第35話 重ねた嘘は全部自分に返ってくる

「でも、これ。ただの狐だよね? 魔獣じゃないよ。僕でも西の森の浅いところで、何回か見かけたことあるし」

 村長の方を見つめていると前方から声が聞こえてきた。

 見ればルーツはいつの間にか、魔脚の側まで近づいていて、騙されているんじゃないか、とでも言いたげに首を小さく傾げている。

 逆に村長は、遠目に見ているにもかかわらず、何やらうんうん頷いていた。

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「ルーツ。それは、魔素が足りていないからじゃないかのう。この魔獣は、普段はただのそこらへんにいる狐と変わりがない。特定の草木を食べて魔素を吸収すると、一時的に巨大化するため恐れられておる。……合っておったか?」

 そう言うと村長は、役人をまじまじと見る。

「以前とお変わりないようで。少なくとも、あと三十年くらいは丈夫で暮らしていけるでしょうな。長生きなさってください」

 役人が村長にそう返すと、乗り物から、また別の声が聞こえてきた。

「燃費が悪いもんでな。お嬢ちゃん。ちょっち狭いだろうが、森を抜けるまでは我慢してくれ。こいつ、大きくなると、木に挟まっちまうことがあるんだ。まあ、狭ければ、お隣のひょろひょろ坊主ともくっつけるし、悪いことばかりでもねえだろう」

 そう言い終わるとともに、乗り物の下からしゃくれ顔の男が顔を出す。

 狐に似た魔獣の背中が内側からドアのように勢いよく開き、村長と話していた役人がユリたちを先導した。

 目の前に立って見ると、乗り物には普通の獣や魔獣には無いような不自然なでっぱりが何か所か有った。そして、足を踏み外したら顔を踏み抜かれそうな位置に陣取っている役人。しゃくれ顔の男が、足をかけるべき場所を教えてくれる。そのおかげで、ユリは難なく背中の蓋らしき部分までたどり着くことが出来た。が、ルーツは何度かずるっと滑り落ちて、そのうち一回は危うく役人の顔を踏みかけた。

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「へえ、中はこうなってるのね。狭いって言ったけど意外と広そうじゃない」

 背中から中を覗き込むと、そこには脚の無い座椅子が五、六台。ボードゲームや分厚い本がずらりと並び、テーブルや、いまにも飛び込みたくなるほどふわふわに見えるクッションも用意されていた。

 それに、赤と茶色を基調にしたシックな空間。絨毯と壁の色合いは、先ほど村長が言っていたように豪勢な雰囲気を醸し出している。そして、魔脚の中に飛び降りたユリは、室内の広さが外観とあまりにも不釣り合いなことに驚愕した。

「どうです? 凄いでしょう。これからまだまだ大きくなりますからね」

 役人が二人、それから最後にルーツが部屋の中に入ってくる。外から見た狐は、ユリ一人が収まるくらいの大きさしかなかったはずだった。が、この空間は、大人二人と子ども二人が寝ころんでも尚、余りあった。

「どうなってるの?」

「まだ、売り出していないので私の口からは何とも。……そういえば、お二方、準備に手間取っていたようでしたが、別れの挨拶の方は済ませてきましたか?」

 おそらく、この空間の仕組みは秘匿事項であったのだろう。

 役人にすぐに話題を逸らされてしまったところで二人は顔を見合わせた。そしてユリは、他の子どもたちのことを考える。

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 そういえば、選考会で選ばれたという事実が衝撃的過ぎて、ユリは他の子どもやその保護者たちの存在をすっかり忘れてしまっていたのだが――。

 試合に勝利したにも関わらず選ばれなかった子どもたちは、今回の一件のことをどう思っているのだろう。明らかに自分たちより劣った、そして努力もしていない二人が選ばれた。他人の立場になってみれば、これはなんと不公平なことだろうか。

 試合が終わり、目を覚ました直後、ユリはリカルドが禁止されている呪文を使ったことを扱き下ろしたくて溜まらなかった。規則を破って相手に危害を加えようとしていたリカルドの事を、蔑んだ目でしか見ることが出来なかった。しかし、今ならリカルドの気持ちも少しは理解できるような気がする。

 ユリ自身も納得出来ていないこの現状。それなのに、どうして他の参加者は、特に他の勝者たちは抗議にやって来ないのだろう。

 あんなに勝負に執着していたのなら、腐った木の実を投げつけることぐらい。出発する時まで押しかけてきて、しても良さそうなものなのに――。

 そこまで考えてユリはようやく、この一連の騒動で、後々一番害を被るのはルーツだということに気がついた。この選考会は一生もの。少ない枠を勝ち取れば、王都での編入試験に参加することが出来、そこで合格すれば立身出世の道が開ける。ユリたち以外の三チームは、その栄光へと繋がる可能性を、ぽっと出のユリとルーツに潰されたも同然なのだ。しかも、遺恨の残る選考方法で。

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 村長と縁が深いから。金を積んだから。裏で根回しをしたから……。考えようと思えばいくらでも、理由をこじつけることは出来るだろう。

