第50話 気持ち悪い

「しっ、あいつらが来る」

「だからあいつらっていうのは無しだよう」

 ふたたび少女の声がした。

 機能までは失っていないのだろうか。それとも記憶の中だから声が聞こえるのだろうか。耳が無いにも関わらず、ルーツは依然、二人の声を聞いていた。すると、小さな声で口喧嘩をしていた二人は、ほんの一瞬、はっとしたように口をつぐむ。が、取り越し苦労だったのか、大きく息を吐くと、ふたたびこそこそと話し始めた。

―――――――――331―――――――――

「そういえば、あの子! ほら、誰か起こしてあげてよう」

「そんなこと言っても……。ねえ、この子の知り合い、誰か居ないの? 名前も知らないっていうのに、どうやって話しかければいいのよ!」

「リリスちゃん、ファイト!」

「他人事だと思って、随分簡単に言ってくれるわね……って、ねえ、微かだけど、やっぱり何か聞こえてこない?」

「えっ? ……あっ、リリスちゃん。やばいよ、これ足音だよ。早く戻って! もう、すぐ近くまで来ちゃってる!」

 『あの子』というのは、ルーツを指しているようだった。どうやら、傷による痛みで、身動きが取れないルーツを起き上がらせようとしてくれていたらしい。

 リリスは、気遣うような表情を一瞬見せた。だが、別の女の子に引かれるようにして、その姿はまた見えなくなっていく。

 ルーツは、身体が悲鳴をあげるのを無視して、何とか少しでも起き上がろうとした。だが、必死に踏ん張ってみても力はちっとも入らなかった。辛うじて出来たのは、腕をピクリと動かすことだけ。体勢も変えられないでいるうちに、辺りはしんと静まり返る。そして、カツン、カツンという、石の床を厚底の靴で踏みしめるような音が、遠くの方から響いてきていた。

「おら、なに勝手に喋ってんだ。ぶっ殺すぞ、糞ガキどもが!」

 金属を打ち付けたような鈍い音とともに、随分下品な声がした。それは、男の声だった。かぼそい悲鳴がどこかから上がり、その直後、また怒号が響きわたる。

「こっちは貴重な時間を、貴様らの躾けのために当ててやってるんだ。感謝こそされど、そんな目で睨まれるいわれはないよなあ。指導に逆らう悪い目玉はこっちか? それともこっちか? いっそのこと、両方とも塞いでしまった方がいいかもなあ」

「まあまあ、そんなに殴ると売りものにならなくなりますし」

 比較的冷静な別の声とともに、金属音と悲鳴は聞こえなくなった。辺りには、また靴の音だけがこだまする。

―――――――――332―――――――――

「やっぱり、助けた方が……」

「お願いだからもう声を出さないで。私まで殺されちゃう」

 押し殺した声が止むとほぼ同時に、今度は靴の音が聞こえなくなった。

「あ? いま話し声が聞こえたぞ? 許しも無く喋る悪い子は、どこのどいつなんだろうなあ!」

 何とか上体を少しだけ起こすと、格子状の柵が目に入る。それから大きな靴。そびえたつように大きなシルエットが、外側から格子を何度も蹴りつけ、その度に部屋には、鈍い金属音が響き続けていた。

「ん? なんだ、あいつは」

 怒り狂った声と金属音が再び消えた。嵐の前の静けさとでもいうのだろうか。そんな空気が、ルーツを中心として流れる。

「舐めてんのか、あいつはあ! おい、そこのガキ! お前もただ見てないで、とっととあいつを起こせえ!」

 一瞬の後、先ほどより激高した声と、靴音が、格子を叩いた。壊してしまうのではないかと錯覚してしまうほど、頻繁に足が打ち付けられる。その様子をぼうっと見ていたルーツは、両脇を二人の少女に抱えられた。少女たちはルーツをなんとか二本足で立ちあがらせることに成功したようで、ルーツの視界は大きく揺れる。気を抜けば後ろに倒れてしまうのが分かっているのか、少女たちは互いの体を寄せ合うことでルーツをその間にしっかりと固定し、バランスを保っていた。視界が勝手に格子の傍まで近寄っていく。ルーツの代わりに歩く少女たちはやせ細り、足取りはとてもおぼつかないものだった。

―――――――――333―――――――――

「おい、お前。どういうつもりだ!」

 ルーツの背丈も、ルーツを抱える少女の背丈も、目の前のシルエットの腹の辺りまでしかなかった。上から声が降りそそぎ、格子が蹴られる度に、少女たちは身を縮こまらせる。

「何とか言ってみたらどうなんだ? 養ってもらっている分際で、礼儀の一つも知らんのか。この、食べることしか能がない、穀潰しが!」

 髪を掴まれているのが分かった。頭の皮ごと、引っぺがされてしまいそうな気がする。必死に抵抗しようと手を少し動かした瞬間、ルーツの顔は格子に打ち付けられていた。鼻から熱い物がこぼれ出てくる。悲鳴をあげる間もなく一回、もう一回と痛みが顔全体を襲った。

