第59話 そんな日はきっと来ない

 ユリは、ルーツから布団をはぎ取った。突然の眩しい光に、ルーツは目をしょぼしょぼさせている。布団を取り返そうとするルーツを無視して、着替えを綺麗に畳み、暇つぶし用に持ってきた大量の遊び道具を詰めると、くたびれたリュックは大きく膨らんだ。しかし、どうしたことか。行きと同じ量の荷物を入れたはずなのに、ユリの方のリュックにはまだ空きがある。

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 何か入れ忘れているのかと、部屋をぐるりと見渡したユリは、村を出る直前のことを思い出し、少し悲しくなった。

 そうだ。ルーツがあんまりにも王都を楽しみにしているものだから、自分も王都でお土産でも買おうと、わざと荷物を少なめにしておいたのだ。だが、その空間は今も寂しそうに空いたまま。お土産の代わりに暗い気持ちが詰まってしまったのかもしれない。背負った赤いリュックは、以前よりずっと重かった。

 梃でも動かないつもりらしいルーツの指を、一本一本、ベッドから引き剥がし、階段を下りると、宿の主人――老婆はいつの間にか、店の中に戻ってきていた。腰をかがめながら、ドアの隙間に溜まった埃を、両手にはめた手袋で取り除いている。

 ユリは先ほど、この老婆たちが空に向かって色とりどりの閃光を打ち上げていたことを思い出し、首を傾げた。あんなに綺麗な光線が出せるほど魔法の才があるのなら、面倒なごみ掃除も魔法でパパっと済ませてしまえばいいのに――。そういえば村に居た頃も、箒で自分の家の玄関前を掃くのは、朝方に決まって見られる、ごく当たり前の光景だった。もしかすると、暮らしを便利にする魔法は、意外と使いこなすのが難しいものなのかもしれない。それとも、その魔法を使うと、普通に掃除をするより疲れてしまうとか? きっと、魔法のことをよく知らないと分からない、深い理由があるのだろう。ユリは色々考えた挙句、疑問を引っ込めた。

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「帰りはいつ頃になりますか」

 二人を見た老婆は、何か勘違いしたのかそういった。言ってから、ユリたちがリュックを背負っているのを見て、柔和な笑みを浮かべる。最初に、カンテラの光の下で見た時は、老婆は骨と皮だけの不気味な姿に見えた。しかし今は、人当たりの良い、普通の宿の管理人にしか見えなかった。

「今日で、村に帰るんです」

 ユリの横で、村という言葉に反応したのか、ルーツがビクリと震えた。その挙動を見るたびに、ろくに眠ることも出来なかったこの七日間のことを思い出し、ユリはげんなりする。

 ルーツはあの日の夜からずっと、日中夜問わず、発作のように奇声をあげていた。それは決して長く続くものでは無かったが、回数と頻度が問題だった。一日に十回も、時には二十回も泣きわめく。夜寝ている時に、しゃくりあげるような声に起こされた時は、さすがに殴りつけてやろうかと思ったほどだった。

 事情を知っているユリでさえ、多大なストレスを感じたのだ。何も知らない人々がこの声を聞いたら、何を思うか分かったものではない。しかし、ユリの元に苦情の声が届くことは、結局一度も無かった。

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「そうですか、それではどうかお気をつけて。またこの街に来た時は是非おいで下さい。見ての通り、いつでも空いておりますので……」

 埃の匂いが、鼻を通る。客足が乏しいこの宿に留まったことは、結果として大正解だった。泣き声というのは、壁も床も透過してよく響く。普通の宿であったなら、とっくに追い出されていても不思議では無かった。そうなっていれば、今頃ユリたちは野宿を強いられていたかもしれない。だが例え、他の客が誰も居なかったのだとしても、老婆はずっと此処にいてユリたちの食事を作ってくれていたのだ。階下まで聞こえる泣き声は、老婆の生活の邪魔になりはしなかっただろうか?

