第101話 一番の理解者
城の北は、街の中心である住宅街に、南と東は、耕作地に繋がっている。最後に西だがこちらには、高い木々がそびえ立っている、深い森が広がっていた。
そして、森のそのまた先には、ところどころ緑が欠けており、ゴツゴツとした岩肌が目立っている、決して高いとは言えないくらいの山が見えている。
『自分で探す』
少女のその言葉が、真実である証拠はどこにも無かった。捕まらないようにするために、かく乱目的で、偽の情報を残しておいた可能性も無いとは言えなかった。
しかしシャーロットは、いきなり倒れた自分をベッドに寝かし、毛布を掛けてくれた少女を信じた。そして今までの日々を信じて、口を開く。
「各自、西にある森を。その中を探してください。見つけたり……、何か不審な物があったら、これで合図を。どうか、よろしく頼みます」
耳当てを指しながらそう言うと、集まってくれた方々はそろって真剣な顔で頷いてくれる。幸いなことに、先輩たちの部下というのは、面識がある者ばかりだった。
なかには、五年前にはいなかった新顔もいるのだが、シャーロットはそのそれぞれと、どこかですれ違ったか、何かの折に顔を合わせた経験がある。
その後に、何かあった場合に落ち合う場所を打ち合わせると、先輩たちは各々の部下を従え、藪の向こうに姿を消した。
そして、シャーロットも、彼女たちに続き、まだ昼時を過ぎたばかりだというのに薄暗い、鬱蒼とした森の中へと入っていく。
主に山へ行くために、最近ではほぼ毎晩のように、この森の中を通っていたのだが、何かを探す目的で、あても無く方々を駆け回るのは久しぶりだった。
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ネットリとした汗が背中にへばりついてくる。
物陰を一つ一つ探しては、落胆するという、気が遠くなりそうな作業を続けていると、捜索対象について、情報をもらうという事が、どんなに夜の仕事を簡単にしていたのか。シャーロットは、少女の配慮を思い知らされているような気がした。
どこにいるのか分かっていなければ、全く持って探しようがない。
ロドラの卵、もしくは幼体。それを取りに行っていることだけは、あらかじめ分かっていたのだが、初めて見る外の景色に魅了され、ふらふらと違うところに行ってしまっていることも考えられた。
少女の腕ならおそらくは、既にお目当ての物体を入手している時分だろう。それなら、いったいそのあとで、お嬢様はどこに向かうのか。
集まってくれた方々のことを考えると、非常に申し訳なくなってくるのだが、そこらを闇雲に探し回ったところで、見つかるわけでもあるまいと、
シャーロットは両目をともにしっかりとつむり、少女の特徴や、性格や、その普段の行いから、次の行動を推理しようと試みた。だが、
透明感のあるきめ細やかな肌。パッチリとした大きく澄んだ二重。夜の闇より暗く深い、艶のある黒髪。主張の少ない、鼻と口。普段は物静かだけど、本当はお喋り好き。自分の興味があることについては、時間が許す限り話し続けてしまう。好きな場所はふかふかのベッドか、積み上げた本の上。花と、縫いぐるみに目が無い……。
これほどまでに長い時間を一緒に過ごしてきたというのに、思い浮かんでくる情報は、身体的な特徴など、一見すれば分かってしまうような実に下らないものばかり。
どこに潜んでいるのか。または駆け回っているのか。それが、知りたかったというのに――、脳は、居場所を掴むことが出来るような手掛かりではなく、少女との思い出ばかりをシャーロットに突きつけた。
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今になって、いなくなって初めて分かることがある。私は、少女のことを知っているようで、実際にはまだ何も知らなかったのではなかろうか?
