第38話 全く似ていないのに、どこか似ている

 結果として、ユリと物の値段について話し合ったことは、二人の財布の中身を助ける抑止力になった。最初はわき目も振らずに歩いていた二人であったが、お腹がすいてくるに連れて、風とともに漂ってくる香ばしい匂いに何度もつられそうになったのだ。しかし、その度に

「豆青貨一枚あれば、ピラーの実が五十個は買える……」

 過去に雑貨屋で見た値札の記憶が、衝動買いを諫めてくれた。だが、

「あー、お腹減った。もしかして私たち、同じとこ回ってない? さっきここ通った気がするんだけど」

 財布の中身が減らずともお腹は減っていく。

「確かに、節約して餓死したなんて笑い話にもならない」

 長い長い商店街を進むうちに、影はすっかり長くなり、辺りを通り抜ける風も冷たいものになってきていた。

「学院を見つける前に、まず寝泊り出来る所を探さないと……早くしないとお腹と背中がくっつきそう」

「でも、もう結構来たと思うんだけどな……」

 通りからはすっかり人が居なくなり、数時間前とはまた違う閑散とした雰囲気をルーツたちに見せている。

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「ここら辺で何か買って食べようか……」

「じゃあ、うちの品物でも買って行くかい?」

 ルーツとユリは、背後から急に聞こえた声に飛び上がった。振り返るが、急激に訪れた夕闇にまだ目が慣れていないのか、声の主の顔はほとんど見えてこない。目を細めたり、瞬かせたりしていると、周囲の家々に明りが灯ったことで、辛うじて男の姿が照らし出された。その口元には、立派な無精ひげが生えている。

「あれ、この人。どっかで見なかった?」

「アンタが話しかけるのを躊躇ってた人じゃないの?」

 これだけ歩いたのにそんなわけがない。そう思いつつも、

「おう兄ちゃん。ちょっと前にここら辺ウロウロしてたよな。どっかの帰りかい?」

 その言葉は強烈で、ルーツたちは元の場所に戻ってきてしまったことを認めざるを得なかった。

「おい、兄ちゃん。大丈夫かい?」

 地面に手を付いたルーツを見て、男は心配そうに言う。

「あの、私たちずっと歩いてたんですけど……」

「あー、そういうことか。災難だったな、嬢ちゃん。この通りは大きな円を描いてるからなあ。一日中何も考えずに歩いてても、欲しい物が全部そろうってことで有名なんだ。ただし金はかかるけどな」

 ユリもルーツの隣に手を付いた。

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「あの、とりあえず何でもいいんで食べる物……食べる物下さい」

 腹の減り具合が限界に達したのか、ルーツが乞食のようなことを言い出したところで、店主は見るに見かねたのか、店の中に入るように二人を促した。

「あんまりにも、可哀そうやしなあ……ここで食べてくかい? 今回だけ、金はとらんから」

「でも良いんですか。あんまり売れ行き、良くないみたいだけど」

「つまらんこと言うと追い出すぞ」

 二人は、冗談めかして怒った男の後に続いて、店の奥に入っていった。

 店舗になっているのは手前の一室だけのようで、他はごく普通の家だった。王都に店を構えているくらいだから相当溜め込んでいるのかと思っていたルーツの予想とは異なり、贅沢品と呼べるようなものは何一つ置かれていない。部屋の四隅は黒ずみ、埃が溜まっていた。

「ん、意外か? 借りてるだけやからな。あんまり売り上げも伸びんし、家賃だけで半分は持ってかれる。兄ちゃんも、商人になるのだけはやめといた方がいいぞ。こんな仕事、続けたところで、何もいいことありゃしない。」

 男は、椅子に腰かけた二人に温かい飲み物を出しながら言った。猫舌のルーツはなかなか口をつけられなかったが、男の優しさは心に染みた。

―――――――――248―――――――――

「で、こんな場所をずっとほっつき歩いてた理由を聞かせてくれるかい」

 無精ひげも、見方によっては哀愁漂う、ただの不揃いな毛の塊と変わらない。昼間見た時は強面に思えた男の面は、室内の明かりの下では頼りなさげに見える。

 男は、ルーツたちがすぐに質問に答えないのを見ると、流し場から手料理を持ってきた。ルーツたちがこの男の家に呼ばれたのは全くの偶然であるはずなのに、ルーツとユリに一つずつ。それから男の前にも料理が置かれる。

