第49話 いたいけな少女

 痛い。痛い。痛い。

 顔が痛い。頭が痛い。喉が刃物で突き刺されているように痛い。両手がうずく。胸がうずく。全てが断続的にうずいている。鈍い痛みが襲ってくる。

 消えてしまいたい。何もかも忘れて楽になってしまいたい。誰かに、この痛みを押し付けてしまいたい――。


 気づけば少年は、苦しみの中に居た。突然覚えた痛みの感覚に、声も立てれず苦しんでいた。わけも分からず、ただただ痛みに、耐えることしか出来ずにいた。そんななかで、少年は唐突に、痛み以外の存在を感じた。そして今度はその直後、優しい感触がやってきて、『誰かにお腹を擦られている』そんな感覚が伝わってくる。

「動かないで。アンタ、ひどい怪我してるのよ」

 身体を動かそうとすると、聞き覚えのある声がした。不機嫌そうな女性の声に、身体が反応した。そして、どういうわけだかこの声を、ずっと前から知っていたような気がする。少年は、そんな気がしてたまらなかった――。

 そうしていると、目がパッチリと開いた。ぼんやりと、霞みがかっていた視界が段々と、はっきり見えるようになってくる。

 気がつけば、此方を心配そうに覗き込んでいる、一人の少女の姿があった。

『燃えるような赤髪』

 言葉遣い、声質はそっくりだったが、ユリではない。その赤髪が何よりの証拠だ。そこまで考えたところで、思考が鈍った。

 ――おかしい。たしか僕はあの部屋で、いま何をして――?

「部屋に戻ってきたらこんな調子で……。いったいアンタ、何をしでかしたの?」

 女の子が何か言っている気がするが、耳には入らなかった。頭の中ではぐるぐると、色んな雑念が回っていた。そして痛みと心臓の音が、事の理解の邪魔をする。


―――――――――328―――――――――

 紙を破いて、記憶に入ったところまでは問題なかったはずだった。先ほど、とある男の記憶に入り込んだ時には、全てが上手くいっていた。その時には、心まで、記憶の人物と一緒になって、自分が、家族を支える男そのものだと思っていた。もちろん、記憶に入りこんでいたという自覚も、部屋に帰ってくるまでは生まれなかった。

 だが、今は。

 ルーツは、自分がルーツであるという自覚を明確に持っていた。

 ――とすると、僕は記憶に入り込むのに失敗して、部屋に戻ってきたのだろうか? 目の前の女の子は、ここの役人か何かなのだろうか? それにしては、ルーツと同じくらいか、ルーツより小さいようにも見えるのだが……。

「いたいけな少女にこんなことするなんて、もう信じらんない」

「リリスちゃん、駄目だよう。もし聞こえてたら、まずいよう」

 信じがたい言葉が聞こえたような気がした。

 ――少女? いったい誰のことを言っているんだろう。ひょっとして、他にも誰か怪我をして倒れているのだろうか。

 ルーツは、目だけを動かして周囲を見渡した。だが、見えてきたのは、土気色の壁。それから、薄服一枚でうつむいている、小さな少女達の姿だけだった。

 そして、ゴミ捨て場の傍を通った時のような、酸っぱく、それでいて、生臭い匂い。悪臭と呼ぶにふさわしいような臭いが、そこかしこから漂ってきて、ルーツは鼻を押さえながら悶絶する。

―――――――――329―――――――――

「……ほら、リリスちゃん。怪我したばっかの場所に、手荒に塗るから。逆に痛がってるんだよう」

「でも、こうでもしないと治りが遅くなるでしょ?」

「あっ、リリスちゃん。その瓶違うよ! それ、傷口は綺麗になるけど、あんまり効果ないって言われてたし……」

「何、あんた。あんな奴らの言ったこと信じるの?」

「だから、リリスちゃん。その言い方はまずいよう」

 ルーツのすぐ目の前で、誰かと誰かが言い争っていた。そしてどうやらそのうち一人は、リリスと呼ばれているらしかった。だが、奴らとは何なのか。それから、自分の身体はどうなっているのか。肝心な事や、今の立場を、ルーツは未だに、何も理解できずに居た。そのうえ、リリスという子が誰なのか、どうしてこんな部屋に少女たちが押し込められているのか。今のルーツには、それさえも分からない。

 しかしとにかく、少女の側に、悪意が無いのは確かなようだった。その証拠に、リリスの手当ては、口調に反して優しかった。けれど優しさと、激しい痛みを我慢できるかは、残念ながら別問題。

 ――もしこれが、記憶ではなく、現の世界の出来事だったとしたら。

 この痛みがずっと続くことを想像しただけで、ルーツは恐怖し、ひどい不安に襲われた。不安のあまり声が出た。そして、自分の口から出たはずの、小さな小さなうめき声に、ルーツはしばらく混乱することになる。

―――――――――330―――――――――

「……なに、この声」

 それは、裏返ったような声だった。……いや、単にたまたま高い声が出てしまっただけなのだとルーツは信じていたかった。だが、ルーツの希望的観測は、どうにも的が外れていたらしい。そしてこの声は、時間が経っても治らないらしい。

 だから――。細くて綺麗な、透き通った声。それに、少年のものとはまた別の高い声。少女の声が、自分の口から出ている現実を、ルーツは終いに受け入れるしかなくなった。そのうえ、この変調は、どうやら喉のせいではないらしかった。そして、身体の調子がおかしいわけでもないらしい。おまけに、咳をしても、何をしても、高い声が低くなることは無く、本来の声は戻ってこない。

 ――だったらここは、やはり記憶の中なのだろう。

 結局、ルーツがその結論にたどり着くまでに、そう時間はかからなかった。

 そこで改めて、自分の手元をよく見れば、なるほど。ルーツの腕の外側には、獣毛のようなものが密生している。それに――。先ほどは、暗がりのせいでよく見えていなかった。が、粗雑な壁に、もたれ掛かるようにして座っている少女達の両耳は、いずれも不自然な位置から生えてきているようだった。

『頭頂部付近に三角の塊が二つ』

 これはどうやら、人間以外の記憶に入ってきてしまったらしい。そう思いながらルーツは、怪我した手を動かした。それから、自分の頭をそっと撫でた。すると確かにルーツの身体にも、少女達と同じような三角耳はあったようだった。

 あるのではない、

 ルーツの耳は根元から、鋭利な何かで切り取られてしまっていた。

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