第八章 正体と真実

第40話 盗品管理部

「じゃあ、どこに行くの?」

「落とし物が届くと言ったら、まずは役所じゃない?」

 ユリは、ルーツを見ながら正面の建物を指差した。

 下を見て歩いているうちに、いつの間にか大通りを横断していたらしく、まさにその役所が、ルーツたちの眼の前にそびえたっている。暗闇の中、夜でも明かりが煌々とついている役所は、さながら一つの城のようだった。

 だが、城門と違って、役所の入り口には、番兵が一人も立っていない。此処は、政治や経済の要で有るはずなのに、これほど不用心でいいのだろうか。そう思いながらも、ルーツたちは役所に足を踏み入れた。

「ルーツ・ユリ。学院編入試験受験の目的で来訪。認証済み。入館を許可します」

 無機質な機械音がルーツたちを出迎えた。

 今日だけでも、ルーツの想像の及ばない出来事はいくつも起きている。だからルーツは、いまさら名前が第三者に知られていることには驚かなかった。

 声がした時、びくりと震えてしまったのは、急に大声を出されたからで、反射的な行動だ。別に怖かったからじゃない。

―――――――――263―――――――――

 ともかく、二人は邪魔にならぬよう、柱の近くまで行くと、辺りを落ち着きなく、キョロキョロと見渡し始めた。

 ちなみに、機械音は誰が出入り口を通過しても鳴るらしかった。その証拠に、ルーツたちのすぐ後で、黒いローブを着た人物が役所を出て行った時も、

「ベルクリン様。物資取引の目的で来訪。認証済み。またのお越しをお待ちしております」

 少し口調は丁寧なものになっていたが、同じような音声が流れていた。

「いらっしゃいませ。ここはオールト王国の役所です」

 そして、ルーツがもたれ掛かった、つるつるに磨かれた銀色の柱からは、柔らかな女の人の声が流れている。

「一階はロビー、質問カウンター。簡単な質問、疑問は奥にいる事務員にお聞きください。誠心誠意サポートします。お急ぎの方は、二階。酒とお茶の会の会員の皆さんは三階奥にある会議室に進んでください。日付が変わり次第、定例会が始まります。自分が誰だか分からない、何故ここに居るのか分からない。そんな方は入り口にある呼び鈴を――」

 声に釣られて上を見ると、ロビーは吹き抜けになっていて、螺旋階段で繋がっていた。だが、その階段を行き来する人は誰もいない。

「別世界ね……」

 ユリも、同じように首を上にもたげながら言った。天井付近にはルーツより大きなシャンデリアが、吊り下げられているのではなく、浮かんでおり、そのところどころにルーツの手のひらほどはありそうな、色取り取りの宝石が埋め込まれていた。

―――――――――264―――――――――

 そして、獣が何かに飲み込まれているような、エキゾチックな模様が描かれた絨毯の上を進んでいくと、一つだけ、こげ茶色をしている円柱に、幾枚もの白い紙が貼りつけられているのがルーツの眼に留まる。


・明日は、王都周辺は曇り空。洗濯物を手っ取り早く乾かしたいなら、フィーンの乾燥玉。今なら半額キャンペーン中。――フィーン雑貨店

・キエン周辺で盗賊の出没情報多数あり。少人数での移動や、夜間の通行。徒歩での森越えはお控えください。――魔脚専門店

・君も憲兵団に入ろう! 王国の窮地を救えるのは君しかいない! 三食お腹いっぱい、ご飯を食べられます。――王都憲兵隊

・冒険がしたい。探検がしたい。変わらない日常から逃げ出したい。そう思っていませんか。軽い気持ちでの冒険は危険! 勇気と無謀は違います。始める前に一報を。――失踪者管理部。

・仲間をすべて殺され、私も右腕を失いました。残ったのは多額の治療費だけ。しかし、ラクシード保険に入っていたから、何とか生活できています。もしものための保険協会。ラクシード。いまなら青貨一枚で加入可能。


 販売促進や勧誘目当てのポスターからお役立ち情報まで。それが一緒くたになって壁を埋め尽くしていた。が、柱のポスターに目を留める人は誰もいない。

 どうやら足早に通り過ぎていく人たちは、ここに書いてあることを、子どもの落書きくらいにしか思っていないようだった。

―――――――――265―――――――――

 更に奥に進んでいくと、二十ほどはあろうかという木目の美しいカウンターに、それぞれ一人ずつ、黒を基調とし、ひきずるくらい裾の長い服を着た男性が座っていた。一番右端のカウンターには、何やら文字が彫り付けられている。

「儂のワンコが、見る見るうちに大きくなって家を壊してしまったんじゃ。詐欺じゃ。不良品を売りつけられたんじゃ。ほらここに、書いてあるじゃろう。儂はつい一か月前に、エレースっちゅう種類の犬を買ったんじゃ。ちゃんと調べたぞ。手のひら程度にしか成長しないと――」

「申し訳ありませんが、お客様がお買いになったのはエリースですね。エレースではありません。証明書の方にも、エリースと書いてありますし、今回は自費回収という形で処理させていただきます」

