第34話 底が見えない村長

「……ねえ。アンタ、まだ準備終わんないの? 役人さんたち、もう家の前まで来ちゃってるんだから早くしてよ」

「分かってる。わかってるって! いま行くから! そう言っといて!」

 部屋の中からドタバタと、慌てふためくような音が聞こえてくる。

 ルーツは今になって、持てるだけの荷物を緑色のリュックに詰め込んでいた。

 準備を始める前に、必要な物を何かに書きだしていたような気がするのだが、そのメモは部屋に散乱した本やら衣類やらの下に消えてしまっている。入れ方が下手くそなもんだから入れては出してを繰り返す。その非効率さがユリは嫌いだった。

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「さっきもおんなじことを言ってたような気がするんだけど? 早くしないと本当に置いていかれるんじゃない?」

 出かける準備なんて、とうの昔に終わっているユリとしては、家の外で首を長くしながら待っている役人たちの様子ばかりが気にかかる。

「いっそのこと、私がアンタの分も準備してあげるから。もういい加減、私をあいだに挟んで話をしようとするのやめてくれない? もう少しかかるとか、そういうことは、自分で直接言ってきなさいよ」

 先ほどユリはルーツに頼まれて、準備に手間取っているという旨を役人に伝えに行っていた。が、その様子は何ともぎこちないものだった。

 ルーツも初対面の人と話すのは苦手としているようだが、ユリの人見知り度合いはその比ではないらしい。

 片言で要件だけを伝えると、暇つぶしに話しかけてきた役人から逃げるようにしてこの部屋に帰って来た数分前の自分を思い出し、ユリは顔を赤くする。

「いや、でももう終わるから……こいつで完成!」

 ルーツは飛び出ていた衣服を上から押さえつけて、何とか蓋をすると、一仕事やり終えたかのように満足げな顔をした。だが、色々重要なものを忘れているような気もするのだが……。これで本当にいいのだろうか? 

 王都に滞在する時間は、移動を合わせないと七日ほど。最悪、食べる物さえあればなんとかなるのかもしれない。

 そう思ったユリは、他にも言いたいことがあるのをぐっと我慢する。

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「じゃあ、行こっか!」

 にこやかに笑った少年を、自分がうんざりしたような目で見ているのが分かった。多分ルーツはユリとは異なり、王都に行くことをちょっとした旅行のつもりでいる。それはここ数日のルーツの浮かれようからしても明らかだった。

 おそらくは、書状が届き、偉い立場であるはずの役人がわざわざルーツの部屋までやって来たことで、さぞいい暮らしが出来ると勘違いしてしまったのだろう。

 ひょっとすると、宿泊先も、食事も、必要な物はひとつ残らずすべて、ふんぞり返って座ってさえいれば勝手に出てくると思っていたのかもしれない。

 だが、少し考えてみれば分かることだが、ユリたちは王都で編入試験を受けることを許された身。そう、受けて欲しいとお願いされたわけではなく、あくまでも受けることを許されたという立場なのだ。直前まで、ルーツはその重要な部分を勘違いしていた。だから、何日も準備する期間があったにもかかわらず、ユリに指摘されるまで少しばかりの貨幣と衣服しか用意していなかったのだ。

 それに、本来ならすべての料金を自腹で出さなければいけないはずのところを、往復の代金と向こうでの滞在費の一部を学院側が負担してくれている。普通はそれだけでも感謝すべきことなのだが、ルーツは少しも有難みを感じていないようだった。

 それどころか、村長からお小遣いとして、余分のお金を受け取った時でさえ、当たり前のように懐に入れていた。

 ユリにはルーツのその部分があまり理解できないし、好きではない。


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 家から出ると、先ほど三軒先くらいの場所に置かれていた変な形の物体が――丸にも四角にも見えない形の置物が、玄関近くまで移動していた。だが、まさか足が生えたわけでもないだろうし、あれだけの物を持ち運ぶのは一苦労だろう。

 それなら、この物体はどうやってこの短時間に移動したのだろうか、とユリは首を傾げて考える。自分以外には馴染みのある物なのかと思い横を見てはみたのだが、どうやらルーツも何も知らないようで、何とも気の抜けた顔をしていた。

「アンタ、これが何か知ってる?」

 万が一のことも考えて、一応そう聞いてみる。

 だが、やっぱりルーツは首を横に振った。

「ほう、こんな豪勢なものを持ってきおって、給料に響かんと良いがのう」

 気がつくと、村長が音も立てずにユリたちの後ろに現れていた。本当にこの人の登場の仕方は、やって来るというより現れるという言葉がふさわしい。ユリは、村長と顔をあわせる度にそう感じる。

