第100話 ずっと友だちでいたい
重い扉をこじ開けた。だが、部屋の外にも少女の姿は見当たらない。
ただ、この辺りの窓たちは全て外から打ち付けられて開かなくなってしまっているはずなのに、どこかからか隙間風のようなものが入りこんできているようで、燭台に灯った青い炎がゆらゆらと揺れ続けていた。
そして、シャーロットは程なくして、通路の端にある窓が一枚、破られてしまっていることに注意が行く。とは言ってもその窓は、破られているというよりも、消し飛んでいるといった方が近いような状態になってしまっていて、
それを見ているとシャーロットは、少女が廊下を通ってか、もしくは、窓伝いに降りるようにして、外に出て行ったことを認めざるを得なくなってくる。
そこで、シャーロットは、服の後ろについているポケットから、小型の耳当てを取りだして、イレートスの姿を思い浮かべてみたのだが、
「イレートス、イレートス! 出て!」
気が動転していたのか、それとも単に気が付かなかっただけなのか。
気づけばシャーロットは、手に持っていた耳当てを、まるで拡声器を使う時の要領で、自分の口元に近づけて、ひとりでそう呼び掛けていた。すると、
「うるさい……分かったから……はい、此方から、かけなおし……ま……す……」
「イレートス!」
「どちら様……って……なんだあ、急ぎの用かと思えば、シャルかあ」
たっぷり数十秒は待ったあとで、あくび混じりの男の声が、耳当てを通じて聞こえてきた。だが、その声は、もう今にも、また眠りの世界に落ちていってしまいそうなほどゆっくりで――、完全に寝惚けてしまっている。
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「大変なの」
「どうしたの? 僕の睡眠時間が削られることの方が、よっぽど大変なんだけど」
「真面目に聞いて」
「何を言ってるんだい? 僕はいつでも大真面目さ。……そういえば今日、夢の中で君を見たよ。僕と一緒に静かな森の中で――」
「わかった。二度と頼まないし、話もしない。あと、シャルって呼ぶのはやめてくれない? 貴方にはその呼び方を許したつもりないから」
事は一刻を争っている。シャーロットは、いつまでも道化を演じるイレートスに、早々に見切りを付け、一旦耳当てを外そうとした。
だがその直前で、イレートスが止めた。
「ごめん。謝るから。切らないでくれ」
浮ついていた声が、急激に酔いが醒めた時のような焦った物へと変わっていく。
「要件は何? 仕事の途中でかけてくるんだから、よっぽどの事なんだろう?」
そう聞かれ、シャーロットは一瞬迷ったその後で、うんと頷き、口を開いた。
「私が目を離している間にお嬢様が……、知ってるでしょう? 私が今、仕えている少女のこと。外に出しちゃいけなかったのに……、ううん。違う。とにかく、今すぐに外に出て! 私で言うと……、胸くらいの高さの女の子を探して欲しいの。多分、城から出て――、森の方に向かったんだと思うから。その道を空から――、出来れば歩いて、見つけて欲しいんだけど」
まくし立てるようにそう言うも、シャーロット自身も城の外を目指して、長い廊下を走っているために、言葉はどうしても切れ切れに、伝わりにくくなってしまう。
だが、その代わりに必死さは、伝わってくれていると思っていたのだが、
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「……肉体作業かあ。あんまり気が進まないな。疲れてるんだ」
返ってきた反応は、とても好意的とは呼べないものだった。
まあ、そこまで詳しく事情を話しているわけではない以上、それは仕方のない事ではあるのだが、どうやらイレートスはこの件を、単なる迷子探しか何かだとしか考えていないらしい。それに、話を聞くのと、やる気が出るか出てこないかというのは全くの別問題であるようで――、耳当て越しに、ため息が聞こえてきた。
「もう、ひと眠りした後じゃダメかな?」
「駄目に決まってるでしょ、それに――」
イレートスが駄目でも当てはあったが、人手は多いに越したことはない。だから、
「疲れてるはずがないでしょう」
