第103話 魔毒症
「魔毒症って知ってる?」
少女は少しの間を挟み、そう言った。
おそらくは、それが、少女の病名だったのだろう。シャーロットは、その言葉を以前にどこかで耳にしたことがあった。けれども、それが何かの病気の俗称であることは知っていても、どんな症状なのかまでは知らなかった。
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すると少女は、まるでシャーロットが病気に罹ることを懼れているとでも言いたげに、「安心して、うつることはないから」と、微笑みながらそう言い放つ。
だが、もちろん、シャーロットには、そんなつもりは全くなく、
「たとえ病気になっても構いません」と、大きな声でそう告げると、
「病と言っても、体質みたいなものなの。私と一緒に居たからと言って、シャルは病気になったりしないわ」
少女は言葉を言い直して、また儚げに微笑んだ。そして、
「此処は、たくさんの魔素で溢れているのね」
そう言いながら、両の手で、何かを慈しむように掬いあげる。
けれども、こっそり手のひらを覗き込んでみても、その中には何もなく。
「これ? これは、魔素を見ているのよ。全ての魔法の元になる、生命の源の感触を確かめているの」
まるで、魔素が珍しいものであるとでも言いたげな少女の言葉に、シャーロットは首を傾げ、困惑した。
だが確かに、魔素というのは、少女が口にした通り、魔法の源とも呼べる存在である。と同時に、空気とまったく同じように、見えないけれども当たり前にある存在であり、程度の差はあるけれど、植物はもちろん土壌にも、そして果ては空気にも。ありとあらゆる生命体や世界中のどこそこに、あますところなく溶け込んでいる存在として認知されていた。そして数多の生き物は、獣という一部の例外を除いて、呼吸や食事を通すことで、魔素を体内に取り込んで生きている。
けれどもそれは、この街では幼い時に――、読み書きよりもまず先に、親から教えられるものであり、そして誰からも教えられずとも、自然と知っていることだった。
だから少女の発言は、右足と左足を交互に動かせば、上手く前に進むことが出来る。もしくは、ずっと呼吸を止め続けていると息が苦しくなってくる。とでも言っているようなものであり、余りにも当たり前すぎることをつらつらと述べられてしまったシャーロットは、その意味を図りかね、ポカンと目を見開くようにする。だが、
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「魔毒症って言うのはね。分かりやすく言うと、この魔素に対する過敏症のようなものなのよ。魔素を吸いこんじゃっても駄目、食べちゃっても駄目、となると――」
その言葉で、話が繋がったことを見て取るや、一歩遅れて青ざめた。そして、
「ちょ、ちょっと待ってください。それなら、つまり――、生きるための行為全てが、拒絶の対象になるってことじゃないですか!」
一歩遅れて突っ込んで、少女が今まで部屋の中から出ていけずにいた真の理由に気づき、ひとりでハッとし、息をのむ。
「あの部屋は、外の魔素を通さないように造られたものなの。食事も、魔素が混入しないように、細心の注意が払われた私専用の特注品。以前、調べてみたことがあるんだけど、どうやら過度に熱すると、魔素は死滅するらしいわね。魔素が妖精族の幼体だっていう見方もあるから、意外と理は通ってるのかもしれないけど」
「ですが――、」
「それなら、わざわざ危険を冒してまで、傍付きを寄こす理由がない。……シャルは、そう言いたいんでしょう?」
少女は、シャーロットが考える事の、先手先手を打つように言った。
その結果、言いかけた言葉を何度も飲み込むことになってしまい、シャーロットは少し息苦しさを覚える。
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「私も、どうしてお父様が、誰かを部屋に入れる気になったのかは、未だによく分かってないんだけど……、私の部屋まで来る間に、不自然なくらい長い廊下があるでしょう? それで、大体のことは説明がつくわね」
そして、少女は続けて言った。
「普通の人は、魔素が無い空間に閉じ込められることなんて死ぬまでないだろうから、考えても見ないんでしょうけど――、シャル。あなたを貶めるつもりは無いんだけど、私が思うに、あなたが私の傍付きとして選ばれたのは、この城の女中たちの中で、一番魔法の才能が無かったからだと思うの。だって、みたところ、シャルは魔素をほとんど溜められない身体をしてるみたいだし。それも、数十秒くらい息を吐き続けたら、身体の中の空気より先に、魔素が全部出て行ってしまうくらいに」
