第104話 好きに生きさせてよ!
「腐るのよ」
「……腐る?」
「ええ、腐るの。普通、外から取り込んだ魔素は、何もしなくても勝手に放出されるんだけどね。魔毒症の患者は、大体この一連の流れに障害を抱えてる。定説によれば、魔法で無理やり放出しようとしても、魔素の一部が外に出て行かずに逆流し、体内に留まり続けるみたい。すると、古くなった魔素は身体の中で腐り始めるの」
「腐ったら――」
「魔素は私たちの身体と……親和性がとても高い、とでも言えばいいのかしらね? 純度が高ければ、高いほどそう。魔素が腐り始めたら、すぐに身体も魔素と同じようになる。そうね、魔毒症の患者に対する実験の本には、瞬く間にぐずぐずのスープみたいに溶けてしまうって書かれていたわ」
「魔法を使わなければ、大丈夫。そういうことですか?」
「そうとも言えないわ」
そう答えると、少女はおもむろにしゃがみこみ、地べたを這うように咲いていた小さな花を一つ摘んだ。
細い茎を親指と中指でつまみ、擦り合わせるようにして花弁を回転させる。
―――――――――148―――――――――
「排出器官がおかしくなっちゃってるんだから、魔法を使わないと、取り込んだ魔素は全部身体の中に溜まったままになっちゃうの。そして、やっぱりその場合でも、魔素は体内で古くなるわけだから――」
「いつかは腐ってしまう」
「そういうこと」
「それで、お嬢様はどうやって克服したんですか?」
堪りかねたようにシャーロットは言った。魔毒症の詳しい説明では無くて、少女の今の状態が知りたかった。だから、
「今、こうして外に居て、何も問題が生じていないという事は、ちゃんと病気を完治させた。……そう考えてしまってもよろしいんですよね」
矢継ぎ早にそう続ける。だが、
「ん? そんなことは、一言も言ってないはずだけど……」
返って来たのは、そんな言葉と、不思議そうな眼差しだった。
「完治どころか、病気は年々酷くなるばっかりよ」
「だって、じゃあ――今すぐ戻らないと! 身体が溶けちゃう!」
「落ち着いて、シャル。あなたらしくもないわ」
少女は、ヒステリックになったシャーロットに押さえつけるような言い方をした。
「大丈夫って言ってるでしょう? 私のことが信じられないの?」
それでも、シャーロットはソワソワしたままだった。
助けを求めるように後ろを向いてはみたものの、先輩たちもどうしていいか決めかねているようで、選択を委ねることは出来そうにもない。
―――――――――149―――――――――
「別に今日が、初めてってわけじゃないの。最初に実験を始めた日から、もう五年が経ってる。あなたに何も言わなかったのは、悪いと思ってるけど……」
少女は、何かを思い出そうとしているように額をトントンと指で小突いていた。
「たしか――、アレニア。……シャル、覚えているわよね。最初にあなたが持ってきてくれた花のこと」
そう言われ、シャーロットは即座に頷く。
「あの時、あなたが私に見せてくれたアレニアには――、まあ、外に咲いていたものだから当然なんだけど、魔素が詰まっていたのよね」
感慨深そうな口調でそう言いながら、少女は手元を見つめていた。
「だけど、その時の私には、その当然が珍しかったの。だってそれまで、あの時の私は、生きている物を。シャル、あなたを除いては、図鑑の中でしか見たことが無かったんだから。だからもちろん、あの時の私は、図鑑と違った表情を見せていくれる、生き物自体にも興味があった。けれど、私が本当に求めていたのは、魔素が含まれた生き物を、この口で食べてみることだったの」
そう言われ、シャーロットは、少女がまず必ずと言っていいほど、外から持ち込まれてきた生き物を、最後には口に入れていたことを思い出した。
だが、あれはただ単に、舌で味を確かめていただけ。詳細な図鑑を作るための行動だと思っていたのだが――。いや、先ほど、少女は何と言っていた?
たしか――、魔毒症の患者というのは、取り込んでしまった魔素を一切、排出できない身体の持ち主である、というようなことを呟いていたような気がする。そして、体内に長い間溜まった魔素は腐り、持ち主の身体を死に至らしめるのだ。
であれば、まさか。少女は死ぬために、シャーロットを焚き付けて――。図鑑づくりはただの名目で、私はお嬢様の自殺を支援していたということなのだろうか?
―――――――――150―――――――――
「あの時、最初に外の世界の物を目にして、食べた時から、私はずっと自分の身体を観察してきたの。もちろん、シャル。あなたが帰った後に、やっていたことよ。身体が腐っていないか、まだ平気か。時には、何種類もの生き物を混ぜ合わせて食べたり、口以外の場所から摂取したり、とにかくあらゆる可能性を試して――、それで五年経って、ようやく大丈夫だと分かったの。害になるはずの魔素は、私の身体に何の悪影響ももたらさなかった。時間とともに魔素が腐るなら、とっくに私の身体は駄目になってるはずなのに。定説の間違いを、私は見つけたのよ!