 ユリは良い。村人から疎まれているのはデフォルトで、特段親しい友だちが居たわけでもないのから。しかし、ルーツは違う。

 試合で戦ったハバスは一番仲の良い友だち。一試合目の女二人とも、よく一緒に遊んでいたと、ルーツは言っていたではないか。それに他の村人も。どんなに関係が薄いと言っても、ルーツがこの村で十一年育ってきたという事実は変わりない。

 役人が、万人に納得のいく理由で説明してくれていればいいのだが。もし選考基準が公開されず、不明瞭なままだったならば、少なからずあった村人との絆のような物に、修復不可能なまでの亀裂が入るのは避けられないだろう。

 事の重大さを、ルーツは理解しているのだろうか。そう思い、ユリは、肘掛椅子のしっくりくる位置を探し始めていたルーツをちらりと見た。

「いいよ、挨拶は。もう全部済ませてきたから」

 ルーツはすらりと嘘をついた。顔色一つ変えていなかった。だから、その嘘が嘘だと分かったのはユリだけで、役人たちには分からない。

「でも坊主。友達ってもんは、別れの時くらい見送りに来るもんじゃねえのかい?」

 しゃくれた男が疑問を投げかけたが、ルーツはなんだかへらへらしていた。

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「ああ、それはね。僕が、絶対勝てないって言っちゃったから。七日間観光するだけだって自慢したら、お土産買って来いよって笑ってたから。あいつらのことは、気にしてくれなくても大丈夫ですよ」

 そんな事実は無かった。ルーツはこの数日間、家の中でずっとユリと一緒に居たのだ。友だちは……、少なくともルーツの見知り合いの人は、誰一人として。謝りにやって来たカルロスさん以外は、見送りどころか、見舞いにすら来ていない。

 なのに、嘘を言って、後々辛くなるのは自分自身であるはずなのに、ルーツはそれでも嘘をつくのをやめなかった。

「おすすめのお土産って何かあります? 出来れば安くてたくさん入ってるので」

「……坊主、本気で言ってるのか?」

 役人は、殊更に明るいルーツに、戸惑っているようだった。

「お前ら、もし編入試験に通ったら、そのまま王都で暮らさなければいけないこと知ってんだろ? 万が一ってこともある。可能性がほんのわずかでもあるなら、当人が恥ずかしがって、来なくていいって強がっていても……。友の門出には、駆けつけてやるのが友だちってもんじゃないのかい?」

 しゃくれた役人は、どうにも納得できないようで腕を組んでいる。

 だがルーツは、嘘を更に塗り重ね、全ての事実を誤魔化した。

「だから、昨日友だちの家で全部済ませてきたんだって。そこで僕が、直前に来られると、行きたくなくなるからって言ったんだよ。……分かった? 役人さんたちも、こんな押し問答続けてないで早く出発してよ! あんまりぐずぐずしていると、僕の決心が鈍って逃げ出すかもしれないよ?」

 重ねた嘘は全部自分に返ってくる。

 役人を納得させるために理想を語れば語るほど、自分の吐いた嘘と非常な現実が大きく乖離している事に。残酷な事実に、ルーツは気づくだろう。

 ルーツは辛くならないのだろうか。それとも、そんなことにはもう慣れっこになってしまったのだろうか。ユリは、いつも頼りなさげで、打たれ弱い少年の意外な一面を見たような気がした。

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「じゃあ、出発するけど本当にいいんだな」

 役人が最後にもう一度だけ確認した。ユリとルーツは同時に頷く。室内にいるはずなのに風を感じる。ユリの肩ほどにまでおろしてある黒髪が大きくなびいた。

 すると不意に、赤と茶色のシックな壁が消え失せて、外の様子を映し出した。

 横を見ると、村長が手を振っていた。

 向こうからも見えているのかは分からないが、ユリもルーツも手を振り返す。

「最初はちいとだけ揺れるからな。横ばっか見とらずにちゃんと何かに掴まっとけよ。ほら、行くぞ……。三、二、一……」

 そして、バーン、という大きな音がした。村長の姿はたちまち見えなくなった。乗り物はますます加速して、数秒前までに居た地点を遠く彼方へ置き去りにしていく。

 後ろを振り返ると、村は小さくなり、森の中へと消えていくところだった。

 だが、綺麗な森の風景や、野の風景。その他の自然の光景は、殆ど視界に入ってこなかった。その代わり、ユリとルーツの両の目には、手を振る村長の姿が焼き付いてしまっていて、自然と意識はそちらに向かう。

 決して、別れを辛く感じているわけではなかった。

 この村を離れることを寂しく感じているわけではないはずだった。

 だけども二人はいつまでも。村を取り囲む森すらも見えなくなってしまっても、村があるはずの方角に向かって、懸命に手を振り続ける。

 だからユリたちは、村長が、既に家の中に入ってしまっていたことも。

 村長が部屋の床に突っ伏して、ルーツの名前をむせび泣くように呼び続けていたことも、何も知らないままだった。


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