 だが温かい飲み物とは違い、その料理は何時間も前から誰かを待っていたように、すっかり冷え切っていた。

「まあ、突然話しかけてくる奴を信用しんのは当たり前のことやからなあ。黙りこくるのもなんとなくわかる。けど、さっきの質問に特に深い意味はないぞ。もし、家出や捨て子とかやったら通報することになっとるもんで……まあ、その身なりからして大丈夫やろう? 前、かくまった奴が酷い目に遭ったらしいから、一応確認したけどな」

 男のその言葉に、ユリとルーツは顔を見合わせた。ユリは紛れもない捨て子。それにルーツも生まれたすぐに、親に置き去りにされている。目の前の男は、そんなことは露ほども知らないのだろうが、その偶然の一致がルーツにはどこか面白かった。

「なに、笑っとるんや」

 眼の前の男は、少し不貞腐れたように言った。

「それやったら、俺が一つ質問するごとに、なんでも一個だけ情報あげるってことでどうや。見たところ、兄ちゃんたち道に迷ったんやろ。ここで聞いとかんと、また街を彷徨うことになるぞ」

―――――――――249―――――――――

 基本的に物寂しい様子で話し続ける男は、条件を叩きつける時だけは笑顔を見せた。なんだか、商売人である男の得意分野に持ち込まれたような気がするが、ご飯を食べさせてもらった手前、断るわけにもいかず、ルーツたちは男の申し出を受け入れる。

「じゃあ質問。この街に来た理由はなんや?」

 王都全体がこんなに賑わっていれば分かりそうなものなのに、男はあくまでも理由が聞きたいようだった。もしかすると男は、本当に誰かと喋りたかっただけなのかもしれない。

 相手の家で出されたものを食べている時点で警戒心の欠片も無いのだが、ルーツはこの時初めて、緊張を緩めたつもりでいた。

「編入試験とやらに選ばれまして……」

「ほう、そういえばそんなことを、薬屋のおばばが言うとったなあ」

 男の中で繋がる物があったようで、男は納得したように何度も頷いた。

「それで、その試験ってのは――」

「こっちからも質問して良いかしら?」

 ルーツが男に釣られて口を開きかけたところで、ユリが口を挟む。

「どうやら、こちらのお嬢さんは賢いみたいやな」

 男のその言葉に、ユリは一つ、大きなため息をつくと、

「なんで、この街には案内図も見取り図も何にも無いの?」

 直接男に学院までの行き道を聞くのではなく、変化球を投げてきた。男は感心した素振りを見せながら、鼻の頭を何回か触る。

―――――――――250―――――――――

「でもそこまで考えたんやったら分かりそうなものやけどなあ。嬢ちゃん、国家が最も危惧することは何やと思う?」

「何よ、いきなり」

「重要なことや」

 そう言われて、ユリはしばし考え込んだ。

「隠しておきたい秘密を敵に見られること?」

「そういうことや」

「じゃあ、もう一つ聞いていいわよ」

 ルーツを置き去りにしたままユリは納得したようで、次の質問に移りかける。

「ちょっと待ってよ。僕まだ何にもわかってないんだけど」

 戸惑うルーツに、ユリはジトリと呆れ混じりの半目を向けていた。

「一回で理解しなさいよ。例えば誰かが街全体の見取り図を作ったとするでしょ。そして、誰もが便利に街を散策できるように国中に配布する。そしたらどうなると思う?」

「便利になる以外に何かあるの? いいじゃん、そうしたら僕らみたいに迷う人もいなくなるし」

「だ・か・ら。地形とか町の構造が相手に全部筒抜けだったら、簡単に攻め込まれるでしょって言ってんの!」

 ようやく合点がいった。ユリより二回り遅れで感心するルーツを、男も呆れた目で見ている。

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「兄ちゃんはこの問題を軽い感じにとらえとるかもしれんけど、情報の流出は国家にとって常に一番の懸念事項やからな。兄ちゃんも今日着いたばっかりなら、壁のとこで全身装甲野郎に出くわしたやろ」

