第71話 勘違い
「アンタ、もしこの子が本当に身売りしてるとして、どうする気なの?」
それは、ごく普通の疑問だった。
先ほどの言い方は、少しとは言わず大分キツかったが、ユリは怒りを滲ませるわけでもなく、純粋に答えが知りたい。そんな様子でルーツに尋ねていた。
「えっ、何って……」
だが――、ただ目の前の少女の境遇に怒りを覚えていただけ。
特に深い考えも無いままに、少女の父親を憎んでいたルーツは、ユリの意図していることが分からず、首を傾げる。そして、ここにきて、怪訝な顔をしたルーツを見て、今度こそユリの怒りは炸裂した。
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「アンタ、お金でもあげるつもりだったの? それとも、そのリュックの中身を押し付けるつもりだったわけ? 違うわよね、特に何にも考えてなかったんでしょ?」
言わなくても分かる。そう言いたげに、ユリは弾丸のようにペラペラと喋った。
「私、なんも出来ないくせに、そんな無責任なこと言うやつが一番嫌いなの!」
「でも、可哀そうだとは――」
「確かに可哀そうね。……だから、何? アンタは助けてあげられるの? その握りしめた拳で、誰かを殴りにでも行くの? 殴ったところで何にも変わんない――いいえ、もっと話がこんがらがって事態が悪くなることぐらいわかるでしょ? 殴って、説教して、そんな単純なことで全てが解決しちゃうなら、お腹を空かせる子が出てくるわけないじゃない! 一回一回、悲惨な光景に出くわすたびに心を痛ませるのはアンタの勝手だけど、今は時間の無駄だからやめてちょうだい。断言するけど、アンタはただ、正義面している自分に酔っているだけ。結局、何も出来ないんだったら、無関心を貫くのが一番なのよ」
ルーツに反論することすら許さず、ユリはそう言い終わると、全て出し切ったかのように大きなため息をついた。
所詮、怒りは自己満足。そう言われたルーツは、唇を噛む。そんな二人を、蚊帳の外に置かれた少女は、泣き出しそうな目で見つめていた。
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「ご、ごめんなさい! そんなに……喧嘩になるとは思わなくて……」
言い合いをしている姿がそんなに怖かったのだろうか。
少女は、沈んだ表情のまま、じりじりと後ろに下がっていく。そして、そんな状態では、足元のごみ山に気付くことも無く――すってんころりん。
腰をしたたかにぶつけた少女は、しばらくポカンとした表情を浮かべていたが、
「おどうざあああん」
じんわりと目に涙を浮かばせたかと思うと、顔をぐしゃぐしゃに崩し、路地の奥へと走り去って行った。
「……何か、ごめん」
「それ、私に言ってるの? それとも、あの子に言ってるの?」
「多分、どっちも」
そしてしばらく辺りには何の物音もしなかった。――が、
「どこのどいつだあ、うちの娘に手え出した命知らずはあ!」
毒気の抜けた表情をしていた二人は、その直後。路地の奥から聞こえてきた、地鳴りのような大声に、身を縮ませることになる。
「こっちにこい! 来なけりゃ今すぐ、俺の手で獣の餌にしてやる!」
通り全域に響くような声でそんなことを言われれば、出向かないわけにはいかなかった。
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「ね、身売りなんかじゃなかったでしょ」
こんな状況だというのに、ユリは自分の考えがあっていたことが嬉しいようで、少女の父親を悪者と見立てていたルーツにとっては、耳が痛いことを言ってくる。
「そこにいるのは分かってんだぞ! 見つからないとでも思ってんのかあ!」
だが、怒り狂った父親らしき人の近くで、これ以上言い合いを続けるのは悪手でしかなかった。ルーツは気落ちしながら路地の奥へと向かう。その後に、なぜか嬉し気なユリが続いた。
枯れた草を編んだような粗末な敷物。その上に、幾つかの黴臭い塊と男が座っている。四隅には拳大の石がそれぞれ一つずつ。風も吹いていないのに、何故重しが必要なのか気になったが、本当に気にするべきなのはそこではない。
「でぇ、どの面下げて謝りに来たあ!」
