第79話 本当に狂っているのは

「貴様のことだ、娘。その手に抱えている子どもをこっちに連れてこい」

 その言葉に、ルーツは当惑した。権利や義務など、大人にだって難しいだろう話を小さな子にしたところで、まともな答えが返ってくるとは思えない。

「いったい何を狙って――」

 だが、文句を言いかけたルーツの声は赤鎧に遮られた。

「貴様の要望も酌んでやりたいが、その間何もせずに居るというのは貴重な時間の浪費だ。国に全てを捧げた身として、職務の放棄は許されない。そのため我々は先立って、ここ数年の男の行動について、一番身近で見ていたであろう子どもに聞いておくことにした。書類上、この男、――ジスベルトには一人娘が居たことになっている。詳細な審査をせねば確実ではないが、年齢を考えてもその子で間違いはないだろう。もしかすると意外なところから、何か有力な手がかりが得られるやもしれん」

―――――――――529―――――――――

 と、赤鎧はやけに説明口調で言ったのち、ルーツの方を見る。

「さて、貴様。これで、この男が正気に戻るための時間は作った。満足したか?」

 赤鎧の言葉は、確かにルーツの要望に沿っていた。聞かずとも全く問題なかったはずのルーツの頼みを、赤鎧は聞いてくれたのだ。

 だから、感謝こそすれど、ルーツにはこれ以上注文を付ける資格など全くないはずだった。なのに――、こんなにも不安でたまらないのはどうしてなのだろう?

 赤鎧に名指しされたユリは、ニーナをかばうように座り込んでいた。何と言っても目の前で、情報を聞き出すという名の元に、男が指を折られているのだ。

 この人たちは、たとえ相手が子どもであっても、無慈悲に傷つけようとするかもしれない。そう不安に思っても、仕方のない事だった。しかし、赤鎧は手荒な真似こそしたが、嘘を言ったことは一度も無い。それは、ユリも分かっていたのだろう。

「勘違いするな。誓って我々は、善良な市民を乱暴に扱うことはない。たとえ、その子が何も話さずとも、その場合は今まで通り。親に吐いてもらうだけだ。安心しろ」

 幾度かの説得の末、ユリは渋々立ち上がった。そしてそのままトボトボと、ルーツの傍を通り過ぎると、赤鎧の方へと歩いて行く。

 しかし、その時、何か大切なことを忘れているような感覚がルーツを襲った。

 知らず知らずのうちに毒に身体を蝕まれているような、不思議な感覚。不吉な予感が、だんだんと強くなってくる。そして、その予感は、ユリがニーナを差し出そうとした、まさにその時に顕在化した。

―――――――――530―――――――――

「この子は、もしその人が捕まったら、ニーナはどうなるんです?」

 ふと、頭の中に浮かんできた疑問。ルーツの声は小さかったが、ユリははっとしたように動きを止め、二、三歩下がる。

 そして、赤鎧は一瞬考え、何気ない口調でこう言った。

「片親の場合は――そうだな。成人しておらず、他に身寄りも居ないとなると、今までの慣例からして孤児院で保護されることになるだろう。だが、孤児院は国家の施設だ。貴様が心配せずとも、この路地裏より環境のいい場所であることに違いはない。おそらく、教育も受けられるだろう。少なくとも、今よりは幸せな暮らしを送れるようになるのではないかと私は思っている」

 孤児院。その言葉に、ルーツは即座に反応した。たちまち、記憶の中で見た孤児たちの悲惨な姿を思い出し、呼吸が荒くなる。あの施設に、沢山の孤児たちが閉じ込められていたあの場所に、こいつは平然と無垢な子どもを送り込む気なのだろうか?

 素知らぬ顔で、記憶の中で見た孤児たちと正反対の境遇を語る赤鎧の態度に、ルーツは怒りを隠せなかった。それに――。

 おそらく? だろう? ニーナは、男が捕まれば、孤児院での暮らしを余儀なくされることになるのだ。それも、年単位の年月を。ともすれば残りの子ども時代すべてを。なのに、こんなおざなりな言い方で、人の一生を左右するようなことを告げるなんて。はい、そうですか。と素直に納得できるわけがない。やはりこいつは、ニーナのことを、何とも思っちゃいないのだ。

―――――――――531―――――――――

「嘘だ」

「何?」

 咎めるような赤鎧の声。息を呑んでいるユリの姿。急激に下がっていく場の空気に構わず、ルーツはそのまま言葉を続けた。

「嘘だ。僕は孤児がどんな目に合っているのか知っているぞ」

 そう言うと、熱い衝動が、身体の奥からやってくる。一度は沈静化した怒りの熱が、再びふつふつと込み上げてくる。

 出会ったばかりの少女のために、ルーツがこれほどムキになったのは、半分はユリが言った通り。不憫な少女の境遇に、自らを重ねてしまったことが大きかったのだろう。だけど、もう半分は――。

 あの時、路地裏で、私を買ってくださいと、助けを求めてきた少女の中に、ルーツはリリスの姿を見ていた。

 記憶の中で自分が助かることだけを願い、リリスを見捨ててしまったこと。もしかすると、これは、そのことに対する罪滅ぼしのつもりだったのかもしれない。

「あんな部屋ともいえないような所で、教育なんかが受けられるもんか!」

 ルーツは、自身も驚くほど激しい口調で、赤鎧を一方的に責め立てた。

「場合によっては、国家を愚弄することは罪に問われ――」

「知るもんか!」

 吐瀉物の中に埋もれるリリス。ルーツの代わりに殴られるリリス。そして、二人を嘲笑う観衆たち。思いを口に出すほどに、あの時の陰惨な光景が、代わる代わる浮かび上がってくる。あんな場所に、絶望しかないような暗い場所に居て、幸せになれるわけがない。孤児たちは、大人たちのいいように、まるで消耗品みたいにこき使われて、食い物にされて、最後は使い捨てにされるのがオチなのだ。

