シャーロットはそんな自信に満ちていた。二人の今後には、暗いことが何も待ち受けていないかのように思えた。
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