古くなるから腐るってのは誤りで、私の考えだとおそらく、魔毒症は時間じゃなくて、体内の魔素の蓄積量が増えるにつれ進行する病。まあ、あの部屋の外に居たら、魔素なんて有無を言わさず取り込んじゃうわけで、時間がまるっきり影響しないわけじゃないし、どうして魔法を使うと病状の進みが早まるのかについては、未だに解明できてないんだけど。いずれにしても、今、空中に漂っている魔素の量は、私が一度に食べていた魔素よりずっと少ないから。身体が魔素でいっぱいになっちゃうのは、まだずっと先のことだろうし――」
「……ずっと先? つまりはやっぱり、少しずつ、影響を受けてしまっているってことじゃないですか!」
「シャル、最後まで聞いて」
もう一時だって待てない。そう思い、強引に連れ帰ろうとしたシャーロットを、少女はキッと睨みつけた。それで、シャーロットは弱気になってしまう。
―――――――――151―――――――――
「考えてみて。ずっと閉じ込められているのと、どっちが良いのか」
「でも、お嬢様。私は、お嬢様にずっと健康で長生きしてほしいのです。願わくば、私が死んでも、ずっと、ずっと。それは、城の者も、お嬢様のお父様が何より、望んでいることでしょう。だからこそ、お嬢様を思って――」
「私を籠の中に閉じ込めておこうと思ったわけね」
「そんなつもりじゃ……」
「いいえ、そういうことよ。お父様も……シャル。あなたもよ! 私のことをただの愛玩動物としか見てないから、そんなことが言えるのよ!」
少女の手の中で、つい先ほどまで咲いていた小さな花は、萎れ、干からびていた。水分をすっかり失ったようにパリパリになり、少女に擦りつぶされる。
「ねえ、シャル。飼われた鳥は幸せなの?」
シャーロットは、咄嗟に答えることが出来なかった。少女は、シャーロットが以前、小鳥を飼っていたことがある。そう前に話したことを覚えていて、尋ねていた。
幼少期、シャーロットはいつでも小鳥とともにいた。それはイレートスと異なり、言葉が通じない鳥だったが、二人は外で遊んでいる時も、ご飯を食べる時も、寝る時も一緒で、シャーロットは小鳥と意思を解し合っていると思っていた。
シャーロットがお風呂に入る時は、小鳥も水浴びをした。歌を口ずさんでいるときには、綺麗な声でさえずってくれた。夜寝る時は、傍で見守っていてくれた。
それに、シャーロットにとっての最古の記憶は、野原で小鳥を追いかけている光景で――、あの頃のシャーロットは、小鳥が自分の親友なのだと、一生の友だちなのだと、本気でそう思っていた。
―――――――――152―――――――――
だが小鳥は、シャーロットと同じ時を過ごすことが出来なかった。すくすく大きくなっていくシャーロットと違い、小鳥はいつまで経っても小鳥のままで、後にシャーロットは、小鳥が既に、多くの年を取っていたことを知った。
小鳥は病気になった。それは、加齢から来る避けられない病だった。それでも小鳥は、シャーロットが外出する時には、いつだって付いて行こうとしていた。だがシャーロットは、小鳥の寿命が縮むことを懼れた。冷たい外気に触れさせまいと、外に一切連れていくことを止め、怪我をさせまいと、鳥かごを作り、小さな空間の中だけで、小鳥と触れ合うことにしたのだった。
結果、それが功を奏したのか、小鳥はとっても長生きした。厳しい環境で生きる野生の鳥よりも、ずっと長く生きたと思う。だから、シャーロットは小鳥が死んだ時、泣きたい気持ちを抑え、笑って送り出した。満ち足りた笑顔を浮かべている――。身勝手にも、そんな言葉で小鳥の思いを代弁した気になって。
だけど――、
「わかるでしょう? 小さな部屋の中で、何も知らずに、何も見ずに、ただいつか訪れる死を待っているより、世界に出ていける方が幸せなの。私に構わないで、好きに生きさせてよ!」
小鳥は、空を飛び回りたかったのではないだろうか。籠の中で、何年もただ、餌を与えられるだけの生活を送るより、シャーロットの元を離れ、外で自由に、好きに生きて、死にたかったのではなかろうか。
死んでしまった今となっては分からない。いや、生きている間ですら、結局、意思疎通なんて出来ていなかったのかもしれないけれど――、下手な寿命の引き延ばしは、小鳥を苦しめていただけだったのかもしれない。
―――――――――153―――――――――
「檻の中は、もう嫌なの」
少女の言葉は、胸に刺さった。
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