少女がそう断言するなら、そうなのだろう。
けれども、正直シャーロットは、自分の身体のことなどには、あまり関心が無かったので、はあ、とため息をつくように相槌を打つ。
「あの廊下を息継ぎなしで走り抜けることはまず不可能。だから、あなただけは部屋の中に魔素を持ち込むことがない。お父様はそう考えたんじゃないかしら? ……もちろん、シャルが獣なら、廊下も必要なかったんでしょうけどね。獣の体にはそもそも魔素を溜めておく器官が備わってないみたいだから。どれだけ植物や他の獣を食べたところで、魔素は体をすり抜けるように、それこそ水が零れるより早く、魔法を使う暇もなく排出されちゃうみたい。……あーあ、私も獣だったら良かったのになあ」
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今の話の、どこに獣へ憧れを抱く点があったのだろう。と、そう思い、困惑していると、少女も話の行き先を見失ってしまったのか、ひとつ咳払いをする。
目を細めて、首を傾げ、額をコンコンと叩くその仕草に、シャーロットはまさか何処まで話したのか忘れてしまったのかと、浮き足立った。
「えーと、つまり……魔法ってのは体内の魔素を塊として放出する行為だから、溜めておける量が多ければ多いほど、魔法の威力は高くなるのよ。まあ、それは全身に張り巡らせた魔素を余すところなく使えれば、っていう話なんだけど」
着地点が大きくずれてしまったような気がすると、そんなことを考えていると、少女は、シャーロットに背を向けた。そして、大きく息を吸う。
風もないのに、髪の毛が大きく膨らんだ――。そう思った瞬間、視界が爆発した。鼓膜が破れるかと思うほど、大きな音を伴った爆発が数回、連続で起き、思わず耳を塞いで、目も塞ぐ。気が付いた時には、少女の前には、城の一室くらいの丸い空間が生まれていた。つい先ほどまで、背高の木がそびえ立っていた所。そこにぽっかりと、浅い穴が開いている。木に絡まるように生えていた蔦も、地上に出た根っこに繁茂していたコケも、膝くらいまであった青臭い草も、花も、それに群がる虫たちも――穴は全てを削り取り、その場にあった何もかもを跡形もなく消し去ってしまっていた。それに、穴を覗き込んでいると、心なしか、その部分の空気まで消し飛ばされてしまったかのように思えてくる。
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「驚かせてごめんね。あの部屋にいた時は、ずっと使うの我慢してたから――、それに一度、シャルの前でも使ってみたかったの」
そう言いながら、したり顔に恥じらいを同じだけ混ぜたような顔をしてくる少女に、シャーロットはただ感嘆することしか出来なかった。
とは言っても、シャーロットも魔法が全く使えないわけでは無いのだが、知っているのは、ほんの子どもだまし程度のもの。
そして、出来ることはと言えば、なまぬるくなってしまった水を温めなおすとか、髪の毛くらいの重さの物体を、ほんの少しの間だけ、宙に浮かべてみせるとか。敢えて魔法を使わなくとも十分に可能なことばかりで、実用的というには程遠い。
攻撃的な魔法に限って言うと、まだ小さい時に一度だけ、つむじ風を起こしてみせたことがあったのだが、その後は、その場で昏倒してしまうほどの極度の疲労感に襲われて、立ち上がれなかった記憶があった。……だから、
「本当に、凄いです」と、シャーロットは心から、少女に対して賞賛を送る。
すると、こんなに褒めてもらえるとは思っていなかったのか、少女は、少し照れくさくなってしまったようで、
「そんなことないわよ。コツさえ掴めば誰でも出来るし」
と言いつつも、まんざらでもなさそうに、はにかんでみせる。だが――、
「それこそ、魔毒症の患者だったとしても、魔法を使うことは出来るの。ただ、その場合には、死への覚悟が必要とされるのだけど」
そう言ったあとは、急に真剣な顔つきに変わった。
「死って……、一度使ったくらいなら、何の問題もないんですよね?」
シャーロットの疑問に少女は、何と答えたらいいのか、困ったような顔をする。やがて、ポツリと口を開いた。
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