 白髪の老人が声を荒げている右端のカウンターには『害獣駆除』と書かれていた。

『飼っていたペットを捨てたくなった、または野生化した場合はこちらへ。被害が甚大な場合は二階の災害管理支部へ。』

 ルーツが害獣駆除と書かれたカウンターを眺めていると、つい先ほどまでは何も無かったところに、案内のような文字列がいつの間にかにじみ出てくる。

 違うカウンターに目を向けると、文字列は一時的に形を崩し、ルーツの目線の先にあるカウンターの説明文として現れた。

―――――――――266―――――――――


・物資取引。数百個単位から始められます。住所、本名、所属する事業所名の他、別途会員登録必須。詳細な説明は二階カウンターにて。初めてご利用になる場合は、必ず二階にお立ち寄りください。

・貧しい子どもたちに貴方の愛の手を! ご支援いただける方探しています。豆青貨一枚から始められるオールト募金。今月の返礼品は、薬草直売所の半額割引券。里親登録・養子縁組相談も此方から。

・魔導具危険管理。初期不良品の回収及び、事態の鎮静化はお任せ。

・訴訟対象者は此方。ただいま五日待ち。


 ルーツたちを取り囲むように、そんなコーナーがずらりと並んでいた。そして建物の端。柱に隠れ、見えにくいところには、

『盗品管理部。落とし物の相談も此方でどうぞ。保管期限の十四日を過ぎると処分しますので、ご用の際はお早めに』

 そう書かれている。

「ユリ、多分あそこだよ」

 ルーツはシャンデリアを見たままうっとりしているユリに声をかけ、ロビーの端に歩いて行った。

―――――――――267―――――――――

 盗品管理のカウンターに座っている役人は、目元や口元の小皺が少し目立つ、三十代前半くらいの男性だった。正直に言うと、あまり話しかけたくないタイプだった。街中で会う分には何とも思わないのだろうが、頭に被った、先が折れ曲がっている三角帽子が、なんとも不気味さを増している。

「はい、じゃあこの紙に適当に書いといて」

 第一声がそれだった。

 ルーツたちが何も言わないうちに、男性は、ところどころに茶色いシミが浮き出た汚い紙を、机の上に滑らせた。そして、何の説明もしないままに、湯気が立ち上るコップに口を付けると、指先をペロリと舐めて、湿った指で雑誌をめくっている。訪問者の方に向き直ることもしないその態度は、お世辞にもいいとは言えなかった。

「……何ぼうっとしてるの。早く書いちゃわないと。後ろに誰か来たら面倒なことになるでしょ?」

 ユリはそう言ったが、この薄汚い紙と立地。それに、この役人の態度を見るに、盗品管理部のカウンターに人が押し寄せてくる可能性は少ないだろう。

 そう思いながらも紙に目を通していくと、住所、年齢、名前。落とした場所。日付。その他留意点を書いてくださいと書いてある。この分だと、特別な情報は何ら要求されていないらしい。そして、少し期待していたのだが、ペンが勝手にルーツの思ったことを書いてくれることも無く、ルーツはここに来た目的から、無くなったものまで、一から書き込む羽目になった。

―――――――――268―――――――――

 結局、全てを書き終わるまでには十分余りの時間を要した。

 だが、「出来ました」と渡しても、役人はルーツの顔も見ずに受け取るだけだった。そしてそのままカウンターの下に、ルーツの努力の結晶を投げ捨てる。

「あのー」

「何だ、まだいたのか。また後で来てくれ。いま面白いとこなんだ」

 隣でユリが呆れていた。ルーツには目の前の男性が、テキパキと仕事をこなす、隣の魔導具危険管理部の中年男性と同じ職場の人物だとは思えなかった。ひとりだけ、役人の皮を被っている浮浪者なのではないかと錯覚する。

「すいません、急ぎのようなんです」

 そう言っても、男性はピクリとも反応しない。ユリはひどくイライラしていた。

 そして、結局雑誌を最後のページまで読み終わったところで、ようやく男性は、ルーツたちの方に向き直った。

「しつこいなあ。明日じゃ駄目なの? いま忙しいんだよ」

「雑誌読みながら飲み食いするのが仕事なんて、随分といいご身分なのね」

 遂に黙っていられなくなったのか、ユリは皮肉交じりに役人を咎めた。

 すると、役人はため息をつき、これ見よがしに舌打ちをする。そして、ぶつぶつ文句を言いながら、ルーツの紙を拾い上げた。

「あー、あっ、そう。フーン。そりゃ大変だったねえ。で、こんなこといちいち書いて同情でも引きたいってわけ?」

「こういうのは要点だけ書きゃいいんだよ、ウスノロ。それに文字が小さい。見にくい。読ませる気あんのか? 読んでほしいなら、少しぐらい配慮しろ」

「あー、かったるい。見てるだけでも目が疲れるわ」

―――――――――269―――――――――

 どうして、窓口にこれほど愛想の悪い人を置いているのか。ルーツにはさっぱりわからなかった。相当人手が不足しているのだろうか。それとも、何かしらの事情があったりするのだろうか。ともかく、やる気のなさだけはひしひしと伝わってくる。

「……この人、やる気あんの?」

 ユリの言葉に、ルーツがこれほど同意の意を示したくなった事も無かったろう。

 ルーツは、役人が三言も話さないでいるうちに、この盗品管理という部署が閑職であることを、何より早く確信していた。


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