第42話 そんなウソ。本気で信じてたのかい?

「つまり、僕はずっと村人たちに騙されていた。そういうことですか?」

「ああ、そういうことになる」

 役人はルーツに、人間とは何か、そして半獣人とは何かについて語りだした。隣のユリも情報と名の付く物は一つも聞き逃すまいと、熱心に耳を傾けている。

「私が仕えているオールト王国は代々人間の王が治めている。戦乱の時代の書物が紛失しているため一庶民が確認することは難しいが、当代の王は六十二代目と言われている。はるか昔から続く由緒正しい血統の持ち主だ。君が暮らしていたエルト村。あの一帯は、つい二百年ほど前までは森に覆われていた。魔獣の住処に近く、王国も手が出せない森だった。ところがある日、森の一角が突然消え、そこに半獣人どもが住み着いたのだ」

「その半獣人はどこからやってきたの?」

 ルーツは、役人の話を遮って聞いた。すると、役人はコホンとひとつ咳払いをして、物々しく続ける。

―――――――――278―――――――――

「分からん。正史に残っているのは奴らが突然現れ、そして王国に大きな損害を与えたということだけだ。奴らの魔法は二百年前の当時は、我々の持ちうる技術を遥かに凌駕していた。あくまで当時の事だがな。今では我々の方がずっと強い。十年以上にも及ぶ戦いの末、こう言っては何だが数の暴力で我が軍は勝利した。しかし、聡明なる王は、蛮族のように敵兵を皆殺しにするやり方を嫌い、知恵ある者を重用し、無知なるものを辺境に追放したのだ」

「じゃあいまでも、知恵あるものは王様の近くに居るの?」

 役人はカウンターの下から、『王国の歴史』と書かれた分厚い本を取り出して、ルーツに手渡した。どうやら自分で説明するのが億劫になってきたらしい。

「やっぱり自分で読め」

 開かれたページには、顔全体が鱗に覆われた人や、毛だるまになった人たちが、赤い鎧を着た勇猛果敢な戦士に追い詰められている挿絵が載っていた。

「でも、村の人たち、こんなに毛むくじゃらでも無かったし、一見じゃ、人間と何も変わんなかったよ?」

 ルーツが首を傾げながら言うと、役人はため息をつきながらページの下の方――注釈、と書かれているところを指差す。

―――――――――279―――――――――

『もともと半獣人たちは、獣と人のでした。ただ、この合戦の際に、混乱に乗じて逃げようと、顔の毛をそり、自分の鱗をはぎ取り、尻尾を切り飛ばしたりした結果、子孫が、様々な特徴を欠損した状態でしか生まれなくなり、仲間の元に帰ることも出来ず、北方の村に住み着いたのです』

 目で文字を追っていくと、そう書かれていた。

『そのため寛大な王は、敵兵を哀れに思い、税を払うことと引き換えに、そこに住まうことを許したのでした』

 この歴史書に書いてある半獣人の特徴と、ルーツが十一年かけて見てきた村人の容貌は酷似していた。これなら、村人が一向に王都の話を口にしようとしなかったのにも、ルーツを目の敵のように扱ったのにも合点がいく。

 ルーツは、この本をめくっていくうちに、奥深くに押し込まれていた怒りがふつふつと沸き上がってくるのを感じていた。

「しかし、聡明なる王様といえど、何の処罰も下さぬまま無罪放免するわけには行かなかった。流石に、仲間を殺された兵や部下、国民の目もあったからな」

 歴史書を物凄い速さで読み進める――いや、挿絵を探してパラパラとめくるルーツに、役人は言った。

「そこで王様は、半獣人どもの仲間が増える度に王都に来させることにしたのだ。つまりは、赤ん坊が生まれる度に、その親を同伴させる。勿論赤ん坊は何もわかっちゃいないだろうが、親は精神的に堪え切れないダメージを食らう。何故だと思う?」

 目が意地悪く光っていた。

―――――――――280―――――――――

「え、親と一緒に王都に行くって――それって収穫祭のこと? 僕。収穫祭に参加するのは、神殿――王都に行って、力を得るためだって、そう聞いてたんだけど。神様にお願いして、魔法の力を分けてもらうって」

「まさか、そんなウソ。本気で信じてたのかい?」

 驚いたルーツに、役人は言った。

「魔素は生まれつき、身体に流れている物だろう? 奴らが得るのは、力じゃない。自分は屑だっていう自覚だよ。神殿の神々も、半獣人の願いなんぞ受け入れまい。恩恵を受けられるのは人間だけさ。奴らが出来るのは一つだけ。次はもっとましな物に生まれられるよう、祈ることだ。でもまったく、よくもそんな馬鹿げた作り話ばかり思い付く物だよなあ。無垢な子どもに嘘を吹き込む。ま、ずる賢いあいつららしい手口だが」

 自分が信じてきたこと全てを否定され、ルーツは立ち眩みを起こしたようにふらついた。だったら何故、僕は魔法を使えないのだろうか。両親でも種族のせいでも無いならば、ひょっとすると……。魔素が身体を流れていない、そんな障害を抱えて生まれたから、僕は両親に捨てられた。ふと思い浮かんだ残酷な可能性を信じかけて、ルーツはぶんぶんと首を振る。

 生まれつき――ただ運が悪かったから、魔法が使えないなんて、そんな事。認められるはずもない。両親のせいで、悪意のせいで、僕は魔法が使えなくなったんだ。そうじゃなきゃ、誰のせいにも出来なくなる。

―――――――――281―――――――――

 ルーツは、役人の言葉を聞かなかったことにした。魔法が使えない。その事実だけが重要なのであって、真相は――。知ったところでもう今更、何かが変わるわけでもないのなら、わざわざ都合の悪い話なんか、聞いてどうなる? 僕がいままで信じてきたことだけが真実だ。それ以上でも、以下でもない。自分自身にそう言い聞かせ、ルーツは疑問を封じ込める。

