第58話 答えのない問い

 宿に戻っても、ルーツは相変わらずだった。見えない何かに怯え、頑なに外に出ることを拒む。布団にくるまり、部屋の隅で歯を打ち鳴らす。そして、机の上に置かれていた手紙を目にすると、かぼそい悲鳴をあげ、自分で自分の頭を叩きだす。

 嫌な記憶を、頭を叩くことで追い出そうとしていたのだろうか。それとも構ってほしいだけだったのだろうか。おそらくは、後者の方が正解だったのだろう。

 その証拠に、ユリが適当に相槌を打って、相手をしないで放っておくと、だいたいその奇行は一分と経たずに収まった。

 村に帰ってからどうするのか。そんな具合に今後のことを尋ねても、ルーツは一切答えてくれなかった。中身の無い、曖昧な頷きを繰り返すだけである。ユリだって時間が無限にあったなら、ルーツの回復をゆっくり待っただろうが、王都に居られるのは七日間。学院試験が行われていた期間だけの限定だった。八日目の朝、つまり今日、役人たちは迎えにやって来る。逆に言えば、この機を逃せば、ユリたちは二度とあの村には帰れない。

 帰らなくてもいいんじゃないか。大人だったら、何か日銭を稼ぐための技術を持っていたなら、そうも思えたのだろうが、生憎ユリは、人様より優れた特技なんて何も持ち合わせていなかった。それに、ただ震えるだけのルーツと一緒に、知らない地で生きていけると思うほど、ユリは馬鹿では無かった。

―――――――――393―――――――――

 外がやけにうるさい。窓から外をうかがうと、大通りに人だかりができていた。この宿の老婆がよろよろとした足取りで、人込みの中に入っていく。人々は皆、揃いも揃って首を道路側に伸ばし、何かを待っているようだった。締め切った部屋の中にいるはずなのに、遠くから地鳴りのような歓声が聞こえてくる。窓を開けようとしていたユリは動きを止めた。ルーツが此方を見ている。

「お願いだから、外に出て行かないで。捕まっちゃうよ」

 結局、この七日間。ルーツはそしてユリも、あれから一切、宿の外に出ることは無かった。ルーツは怯えてはいるものの、意思疎通が出来なくなったわけでは無い。普段は布団にくるまり、自分だけの世界に閉じこもっているくせに。少し出歩いてくるから、ユリがそういった瞬間、ルーツは鬼気迫る表情でユリを止めにかかるのだ。今回もそうだった。

 一体何に捕まるのか。ユリが聞いても、ルーツは決して答えようとはしなかった。同じように、部屋の中で何を見たのか尋ねても、決して口を割ろうとはしない。そのくせして、人に指図しようとするのが、ユリは気に入らなかった。

「なんで? 私が外を見ようが何しようが、アンタには関係ないでしょ?」

 そういうと、ルーツはまた部屋の隅で俯いて、塞ぎ込んでしまった。ユリはため息をついて、窓から少し離れる。

「はあ、これでいいの?」

 ルーツは黙ったまま頷いた。

―――――――――394―――――――――

 音が大きくなってきた。役所で座っていた事務員たちが、いまにも大通りに駆けだそうとしている人々を押さえているのが見えた。見る人、見る人、全ての人が顔に笑みを浮かべている。世間話が楽しいのだろうか。それともこれから、もっと楽しいことが起きるのだろうか。少なくとも、群れをなしている人々が、ユリより楽しい気分でいるのは確かなことだろう。何だか、この街の中で今、一番難しい顔をしているのは自分なのではないかと思えてきた。

 そのまま陰鬱な気分で、椅子にもたれ掛かっていると、車輪まで金色で染められた豪勢な乗り物が、窓から見える位置に停止した。いや、停止しているのではない。普通に歩くよりもゆっくりとした速さだが、乗り物はじわりじわりと動いている。その乗り物を取り囲むように、赤い鎧で身を固めた兵士たちが並び、役人の手を逃れた市民が近づくのを阻止していた。

『おめでとー』

『今日は俺の奢りだ。たらふく飲め!』

『街の人みんなが、あんたたちのこと大好きだよー』

 部屋の中まで、大勢の声が届いてくる。

 鎧を着た兵士からも、門の前で見た時のような物々しい雰囲気は伝わってこなかった。それどころか、市民たちと握手をしている者すらいる。

―――――――――395―――――――――

 そして乗り物――そもそもこの乗り物は、四つの車輪の上に、少しのおうとつも無い、球形の物体を携えていたのだが――その形が、ほころび始めた蕾のように変化し始めた。大きく膨らんだかと思うと、一気に花開く。見えてきた車内では、ユリと同じくらいの年に見える少年少女が、少し緊張した顔をして座っていた。

『合格、おめでとう!』

 この国の、王子と王女なのだろうか。そう思っていたユリは、黄色い歓声で自分の間違いを知った。

『せーの』

 楽しそうな掛け声とともに、ユリの視界は色取り取りの閃光で埋め尽くされた。人々の手から放たれた光が互いに絡み合いながら、雲を突き抜け、天に上り、雨となって落ちてくる。兵士も、役人も、そして市民も、今だけは立場を気にするものは誰も居なかった。光の雨を浴びて、ユリ以外の全員が、手を取り合って無邪気に笑っていた。

 ユリたちが帰らなければならない日。学院試験の結果が発表される日。七日経ったということはそういうことだった。

 あの子たちは、王女などではない。七日前までは、ユリたちと同じ、辺境の村に住んでいた只の子どもだったのだ。観衆に向かって手を振るその姿からは、一かけらの悩みも感じられなかった。女の子の方は、周囲の人びとに向かって投げキッスをして、その様子を、男の子が苦笑いをしながら見つめている。

―――――――――396―――――――――

 ユリは特段、魔法がうまく使えるわけではない。先ほどの祝砲替わりの閃光の仕組みもよく分かっていなかった。王都に来れたのも、運かそれとも……。多分、あの手紙の存在が、ユリが今、此処にいる理由の全てを物語っているのだろう。だからもし、学院試験に出席していたとしても、ユリたちが今この瞬間に、観衆に向けて手を振っていた可能性は、限りなくゼロに等しい。だが、こうして見ていると、ユリはやっぱり、窓の外の二人の子どもが羨ましくてたまらなかった。あの子たちと、ユリとルーツ。顔、体、表面上だけを取れば何も変わらないように見える。それなのに、どうしてこうも違ってしまったのだろう。あの子たちは、いま満面の笑みを浮かべているというのに、なぜユリは、陰鬱な部屋の中でため息を零していないといけないのだろう。

 しかし、ユリには、そんな答えのない問いに埋もれている時間すら残されていなかった。この七日間で、答えは出なかった。ルーツを連れて、村に帰る。どれだけ考えても、それ以外の選択肢は浮かんでこない。

 ユリたちを王都まで運んできてくれた役人も、どこかでこの様子を見ているはずだ。きっと今も、しゃくれた顔をしながら、魔脚の前でユリたちが来るのを待っているのだろう。宿を出る時間が、近づいていた。


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