「すいません、いままでうるさかったですよね」

 ユリは頭を下げた。ルーツも遅れて頭を下げる。老婆は気にしていないようだったが、内心は分からない。ただ、老婆が心の中でどう思っていたとしても、七日間もの長い間、泊めてくれたことには変わりない。ユリは宿に足を踏み入れた時、おんぼろだとか、老婆が骸骨に見えるなどと、失礼なことを思ったのを謝りたくなった。

「本当に、いつかまた来てくれれば、それだけで嬉しいから」

 その声とともに、ユリは七日ぶりに明るい光の中に出て行った。老婆が手を振って見送ってくれる。綺麗では無かったが、良い宿だった。いつかまた来たい。

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 だが、再び二人が老婆の元を訪れる。そんな日はきっと来ないだろう。村に帰った後、手紙の中身を見たことをしばらく隠し通せれば、平穏な日常に戻れる。ユリはそんな気がしていた。なにせルーツは村長と、十一年も一緒に暮らしていたのだ。本当にルーツのことが嫌で嫌で仕方が無かったのなら、もっと早くにルーツは見捨てられていたことだろう。

 今回、村長が学院の総長に手紙を出したのは、何か切っ掛けがあったからだとしか思えない。自分たちが半獣人という少数種族であることを広められては困るから。考え抜いた先で辿り着いたのは、やはりそんな答えだった。

 ユリはともかく、ルーツがこの世界に人間が溢れていることを全く知らなかったのは、村人たちが意図的にその存在を隠していたからだろう。役人が言っていたように、隠すということは知られたくない、そういうことなのだ。

 子どもを産み、王都にやってきたエルト村の住人は、その時初めて、世界の在り様を知ることになる。突然明かされる真実に、絶望を覚える者もいるだろうが、あくまでも彼らは大人で、既に家庭を持った立場。友人に軽々しく、目にした物全てを打ち明けてしまうことも無く、その衝撃を、見なかったものとして自分の心の中だけにしまっておくことが出来るだろう。しかし、ルーツはどうだ。誰彼問わず、ペラペラと喋ってしまいそうではないか。ユリの頭に、役人から真実を聞かされていた時のルーツの表情が、ぼんやりと浮かんだ。

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 上機嫌な顔。得意気な顔。自分は何もしていないのに誇らしげで、誰かを見下す感情を内包した、優越感溢れる顔。ユリがこの世で一番苦手な、いや嫌いな表情――。

 ルーツは、村人たちの嘘を知ってしまった。その嘘は他の村人からしてみれば、まだ幼い子どもたちを厳しい現実から守るための優しい嘘だったのかもしれない。しかし、人間であるルーツは、その嘘のせいで理不尽に差別されてきたのだ。村人たちの自尊心を保つための、犠牲となって。ルーツが村人たちに恨みを持っているのは想像に難くない。ルーツが仕返しとばかりに、嘘を村中にばらして回る。村人たちは、そう思ったのではないだろうか。

 差別の対象になっている。いきなり、そう知らされた子どもが、今までと同じように元気に過ごすことが出来るとは思えない。だから村人は秘密が漏れることを懸念して、今回の愚行に出た。納得のいかない点は多いが、的を射てはいるだろう。これならユリと一緒に、ルーツまで王都に捨て置こうとした理由も説明がつく。

 村人は、王都で見聞きしたことを、村中に吹聴されることを恐れている。そんなユリの予想が当たっているなら、村に帰った時、ユリたちがしなければならないのは、たった一つのことだけだった。余計なことを一切口に出さず、よく分からなかったふりをする。つまりは、馬鹿のふりをすればいいのだ。

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 確かに、自分と似た風貌の人が多い気はしたが、その違和感の正体は掴めなかった。やっぱり戦うのが怖くなって、学院にもいかずに、宿で寝ていた。だから手紙も渡せてないし……あれ、そういえば、あの手紙。どこかで落としてきちゃった。

 こうでも言えば、村人の不安は紛れるだろう。

 最悪、偽装がばれてしまったとしても構わない。ユリたちは、情報をばらまかないという意思を示すことが出来ればそれでいいのだから。

 王都に行く。その行為自体が村人の不安を掻き立てるものであるのなら、二人は、二度と王都を訪れてはいけない。生涯、村の中に引きこもっているのが賢明だろう。そう考えると、ユリは老婆に再び頭を下げた。そして、まごつくルーツの手を引くと、人混みの中へと消えていった。









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