シャーロットは、嫌味ったらしくそう言った。
「なんで、君に分かるのさ」
耳当て越しから聞こえてくるのは不満そうな声。
だが、それは周知の事実である。
「だって、イレートス。二年前に、仕事。首になってるじゃない」
イレートスは沈黙した。
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たしか五年前、この仕事は無くならないと、イレートスはそう言っていたような気がする。だが、この五年。とある発明を皮切りに、通信技術の発達は進み続け、手紙を送り合う文化はこの街から消えた。言葉が添えられていない小包に関しても、離れた相手に送るのは近況が知りたいという意思表示。日常的に声が聞けるとなれば、そこまで物のやり取りは必要なかったらしい。
というわけで、時代遅れの職務に就いていた配達員たちは二年前、優秀な一部を除き、ついにそのほとんどがお払い箱になり、当然イレートスは失業した。
そして、それが余りにもショックだったのか。
新しい就職先はあっせんしてもらっていたはずなのに、彼はそれからは碌に仕事にもつかず、まだ取り壊されていない配達員時代の社宅の中で、食っては寝て、起きては食うといった自堕落な毎日を過ごしている。
だが、誰かと会話をしないどころか、食材を買いに外に出ることすらしていないせいか、彼はそれほど太ってしまっているわけではない。
むしろ、シャーロットが定期的に差し入れを持っていっていなければ、狭い部屋の隅っこで、ひとり寂しくお腹を空かせて死んでいた。なんて、そんな孤独な最期を迎えていても、全くおかしくはなかっただろう。
だから、そんなイレートスが忙しいはずがないことを、シャーロットはあらかじめ理解して、物を言っていた。
「ねえ。食事だってただじゃないんだから、こんな時ぐらい、手伝ってよ」
「ったく、うるさいなあ。この際だし、とっとと忌々しいこいつも売っちまうか。どうせ、喋り相手のいない奴には、あるだけ無駄なものなんだし」
「まあ、それは貴方の勝手だし、売り払いたいのならそうすれば? でも、今さらそんなものを質に入れたところで、せいぜい今晩の食事代にもならないと思うわよ」
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耳に付けるだけで、相手の声が聴ける小型の道具。その発明が、何百年と続いてきたと言われている、伝統ある配達員たちの仕事を過去の物にした。
発明当初は高額で、一般庶民には手が出しづらかったはずのこの品は、量産型が発売されると、すぐさま街全体に広まって、今では家庭に一台以上、いや、ほとんどすべての人に、毎日愛用されている。
もっとも、量産型の製品には、両者が、相手の姿を思い浮かべる事ができないと繋がらないという奇妙な制約が備わっていたのだが、
次第にその欠点は、知らない人からの連絡を自動的に遮断して、見知った者や用事がある者のみとストレスなく会話が出来るという、優れた防犯上の長所であるとみなされるようになり、今や不満に思う者たちは誰も居なくなっていた。
要するにこの道具は、配達員たちの完全な上位互換。多くの配達員たちのクビが飛ぶことを、皆がすんなり受け入れたのも分かりそうなものだった。
「……分かった。いいよ、探してやる」
結局、数分程が経った後に、イレートスはようやく此方の頼みを承諾してくれた。
が、それでもイレートスは、なんだかちょっぴり不満そうなので、部屋の中で何やらごそごそやっているらしい黒鳥に、シャーロットは今一度念を押す。
「お願いね。私もすぐにそっちに行くから。探し出してくれたら――」
「いいよ、別に。何も要らないから」
「そう?」
短い反応を返したところで、ようやく長い廊下が終わり、シャーロットは城門から真っすぐ入ったところにある大広間が見渡せる位置で、息を整えた。
吹き抜けになっている場所からは、かつての女中仲間たちが――、シャーロットの昔からの知り合いが談笑している様子が見えている。