「ご心配には及びません。ちゃんと上から、それ用の金は降りていますので」

 帽子を深くかぶった役人が、村長に向かって頭を下げた。

「そういう事じゃったか。別の貧相な乗り物だと首が飛ぶと。お主も大変じゃのう」

 ユリにしてみれば話が飛躍したのだが、村長と役人の間には一定の理解があるようで、互いに納得しているようだった。

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 推測するに、この役人の上司が、いやもっと上の立場の人が、役所の威信か何かのために、金がかかった乗り物を用意しろ、と言ったのだろう。そしてそのために金は前もって渡されているため、誰かの懐が痛むということは無い。逆に少しでもごまかそうものなら、公金を使ったとして首が飛ぶ。

 きっと、事実はそんなところ。面白くも何とも無い。

 しかし、豪勢とはいうが、この乗り物のどこに金がかかっているのだろうか。

 お世辞にも目の前の物体は乗り心地がいいとは思えず、そもそも乗り物にも見えなかった。だが、もしかすると、この村の人達には、あれが素晴らしい物に見えているのかもしれない。と、そんな疑問を抱えたユリは、ルーツに小声で尋ねてみる。

「ねえ、アンタもあれが豪勢に見える?」

「と、当然だよ。特に、あの先端の辺りとかいいよね。真ん丸にも四角にも見えるところがまた可愛いし」

 返事だけ聞けば、この村の人達はユリと随分異なる感性を持っていることになってしまうのだが、ルーツの額に浮かぶ大量の汗から、ユリは少年の真意を判断した。

「そうよね。周りに飾ってある花もとても綺麗だし」

 何もない場所を指さし、適当なことを言ってみる。

「え? 花? あー、あそこにあるやつね。うん、見える。綺麗だよねー」

 面白い。

 ユリも、いますぐあの乗り物に乗れ、と言われたら今のルーツみたいな青い顔になるだろう。しかし、ユリ以外にも奇妙な形に見えるなら、あの乗り物には何らかの仕掛けが施されているに違いない。

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 そんなユリの想像と同期しているように、役人は奇妙な形の物体に向かって何かを差し込んだ。手慣れているのか一連の動きはあまりにも早く、ユリには何が起こったのかほとんど見えなかった。が、物体は一瞬大きく震えたかと思うと、瞬きをしているほんの僅かな合間に四本足の獣の形になっている。

「これは――」

 ルーツが言葉に困ったかのように途中で話すのを止めた。

「魔脚じゃよ。魔獣から採れた魔素を原動力にして走る、新時代の乗り物じゃ。生前の魔獣そっくりの姿で、そして本物の魔獣に近しい能力で、どんなに荒れた坂道でも自由自在に駆け巡ることが出来る」

 村長がルーツの言葉を継いだ。

「意外に驚かないんですね。もっと悲鳴をあげるのを期待していたんですが」

 役人はこちらの顔を見て、少しがっかりした様子でそう言ってきたのだが、ユリは目の前の魔脚? とやらを見ても、怖がる気にはなれなかった。

 確かに、変形した時は少しばかり驚きはしたが、悲鳴を上げるほどでもない。それに、どちらかというとこの魔獣は、なんだか可愛い。

 ユリが何か言う前に、村長は乗り物に関する話題を広げた。

「儂は何回か見たことがあるからのう。もちろん、目にしたのはもっと旧型の奴なのじゃが。細かい再現までは、まだ難しいと思っていたのじゃが、こんなものが市場を出回っていたとは知らなんだ」

「いえ、これは貴重ですから。新型は、まだ市場に出回るどころか、存在すらもおおやけになっていないものが大半です。実は今回の編入試験を機に、王都に向かう道中にある村や、町の傍を駆け巡りながら、お披露目する予定になっていますので」

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 村長は新しい技術を目にしてもいささかも動じることは無く、淡々と役人と会話を続けていた。そんな様子を見ていると、この人は村の長である以上に多くのことを知っている気がすると、ユリにはそう思えてくる。

 村長は他の村人と違いユリにも優しかったが、村長の予測できない言動は、ユリの不安の温床となっていた。自分が村の人に冷たくされる理由は、よそ者だからという理由で片付けることが出来る。理解が出来る物事に対しては、気分が落ち込むことはあるにしても、それ以上に不安を感じることは無い。

 だが、いつも何をやっているか分からず、底が見えない村長は、果たして腹の中で本当は何を考えているのか。自分より数手先を行っているから思慮深く見えるのか、それとも自分の本心を深いところにしまい込んでいるからそう思えるのか。

 村に馴染んできたとはいえ、まだまだ余所者であるユリにとって、村長は絶えず注意しなければならない人物の一人だった。


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