「半獣人どもは、唯一、自分の村の中では王様で居られる。現実から目を背け、自分たちの都合の良いように歴史を捻じ曲げている。大人なら誰もが真実を知っているのに、子どもたちの手前、見栄を張らないわけにはいかない。幼い子どもに、自分たちが差別される対象だなんて言えるわけがない。

 その結果、奴らの子どもたちは、自分が世界の中心に居るという糞みたいな思い込みを持ったまま成長する。そして何年か経ち、親になった瞬間、期待していた王都で絶望を知るわけさ。本当は、自分たちは優れた種族なんかじゃない。人間様より劣等種だと、あの年になってようやく気がつくんだ。滑稽だろ?」

 役人は、気味が悪いほど楽しそうに語っていた。ユリが隣で、役人たちに見えないように何度か悪態をつく。村人たちを一時的に憎悪したルーツにしても、それが聡明な王とやらのやり方だとは到底思えなかった。あまりにむごいことを考えるものだ。子孫代々、永久に苦しみ続けるのだから。

―――――――――282―――――――――

「村々から、未だに編入試験の参加者を募っているのは、このためでもある」

 役人が自分の知っている言葉を出したことで、ルーツは少し反応した。

「こうすれば、優秀な奴を少しだけ早く苦しめることができるだろう? あいつら、村に戻ったら、何て言うんだろうなあ? 楽しかったって言うんだろうか? それとも、村の中では強がるんだろうか? 全く、あんな屑みたいな連中が自分たちのことをエリートだと思っているとは……反吐が出る」

 そう言いながら、役人は本当に床に向かって唾を吐いて、靴裏で広げた。

 歪んでいる。ルーツはそう思った。自分より下の者を見出して、そこに鬱憤や日頃の不満をぶつけるなんて。誰かを貶めないとやっていけないのだろうか。

 少し前に、リカルドより上の立場になったと狂気乱舞していた自分のことは棚に上げ、ルーツは純粋に、目の前の役人に対して負の感情を抱いていた。

「中には精神が壊れちまった奴もいたなあ。役所に泣き腫らした顔のまま飛び込んできて。あの時は面白かったなあ、ルイス」

 役人は隣の男性に話を持ち掛けた。

「確かにね、もう一回ないかなあ、あんなこと」

 歪んでいるのは目の前の男性だけではない。隣も、その隣の男性も心が歪んでしまっている。……いや、歪んでいると感じるのは錯覚で、本当はルーツの方が捻じ曲がってしまっているのだろうか。そう錯乱しかけているルーツの手を、ユリが軽く握ってくれた。また自分を否定しかけていたことに気づき、ルーツは一度、深呼吸をして、自分の心をなだめ、ひと息置く。

―――――――――283―――――――――

「村の人は、確かに冷たい態度をとったこともあったけど、屑では無かった。優しい人もいっぱいいたし、むしろ良いところの方がたくさんあったよ」

「あー、それは気のせいだから。ほら、どん底に居る時に、手を差し伸べてくれる人がいたら、誰でも天使のように見えるだろ? 本当は、そいつが地獄まで突き落としたっていうのにさ。もしくは洗脳の類かなあ。あいつら、そういう系統の呪文も得意だったろ、多分」

 ルーツが絞り出した言葉を、役人はすぐに顔の前で手を振り、否定した。

 村において、ルーツやユリへの偏見の目がなくならなかったように、長年に渡って培われた半獣人への差別もまた変わらないのだろう。ルーツは、この場でどれだけ反論したところで無駄な気がした。

「盛り上がってるとこ悪いんだけど、手紙のこと忘れてない?」

 自分の価値観がすっかり変わってしまうほどの大事件のせいで、ここに来た目的をすっかり忘れてしまっていたルーツに、ユリが耳打ちする。役人の半獣人落としにもうんざりしてきたルーツは、いい加減話を切り上げて、役人に再度、落とし物は届いているか尋ねた。

「えっ? ああ、手紙ね。うーんと、そういえば、今日は何件か届いてた気がするなあ?」

 役人は、数秒前まで生々しい話をしていたとは思えないようなケロッとした顔で答える。きっと図太さが無いと、役人という仕事はやっていけないのだろう。そうルーツに思わせるほどの変わりぶりだった。

―――――――――284―――――――――

「じゃあルイス。しばらくこっちのカウンターも頼むわ。まあ、誰も来んと思うけど。ちょっと探してくるから」

 役人はそういうと、ルーツたちの前からふっと姿を消した。カウンターから身を乗り出してみると、先ほどまで役人が立っていた所に大きな穴が開いている。

「皆ああいうふうってわけじゃないからね。誤解しないでくれよ」

 隣の、ルイスと呼ばれた男が言った。

「あの人は生来の面倒くさがり屋なんだ。本当は、盗品管理室は二階にあるんだけど、そこまで行くのが億劫だという理由だけで、自分の真下に部屋を作って、落とし物が届くたびにそこに放り込んでるのさ。まあ、僕としては、その方が見つけにくいと思うんだけどね」

 ルイスがそう言い終わった瞬間、何かが崩れ落ちるような音が聞こえてくる。

「手を貸してくれ! 埋まっちまった」

 そして、役人の情けない声も聞こえてきた。

「だから、いつも言ってるのに……」

 ルイスは、さらに隣の役人に仕事を押し付けると、自分も穴の中に身を躍らせた。その直後、また雪崩のような轟音が響いてくる。ルーツたちは穴から離れ、役人が読み終わって放置していた雑誌を眺めて待った。


―――――――――285―――――――――


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