―――――――――532―――――――――

「孤児院なんて、ろくな場所じゃない。ただ、子どもを奴隷みたいに惨たらしく扱って、品物みたいに売り払って、搾り取って――」

 赤鎧は、唾を飛ばして憤るルーツを、不思議そうな顔で見ていた。

 何を言っているのか分からないとでも言いたげに、小さく首を傾げている。その冷めた態度を見て、ルーツの怒りはますます激しく燃え盛った。

「あんなのが、許されるわけがない!」

「貴様の言ったことには、何も証拠がない。それを、そっくりそのまま受け入れろというのは、無理な話だ」

「嘘じゃない! ほんとの話だ!」

「分かった。そういうことにしておこう。だが――、仮にもし、本当のことだとしても、孤児院というのは、国の機関だ。そして、その国が管理している場所に住んでいる子どもは、当然国の所有物。所有物を払い下げるのは、持ち主である国の自由だろう。なのに貴様は、何をそんなに怒っているのだ。貴様が過去に何を見たかは知らないが、それは法律上、全く問題が無い行為だろう?」

 ルーツの心情をさらに煽り立てるかのように、信じられない言葉が聞こえてきた。赤鎧は、あの地獄のような光景を、造作もないことのように淡々と片付けてしまおうとしていた。しかも、法的に正しいという一言だけで。

 あの部屋で見た少女たちの苦しみは、法的に正しいから見逃さなければならないのだろうか? 法に則っていれば、それは正しい行為なのだろうか?

 そんなわけがない。

―――――――――533―――――――――

「間違った法だってある!」

「法は常に正しい」

 怒りに身を任せて叫んだルーツに、冷淡な言葉が返ってきた。

「たとえ道理が合わずとも、それが決まり事である以上――」

「だけど法を作ったのは、所詮昔の人間じゃんか。人は万能じゃない。神様じゃないんだから間違えることもあるはずなんだよ! なのに、どうして。年月が経つにつれて、時代遅れになって使えなくなった魔導具はたくさんあるはずなのに、なのにどうして決まり事だけは。いったいどうして、ずっと昔に出来た物なんかに、いつまでもこだわらなきゃいけないのさ」

「我が国の伝承では、法を定めたのは一柱の神。ゆえに、その教えは絶対ということになっている」

「へー、じゃあ、神様を見たことがある人が居るんだ。僕は無いから分かんないや」

 どこまでも融通の利かない赤鎧の態度に、腹の中が煮えくり返っていく。頭がガンガンと鳴っている。赤鎧の忠告もまったく耳に入ってこなかった。

「少し頭を冷やせ。このままでは、貴様も捕縛せねばならなくなる。余計な仕事を増やしてくれるな」

「みんな可笑しいんだよ。狂ってる。何で――、どうして、こんな形だけの法なんてありがたがっているんだ」

「法は、神の意思であると同時に国の意思でもある。多くの人が神を信じ、法も信じている。そして守ろうとしている。だから社会は成り立っているのだ。そう考えれば、集団から逸脱しているのは明らかに貴様の方だろう。本当に狂っているのは誰なのか。あとで今一度、自分自身に問いかけて見るといい」

 そこまで言うと、喚きたてているルーツを見て、赤鎧はため息をついた。そして、ユリの方へと進み出る。

―――――――――534―――――――――

「もういい、早く渡してくれ」

 結論を委ねられたユリの眼が泳いだ。

「渡しちゃ駄目だ」

「貴様はこれ以上、何も喋るな」

 赤鎧が後ろの兵士に向かって何かしらの合図を送る。その瞬間、ルーツは両手を引っ張られ、瞬く間に羽交い絞めにされていた。

 と言うより、吊り上げられたといった方が正しいだろうか。身長差がありすぎたせいか、足は宙に浮き、腕にかかる自らの体重でルーツは呻いた。

「絶対、渡さないで! そのまま逃げて!」

 戸惑うユリに向かって、ルーツは精一杯の声で叫びながらもがく。だがルーツ自身も、無茶を言っているとは分かっていた。少女を抱えたユリが、見知らぬ場所で赤鎧から逃げ切れる確率は万に一つも存在しない。

 それに、たとえその奇跡が起こって逃げられたとしても、その後はどうすればいいのだろうか? ただでさえ、ルーツは村の人に腫物扱いされているのだ。誰かを連れて帰ろうもんなら、大目玉を食うどころで済むとは思えない。でも――、

―――――――――535―――――――――

「おい、口を塞いでおけ。更なる咎人を生まずに済む」

 大きな手がルーツの口を塞いだ。何日も洗っていないようなそんな手だ。

 半強制的に手の匂いをかがされることになり、何かが腐敗したような酸っぱい匂いに、ルーツは涙目になる。が、それは兵士も同じだったろう。何せ、ルーツは口を塞がれた状態で、必死に声をあげようとしているのだから。兵士の手のひらが自分の唾でべとべとになっていることは、もがいている本人が一番分かっていた。


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