第78話 無知だからこそ

「この証を持っていない商人は、店を開くことを許されない。にもかかわらず此方の男は――貴様も知っての通り、許可証を持たずに物を売っていた。

 王都で営業するための権利を持たない身でありながら、秘密裏に商行為に勤しむ。これは、悪質な税金逃れの手口だ。何年もの間、商いを生業にしておきながら、知らなかったでは済まされまい。

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 確かに、この男が稼いだ額など、たかが知れている。だが、金を納めず商いをしていた。この事実が問題なのだ。許可証が効力を持つのは一年のみ。期間が過ぎれば、また発行を願い出なければならない。商人たちは毎年暮れになると、この証を求め、多額の金を国に納めることで、継続して営業することを国に許してもらっている。その額は、それこそ赤貨十枚程度にとどまらない。一等地に店を構えるとなれば、百枚単位になることもざらにある。しかし、それだけの対価を払ってでも商人たちが証を得たいと思うのは、王都での競争相手が限られているからなのだ。年間で配られる証の数はそう多くない。同業者が王都に集まることは稀だろう。此処で一年間商いを続ければ必ず見返りが来る。その保証と信頼があって初めて、許可証というものは高値で取引される。もし、その証も持たない者が、裏道でのうのうと商売をしていることが知れたらどうなるか。待っているのは信頼の失墜だ。自分たちは高値の証に加え、税までしっかりと納めているというのに、中には金を払わず、商いをしているものがいる。損得に敏感な連中のことだ。謝罪や不利益を被った分の賠償を求めてくるだけならまだいいが、次年度の許可証を購入しない、という形で抗議に出てくることも考えられる」

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 ルーツの理解能力が人並みを遥かに下回っていることに気が付いたのか、赤鎧の口調は途中で少しゆったりとしたものに変わった。それが狙いなのだろうが、一から丁寧に説明されたお陰で、今まで男がしでかしたことについて全くの無理解だったルーツにも、男の罪の重さが、そして、その行為を放置した時に起きうる事態の大きさもなんとなくわかってしまう。赤鎧がやっていることは多分正当で、物事を曖昧にしか捉えていないルーツに反論の余地は残されていなかった。それでも――、

「でも、大きな門の近くで店を出していた人たちの中には、あまり儲かっていなさそうな人も居たし、全員がそんなに高いお金を出して、許可証を買っているなんて思えないよ!」

 ルーツは、王都に来たばかりの時に見た無精ひげの男のことを思い出し、何とか赤鎧の論理の穴を突こうと試みる。だが、

「貴様が目にしたのはおそらく、貴族が独自に貸し与えている店舗で働く、雇われ人の姿だろう。王都に邸宅を構える貴族の中には、土地を持て余している者も多く存在する。国が期限付きで貸し与える土地ならいざ知らず、自らの土地をどう利用しようが、それは彼らの勝手だ。無償で貸したとしても、どんなに暴利で貸したとしても、借りたということは双方が取引を受け入れたということ。個人間の約束事に、国家が立ち入ることはない」

 赤鎧は、ルーツの突然の反論にもきちんと答えを用意していた。

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「貴様がまた勝手に偏見を持つといけないから言っておくが、だからと言って貴族が生まれながらの地位を盾にして、庶民から富を搾取しているとは限らない。そもそも我が国の貴族制度は非常に曖昧なものだ。基本的に貴族というのは、国家に対する功労者。それが故に、国家は褒美として特権を与えている」

 まるで何かの指南書を読んでいるように淡々と、口が物を言う。

「先祖代々、国家に仕えてきた名家の出。生まれながらにしての特権階級。私が推測するに、貴様が思い描く貴族像というのは、子孫永代に渡って地位を保証され、一切の貧しさも知らずに優雅に暮らしている者の姿だろう。だが、彼らの多くには商売の才が無い。加えて誇り高く、自分の土地を平民に貸し出すような真似はまずしない。となると、王から賜った土地を他人に貸すような不敬をやってのけるのは、貴族の出では無い者。すなわち、商人からの成り上がり者だ。貴様も収穫祭――我が国伝統の祭りのことは知っているだろう?」

 ルーツがコクリと頷いたのを見もしないで、赤鎧は続けた。

「あの膨大な経費を負担することは、国家への大きな功労だ。敵兵を数百も殺せば、戦場では英雄になれるかもしれないが、その程度で国が傾くことは無い。だが、金は時に、国家をも揺るがす。戦場で武勲を立てる勇猛果敢な戦士より、大商人たちの財力の方が国家にとっては重要なのだ。