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「他に頼る人もいないんだろ? 最初に僕にかけてくるぐらいだし。ん? どうして分かるのかって? 君の考えていることぐらい、声を聞けばすぐに分かるさ」
耳当てからはそれからも、イレートスの独り言が聞こえ続けていたのだが、シャーロットは無言で外し、ポケットの中へとそれを閉まった。
まったく、イレートスは無欲なところは良いのだが、変なところでキザで、鼻高になるのが玉に瑕なのだ。
最後のセリフは聞かなかったことにして、心の中で感謝した。
かつての先輩たちは、何も聞かずにシャーロットの頼みを受け入れてくれた。
小さな女の子を探している。一緒に見つけて欲しい。
シャーロットが話したのは、たったそれだけの事だったにも関わらず、分かった。と、自らの休憩時間を投げ打って、シャーロットに従ってくれた。
もちろん、互いの境遇をよく理解し合っていた仲であったなら、それも分からない事ではないだろう。けれどもシャーロットは、酒の席で下手を打ってしまったイレートス以外には、現在の職務の内容を誰かに話した覚えがない。
少女の側仕えになるために、前の職務から離れた時も、一身上の都合。そういう名目で、異動したことになっていた。
別に、主から、「黙っておくように」と、くぎを刺されていたわけではない。
「他の者には言わない方がいいだろう」と、そう言われていたわけでもない。
だが、かと言って、あちらこちらに言いふらしていいことでもないだろう。
そう思ったからこそ、別れの挨拶も言わぬままに、ある日突然、シャーロットは前の職場から姿を消したのだ。
とは言っても、勤めている場所が、お城であることは前と変わりなく、同僚たちと顔を合わすことがなくなるわけではない。
部下が突然、異動になる。それも、主の側仕えに呼ばれた次の日に。
それだけで、不信感を募らせるには十分だったはずなのだが、それからも先輩たちは特に事情を探ってくるわけでもなく、シャーロットに今までと同じように接し、時には飲みにも誘ってくれていた。
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もしかすると、事情を探ってこなかったのは、敢えて探らずとも大体の事は、シャーロットの態度を見れば、まるわかりだったからなのかもしれない。
聞かずとも薄々は、シャーロットが何をしているのか分かっていたのかもしれない。小さな女の子が、主の娘だということも知っているのかもしれない。
だが、それを面と向かって追及しないのが、先輩たちの優しさであり、シャーロットが慕っている理由だった。
そして、先輩たちの部下たちも。
最終的には、先輩たちが三人。部下を合わせて十一人もの人たちが、少女のためではなく、シャーロットのためだけに動いてくれて、シャーロットは動きやすい恰好に着替えた彼女らと一緒に、城門から森の方へと走っていく。
主に言って、大規模な捜索隊を派遣してもらうこと。
本当は、それが最善策であり、そうするべきだとシャーロットは知っていた。
だが、自分で探しもしないままに、泣きつく気にはなれなかった。
それに、たとえ力を借りるにしても、このような酷い失態をどうやって報告すればいいのだろう。
ありのままを打ち明けるとするならば、職務時間中の居眠りのせいで、少女が部屋から逃げ出してしまったと、シャーロットはそう伝えるしかないのだが、
そんなことを言おうものなら、その日中に解雇され、明くる日にはイレートスのように、無職の身分まで落ちぶれてしまっていることは想像に難くないだろう。
職を失うのは怖くなかった。だが、今の立場を失う事は恐ろしかった。
側仕えの任を解かれるということが、もう二度と少女と会う事が出来なくなることをも意味しているのだと気がついた時、シャーロットは、少女の父に気取られぬように、少女を城まで連れ戻そうと決心したのだ。
ずっと友だちでいたい。まだ、少女の元から離れたくない。そして、どうすれば、これからも少女と一緒に居られるのか。
シャーロットはそのことだけを考えて、森の中へと入っていった。
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