男の胸にすがりついている少女の白髪には、汚い生ごみがこびり付き、悪臭の発生源になっていた。そして、ひくひくとしゃくり上げる少女の背中を、ポンポンと一定のリズムでゆっくりたたきながら、男はもう片方の手でごみを落としている。時折、絡まった髪の毛も一緒に抜けてしまうのか、少女は何度かピクリと震えていたが、それでいて、どことなく幸せそうだった。
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「どっちが泣かせた」
変に落ち着いた男の言葉に、二人の身体は反射的に動く。ユリの指はルーツに。そしてルーツの指はユリに向けられた。
「アンタでしょ」
「いや、冷たい態度を取ってたのはユリの方だろ」
だが、不毛な言い争いはすぐに終わった。
「そっちのお兄ちゃんが、怖かった」
涙交じりのかぼそい声に重なるようにして、男の指の関節がポキポキと鳴る。
「と、娘は言ってるわけだが」
「でも、そっちにも落ち度はありますよ!」
敵意を向けられたルーツの口からは、咄嗟に言い訳が飛び出していた。
「ほう、聞かせてみろ」
男のこめかみに浮かぶ青筋をなるべく視界に入れないようにしながら、ルーツは口の中に溢れてくる唾をごくりと飲み込む。
「いや、そりゃ急に眼の前に現れて……買ってくれって言われたら、危ない商売でもさせられているんじゃないかと思うでしょう? 品物も持ってないんだし……」
「ん? 品物?」
男はルーツの言葉に首を傾げた。
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「ニーナ。お父さんが渡しておいたもの、どうしたんだ?」
「え? あれ、あ、ぽっけの中に入れたまんまだった」
ニーナと呼ばれた少女が、えへへ、と泣き笑いの表情で、ポケットの中から折りたたまれた冊子のようなものを引っ張り出す。
「……なるほど。本来なら、品物を両手に乗せながら呼び込みをして、興味を持ったお客さんを連れてくる手はずだったのね。それなのに、言葉を覚えることに必死になりすぎて、肝心の商品を見せずに居たものだから、まるで自分を売り込んでるみたいに見えちゃってたってわけ」
ありがたいユリの解説のおかげで、ルーツは、自分の見立てが完全に早とちりだったことを知った。
「で、言い訳はそれだけか」
男に低く冷たい声で肩を掴まれ、思わず変な声が出そうになる。
「まあ、こっちが勝手に勘違いしてたわけだし、悪かったのは認めるけど、こんな人気のないところで小さな子どもに話しかけられたら、誰でも不審がるんじゃない? 身売りは考えすぎにしても、迷子とか、捨て子とか、これじゃあ色々誤解されても無理ないわよ。そんなに大切なら、なんで攫われても分からないような暗い路地にその子を一人で向かわせたのか、怒鳴る前に教えてくれないかしら」
顔を掻きながらどもるルーツに、ユリが助け舟を出した。男の眉が苛立たし気にヒクついている。
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「一人で向かわせた? なあに寝ぼけたこと言ってんだ、お前。張っ倒すぞ!」
「いや、でも。その子が僕らに話しかけてきた時、傍には誰も居ませんでしたよ?」
男が拳を地面に叩きつけた。近くにあった壺のような置物が大きく揺れて横倒しになる。
「な、わけないだろこのわっぱが! あ? 俺がいつニーナから目を離した? 言ってみろ?」
そんなことを言われても、この男性とは今初めて会ったばかりである。
それに、少なくとも五分以上は、少女は一人っきりになっていた。だが、男はそうは思っていないようで――、
「お父さん、私のこと見ててくれなかったの?」
「そんなわけないだろう? お父さんはいつでもニーナのことだけを見てるからなあ! よしよーし、いい子だ」
不安げな顔をした少女の頭を撫で続けていた。
「おい、そこのお前」
かと思うと、再び恐ろしい形相に戻り、ルーツを睨む。
「今ので分かった。お前、よそもんだな」
狼狽えていると、いつの間にか、手のひらに小さな豆のような真っ黒の物体が三粒乗っていた。
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