「一人だけ寝そべって、良い身分だなあ、おい。俺らが、巡回してやってるときに、何だ、その態度は!」

 痛みが許容値を超えるとこうなるのだろうか。ルーツはだんだんと顔から痛みがひいていくのを感じていた。それどころか、全身から痛みが消えていくような――。

「その子、これ以上やると本当に死んじゃいますよ?」

 その声とともに、飛びかけていたルーツの意識が帰って来た。腫れた目の間から、赤髪の女の子が立っているのが見える。女の子は凛とした態度で、いま、ルーツに責苦を負わせている何者かをじっと見つめていた。

―――――――――334―――――――――

「お前、この俺に逆らって……分かってるんだろうなあ!」

 獣のような吠え声とともに、女の子には唾の飛沫が降りかかった。それでも赤髪の子、リリスと呼ばれた少女は怯まなかった。

「逆らうつもりはありませんが、その子が寝ていた理由を説明しようと思いまして」

 人によって言葉遣いがコロコロ変わるのが、本当にユリにそっくりだった。

「先ほど気に入らない顔をしていたので、少し痛め付けました。そうしたら簡単に伸びてしまって……」

 リリスは、誰が聞いても嘘だと分かるような言葉を口にした。目の前の巨漢のこの態度。地下牢のような場所にいるというこの状況。どう考えてもルーツの傷は、あの巨漢。もしくはその仲間から、懲罰として、または理不尽に加えられたものだろう。この記憶世界における情報に疎いルーツでもそのくらいはさすがに分かる。

「売りもの同士が傷つけあうことは、禁止だと言っておいただろう? 君は、その禁を破ってその子を痛めつけたのかい?」

 冷静な声が巨漢の後ろから聞こえた。

「じゃあその子をこれ以上傷つけることは無い。離してやりなさい」

 明らかに嘘だと分かっていたはずなのに、どういうわけかルーツは巨漢から解放され、顎を地面にしたたかに打ち付けた。少女たちの手によってずるずると引きずられていき、壁にもたれ掛からされたのがわかる。痛みに堪えながら半目を開けると、ルーツはどうやら部屋の一番奥に放置されたようで、リリスの小さな後ろ姿と、腕の太さがリリスの腰くらいはある巨漢の様子がよく見えた。

―――――――――335―――――――――

「で、君は私たちの職務を妨害したということになる。この意味は分かるだろう?」

 変に落ち着いた声が続ける。

「ええ、理解しているつもりです」

 顔は見えないが、ルーツは、リリスがにっこりと笑いかけてきたような気がした。しかし、次の瞬間、リリスの体は、くの字型にぐにゃりと曲がり、轟音とともに、ひ弱な少女は部屋の壁に衝突する。脇腹に拳が突き刺さった――。ルーツがそう認識する前に、ひっくり返ったリリスの足を、巨漢は鉄格子の外からむんずと掴み、自分の胸元近くまで、逆さ吊りの要領で引っ張り上げていた。

「ヴィンデル、そのままで頼む」

 鍵穴は見当たらないのに、錠前が外れる音がした。

 栄養を、すべて巨漢の男に吸い取られてしまったのではないかと思えてくるほど細身な男が、背中を丸めながら部屋の中に入ってくる。

「君は規則を侵した。よって躾けを実行する。異論はないな」

 躾けというのがどういうものなのか、ルーツには分からなかった。

 だが――、周囲の少女たちは例外なく震えている。生半可な罰でないことだけは、その様子からも見て取れた。

 宙づりになりながらも、リリスはこっくりと頷いた。細身の男の影に隠され、リリスの顔は見えなくなる。男がゆっくりと息を吐いた。

 これから何が起こるのだろう? ルーツは、リリスという少女が気の毒だ、とは思ったが、いまから助けに行く気は起きなかった。どんなに痛みを感じていたとしても此処は記憶の中なのだ。ルーツが現在受けている痛みは、元々違う子どもの物であったはずで、ルーツはその思い出を追体験しているに過ぎない。だから、ルーツが動いたところで、結果は何も変わらない――。

―――――――――336―――――――――

 そんなことを考えていたルーツの眼の前で、男が片足を振り上げた。

 まさか、そんな――。先ほど、この男は『売りもの』と言っていた。大事な売りものなら、傷をつけるはずがないだろう。 

 ルーツは突然湧いて出た自分の思考に違和感を持った。売りもの? 僕は孤児の記憶を覗いていたはずではなかったのか――? しかしその思考は、直後に起きた、男の行動によって中断させられた。

 男が足を振り下ろす。一切、スピードを緩める気配は無い。振り抜いた足はリリスの顔面に正確に突き刺さり、だらんと垂れ下がった頼りない両手が、ひきつけを起こしたように一瞬大きく震えた。そして短い呻き声が、一度だけ聞こえてくる。