 そういえば、とルーツは頷いた。

「あいつらは怖いぞお。特に入口付近を見張っとる奴らは、座右の銘が疑わしきは罰せよになっとるからな。前、俺の家の近くに住んでた幼子がな、止めればいいのに友だちの家を覚えておけるようにって地図を書いたんや。そしたら、帰り道にそいつらに見つかって……」

 男はそこで、チーンと鼻をかんだ。

「その場で幼子は胴体とサヨナラしとった」

 ルーツの背中を冷たいものが伝った。本当に情報というものは馬鹿に出来ない。この話を聞かなかったらルーツも、王都から出る時に自分の体と永遠にお別れしていた可能性もあるのだ。

「じゃあ、俺からもう一つ質問する。この街の、あのでっかい壁。見てみてどうやった? 頑張ったら乗り越えられると思うか?」

 悲しい話から雰囲気を一変させた男は、質問なのか意識調査なのか、分からないような問いかけをした。

―――――――――252―――――――――

「本当にそんな質問でいいの?」

「楽しいからええんや」

「じゃあ……厳しいんじゃない?」

「なるほど。兄ちゃんはすべてのことに、とりあえず保険をかけとくタイプなんか。うん、安定志向はいいぞお。大事を取るのはいいことだ。大きく転びもしないし、大当たりも無い。平凡で幸せな人生が送れる」

 心理テストでもしているかのように、男は楽しそうに言った。その顔は本当に無邪気なもので、ルーツの心にハバスの笑顔を思い起こさせる。

 村から遠く離れた場所まで、はるばるやって来たというのに。ルーツは、試合の後、一度も会っていないハバスのことが、無性に気になっていた。いまさらどうしようもないことは分かっているが、自分が王都を楽しめば楽しむほど、ハバスからその楽しみを奪ったことに気づき、どんどん気分は重くなる。

 ルーツが自分の言葉で落ち込んだと思ったのか、目の前の男は口を大きく開けて笑った。ハバスと同じ大きな犬歯が――、いや、口の中でつかの間覗いた歯はすべてルーツと変わらない、小さな物だった。少し黄ばんだ男の歯を見た瞬間、ルーツの中からハバスの幻影は消えていく。

―――――――――253―――――――――

 なぜ、ハバスとは似ても似つかないこの男が、ハバスにどこか似ていると思ったのだろう? 

 ルーツは、もう一度男の顔をじっくり見るが、ハバスとの共通点は何一つ見つからなかった。むしろ、見れば見るほどこの男が、ハバスとは全く違う、異質な何かであることにルーツは気づき始める。顔だけの問題ではない。もっと深いところで、身体を構成する組織そのものから、男とハバスは違っていた。

 否、違っているのでもない、何かが足りない。

「じゃあ、こっちも質問するけどいいわよね。宿屋と、役所。できれば学院の位置も聞きたいんだけど」

 今度は、ルーツに確認を取るように此方を見たユリと、男の姿が重なった。全く似ていないのに、どこか似ている。しかもルーツともそっくりに見えるような――、

「ユリ!」

 ルーツの突然の大声に、ユリはビクリとした様子で固まった。

「なによ、そんなに質問したいなら、勝手にすれば。別にアンタの質問機会を奪おうとしたわけじゃないのよ。アンタが考え込んでるようだったから、それなら私が代わりに聞いてあげようかなと思っただけで」

 ユリはつっけんどんにあしらいつつも、心配そうにルーツを見つめている。

 確かにそうだ。口調だとか仕草だとか表情だとか、そんな小さなことじゃない。もっと根本的な何かにおいて、ルーツと男はそっくりなのだ。

―――――――――254―――――――――

「すいません、あなたってもしかして――」

 考えがまとまる前に、ルーツの口からは言葉が勝手に零れ落ちていた。次になんと言うべきなのか分からず、黙りこくる羽目になる。男は首を傾げ、微妙な空気になったのを悟ったルーツは焦った。

 どう言ったら男は理解してくれるのだろう。もし違っていた場合、どうすれば男に気づかれずに済むだろう。そう考え、ルーツが出した答えは、

「余計なもの、何も付いてませんよね」

 これだった。


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