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 一代限りの貴族の地位と、王都における一等地への居住権。祭の経費の対価として、大商人には大体この特権が与えられる。事実上の永久許可証だと思ってくれていい。与えられた土地を活用すれば、毎年のようにお布施を払わずとも、自らの店舗を王都に保有し続けることが出来るが、祭の経費は許可証数百年分の額に勝るとも劣らない。それだけの金をポンと出せるくらいの人物になってくると多くは高齢。死ぬまで仕事場に立ち続ける者も勿論いるが、身体の衰えを考えれば、土地の一部を貸し出し、売り上げの大半を賃料として巻き上げようと思う者の方が、自然と多くなってくる。つまり、成功した商人が、業者の元締めをしている。ただ、それだけの話なのだ」

 貴族に怒りの矛先を向けようとしていたルーツへの長い忠告が終わる。先回りして、全てに釘を刺されてしまったような気分だった。喧嘩、言い合いというより、事前に赤鎧が言っていた通り、これはまさに教育。対話が出来ると思っていたのはルーツだけで、そもそも赤鎧とルーツは同じ場所にさえ立っていなかったのだ。

 知識を得れば、言い合いに強くなれると思っていた。もっと世の中のことを知れば、赤鎧を言い負かすことも出来ると思っていた。だが、赤鎧から得た知識はルーツの首を絞めただけだった。無知だからこそ、好き放題思えた。無知だからこそ、赤鎧を批判できた。色々なことを知ってしまった今となっては、ただ純粋に怒りだけで赤鎧を責めるなんて出来っこない。大きなため息が自然と口から零れる。ルーツは腕をダランとさせ、項垂れ、地面を見つめた。完敗だった。

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「あの、その人。もう少ししたら正気に戻ると思うんで……少しの間だけで良いんです。ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、待っていてもらえませんか?」

 もう他に手段は無い。ユリの前では勢いで、可哀そうに思っていないとは言ったものの、目の前で指を折られようとしている人を放っておけないのもまた事実だった。ルーツはなけなしのプライドをかなぐり捨て、直前まで敵意をむき出しにしていた相手に向かって頭を下げる。しかし――、

「先ほどから聞いていれば自分に都合の良いことばかり。そう何度も子どもの相手をしているほど、我々は暇ではない。公務の邪魔にならぬうちに、とっとと失せろ!」

 当然と言うべきか、あれほど歯向かっておいて、今さら虫のいい話が通るはずもなく、赤鎧が何か言う前に、その部下から野次がとんだ。

「今この場で、捕まらないだけましだと思え」

「何様のつもりなんだ」

 一人が言い出したのをきっかけに、今まで押し黙っていた兵士たちが日頃の鬱憤を晴らすかのように、ルーツに罵声を浴びせてくる。ひたすら頭を下げるルーツ。それを鼻で笑う兵士たち。だが、その構図は長くは続かなかった。

「隊の乱れは、兵全体の乱れ。ひいては、国の乱れにもつながる。貴様ら、それでも国に仕える身か! 言葉を慎め。罰則だ」

 再び出される鋭い声。場を動かしたのは、またしても赤鎧だった。どうやら本当に部下たちは赤鎧に頭が上がらないらしい。

―――――――――527―――――――――

「私の部下が済まなかったな」

「いえ、悪いのは僕の方ですから」

 赤鎧にギロリと睨まれた兵士たちは、天敵に見つかった小動物のように、委縮しきっていた。

「いいや、貴様は法を犯してなどいない。当然の権利を行使したまでだ。貴様の要望を受諾するか否かを選ぶのは私だが、相手に要望を出すのは個々の自由。どんなに自分にばかり都合の良い話を持ち掛けてきたとしても、此方はただ断ればいいだけなのだから。形勢が不利と見ると、すぐに感情に訴えかけようとする奴らと比べれば、貴様はまだマシな方だ」

 取りなそうとしてくれているのか、それとも暗に批判されているのかよく分からないが、いずれにせよ赤鎧は、感情に身を任せて行動する癖があるルーツにとっては耳の痛い話をする。

「確かに、我々は暇ではない。そのため貴様の言うように、いつ正気に戻るかもわからん、男の為に待つ時間は無い」

 提案を受け入れてくれたのかどうか分からない。どっちつかずの態度に、ルーツがやきもきしていると、

「だが――、貴様のお蔭でいい案を思いついた」

 赤鎧はそう言い、ルーツの後ろを指差した。

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「その子を渡したまえ」

 後ろで話を聞いていたユリが肩を震わせる。ルーツの目線が、そして赤鎧の目線が、ユリの腕の辺りに集まった。赤鎧が連れてくるよう指示したのは、間違いなく、ユリの腕の中で丸くなって眠る女の子――ニーナのことだった。


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