シャーロットは恥じていた。ただ一緒に居た時間が長かっただけで、少女の一番の理解者になれたと思い込んでいた自分を恥じていた。
少女のことなら何でも知っている。そう慢心した結果がこのざまだ。ずっと近くで過ごしていたというのに、行動の一つも把握できていないなんてあまりにも情けない。今まで何をやっていたのだろう、と自分を問い詰めたくなってくる。
自信はすっかり失われていた。新たな一面を知れて嬉しいと、そう前向きに捉えることは出来なかった。しかし、今は悲観的にならず、少しでも少女の立場になって考えるしかない。理解できるところから探っていくしかない。
自分が少女だったらどうするか。少女だったらどう振舞うか。
シャーロットはそう考えて、頭の中で、少女が通ったであろう道筋を一つ一つ丁寧になぞっていった。すると――、
部屋を出て、城門を潜り、家々が立ち並んでいる煉瓦道を駆け抜けて、まず、目の前に飛び込んできたのは広大な世界。
空を飛び交う小鳥たち。小川を泳ぐ魚たち。一歩一歩、踏み出すたびに、伝わってくる生命の感覚が、どれもまた愛おしい。
そして少女は、広い野原に身体を投げ出して、大の字のまま仰向けになる。
右を見れば、甘い匂いを放つ花の蜜を綺麗な蝶が吸っていた。
左を見れば、ぐんぐんのびる若草の茎を、小さなてんとう虫が歩いていた。
それから、目線を上に向ければ、雲がゆったりと流れていた。
だけども少女は、起き上がり、森の中へと入っていく。
自分の目的を思い出し、奥の方へと進んでいく。
時には木の根っこにつまづきながらも、奥へ奥へと進んでいった。
その後は、もう寄り道に逸れることもなく、ロドラの巣穴まで一直線。
夢の中で何度も何度も通い詰めていたみたいに、ほとんど迷うことも無く、目的のモノを入手する。そして――、
だがそこで、シャーロットの想像の中の少女は、なぜだかクルリと身を翻すと、元来た道を戻り始めた。
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『私、約束を破られるのだけは我慢できなくて――』
不意に、少女の今朝の言動が思い浮かび、頭の中で反響した。
反響したところで、シャーロットは目を開き、耳当てを付けた。それから、落ち着き払った声を出し、森の入り口に集まってくれませんかと指示を出す。
……そうだ。そうだったのだ。今まで、居なくなってしまった事ばかりに目が行って、少しも考えようとはしてこなかったのだが――、
テーブルに置かれていた書置きには、『待っていて』と、そう書いてあったのだ。
それなれば。職務上の理由で仕方なく、一緒にいたというのならともかくも。
側仕えではなく友だちとして、少女のことを考えていたのなら、不安であってもその言葉を信じ、あの部屋の中で待ち続けているべきだったのではなかろうか。
そう思い、シャーロットは、少し反省した。
もっとも、他人には約束を強いるけれども、自分は守ろうとすらしないような、そんな身勝手な価値観の持ち主がごまんといることは知っている。
けれども、少女がその例に、当てはまっているはずがないということだけは、自信を失ってしまった今でも尚、シャーロットは断言することが出来ていた。
たとえ、主観の入り混じった思い出に、根拠としての価値がなかったとしても、自分が今まで目にしてきた、少女の姿がその証拠。
今のシャーロットにしてみれば、少女と過ごしてきた歳月は、どんな理論よりも信頼の利く、何よりも確かなことだった。
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ふたたび、十二人は集まった。
その際、他の十一人を前にして、シャーロットは、少女の行動を知る事が出来た理由について、どのように説明すればいいのだろうと、非常に困ってしまったのだが、
そこは、懐が深い先輩方のこと。こちらの事情は特に聞かずに、シャルが決めたことならと、一緒に待っていてくれるようだった。
しかし、ほとんどの時間を瞑想に費やして、ろくに探していなかったシャーロットと異なり、先輩方は疲れ切って、既にへとへとになってしまっており、
身体中から草や木の青臭い匂いを漂わせてしまっている彼女等を見ていると、シャーロットとしてはこれ以上、個人的な事情に付き合わせ続けるのは心が痛んだ。
それに、落ち着いた様子の先輩たちに比べると、その部下たちは――、特にまだあどけなさの残る顔をした二人の女中たちは、ただ黙々と森の奥を見つめているというこの状況に、不安そうな表情を浮かべていたので、
「お嬢様は、私がひとりでお迎えしますので、大丈夫です」
シャーロットは集まってくれた面々にそう告げて、感謝の言葉を幾つか述べる。
だが、先輩方は、最後まで付き合うと言って聞いてくれず、結局、この場に居る全員が、来るかどうかも分からない少女の帰りをじっと黙って待っているという、傍から見れば、かなり奇妙な構図が出来上がってしまっていた。
空には黄色と赤色がだんだんと混じり始めており、夕暮れが近いことを教えてくれている。とっくに昼の休憩時間は、そして、午後の職務時間のほとんどは終わってしまっていることだろう。少し前までの焦りはどこへやら、シャーロットは既に少女が戻ってくることを疑っていない。むしろシャーロットは、自分のために、午後の職務を放棄することになってしまった彼女らの立場を心配していた。
――どうか、終業時間までにはお嬢様が帰って来ますように。
その思いに応えるかのように、それから待つこと数十分。
森の奥から足音が、小さくパタパタと聞こえてきた。そしてやがて、こちらに小走りで向かってくる見慣れたシルエットが見えてきて――、シャーロットはヨロヨロと足音の方へと駆け寄っていく。
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「お嬢様!」
「シャル!」
膝の辺りに見えているのは数多の小さな擦り傷たち。それが、木の根につまずいて転んだ結果である事を、シャーロットは、少女の思考を反芻した結果、知っていた。
にっこりと笑い掛けると、少女も笑って、頭ばかりが不格好に大きく、まだ羽毛が生えそろっていないせいか赤肌の、少しグロテスクな幼鳥を両手で高々と掲げる。
「お帰りなさい!」
「ただいま!」
二人同時にそう言って、少女はシャーロットの胸に飛び込んだ。
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