「ありがとう……ございます」

 リリスは抵抗する様子を見せなかった。手足を動かして顔を守ることもせず、ただされるがままになって、感謝の言葉を口にする。

「少し、勘違いしていたんじゃないか?」

 男は、リリスの今の状態を歯牙にもかけていないようだった。

「君が大切にされているのは、その奇妙な生まれのおかげだ。そして、その希少な赤毛のおかげだ。決して君自身に価値があるわけではない。そこのところを、君はよく分かってくれていると思っていたのだが」

 淡々と注意していくその様子は、師と弟子の日常の一コマのようにも見えた。

―――――――――337―――――――――

「自惚れたな」

 最も、そのまま殺してしまうつもりなのではないかと思えてくるほどの暴力描写が無ければの話だが。一度蹴っただけでは、男たちの溜飲は下がらなかったらしい。男はそのあとも、リリスの体のあらゆる箇所を痛めつけていった。殴る、蹴る。一切の配慮も無い、力に任せた躾けという名の、私刑が続く。一通り、暴力という暴力が彼女を蹂躙したところで、男と巨漢は役割を交代し、次は巨漢が、嬲り殺しと見まがうほどの蛮行をリリスの華奢な身体に浴びせかけた。

 何回腹を蹴られただろうか、何回顔を殴られただろうか。男たちがようやく部屋を出て行った頃には、リリスはボロ雑巾と化していた。

 今のルーツのように、自力で立ち上がることも出来ずに、部屋の中に横たわる。そして、とどめとばかりにぶっ掛けられた冷水を見て、

「ありがとう……ございます」

 うわ言のように同じ言葉を繰り返すリリスの様子は見るに堪えなかった。

 なぜ、こんな――。そう問いかけても、答えが返ってこないのは分かっていた。だけど、あんまりだとは思わないのだろうか。

 ついさっきまで綺麗な顔をしていた少女の身体には、痕が残ってしまうほどの大きな痣がたくさん出来てしまっていた。例えすぐに患部を冷やしたとしても、腫れはなかなかひいてくれないだろう。そして、この部屋にはそんな物すら無いのだ。

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「おら、お前たち。ちゃんと座れ」

 ルーツがリリスへの同情心を膨らませていたところに、さっき去って行ったはずの巨漢の声が再び響いてきた。だが、今度は少女たちの顔に怯えた様子は見られなかった。三角座りをして、例外なく鉄格子の向こうに、何かを期待した眼差しを送っている。一方、床に転がったリリスは、誰の視線を浴びることも無く、時々苦し気に呻き声をあげるだけだった。

 巨漢が再び格子の前に立つ。現在でも耐えられないくらいだった異臭が、さらに強くなっていくのをルーツは感じ取った。

「ほら、食え。ガキども」

 その声とともに、突然リリスの姿が消えた。正確には埋まった。萎びた野菜の芯。虫が湧いた腐りかけの料理。吐瀉物にしか見えないスープ。それが一度に、リリスの上に降り注ぐ。そして、少女たちはその瞬間、リリスの周りに殺到した。

 だが、次の瞬間、ルーツは自分の認識の甘さを思い知らされることになる。

 少女たちは、リリスを助けようとしたわけではなかった。それどころか、リリスに構うことはなく、一心不乱に吐瀉物を食べていた。舐める。すする。むしゃぶりつく。その様子を見て、巨漢が独り言を言っている。

―――――――――339―――――――――

「気持ち悪い」

 その一点に限っては、ルーツと巨漢の考えは一致していた。

 喉の辺りが気持ち悪い。食べたものが出てきてしまう。そんな予感がする。だが、何度えずいても、胃の中の食べ物が戻ってくることは無かった。

 もしかしなくても、この胃袋の中には何も入っていないのだろう。この少女たちを見ていれば、そんなことも自ずと分かってくる。ひょっとすると、ずっとこの記憶の中から抜け出せなければ、ルーツもあんなものを食べることになるのだろうか。食べるか死ぬかを選ぶ日が、近い将来やってきたりするのかもしれない。

 吐く物が無くとも、想像しただけで、吐き気は断続的にルーツの食道を駆け上がってきた。野菜の芯だけは、何とか鼻を摘まめば食べられそうではあったものの、その部位は少女たちにとってご馳走なのか、既に誰かの胃袋の中に消えてしまっている。

 異臭の山を見ていたルーツの眼に、白くて細長い幼虫が湧いた肉塊を食べる少女が映った。そしてそのすぐ後ろ、吐瀉物の山の中からは、簡単に折れてしまいそうなほど頼りない、細い腕が微かに覗いている。

 だが、それでも誰もリリスを助けようとはしていない。相変わらず、リリスを吐瀉物の山に埋めたまま、少女たちは平気で食事を進めていた。そして、何かを探しているのか、それとも味を調えているのか。吐瀉物の中に手を突っ込んで、かき混ぜている少女たちの様子は、ルーツの中にとあるイメージを思い起こさせる。

 リリスが食べられている。そんなはずは無いのだが、そう思えた。


―――――――――340―――――――――


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