第33話 あなたたちは選ばれました
部屋の扉がまた、ゆっくりと閉まる。ルーツはユリを奇妙なものでも見るような目でじっと見た。
「なんなの? 人の顔をじろじろ見て。……私の顔になんかついてる? それとも、張り倒されたいの?」
お淑やかなユリは普段のユリに戻っていた。
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「もしかして、村の大人たちに会う時、いつもあんな感じで喋ってるの?」
「いいでしょ。そんなこと。最初に丁寧な口調で喋っちゃったんだから、いまさら変えられないのよ!」
そう言われ、ルーツは胸をなでおろした。どうやら、試合中に大きな衝撃を受けた所為で、頭のネジが飛んでしまったわけではないらしい。
「それで……僕たちが勝ったってわけ?」
心配事がなくなったところでルーツが言うと、ユリも不満そうな顔をした。
「勝ったって気はしないわよね。一方的にやられっぱなしだったし。特にアンタ、何あの最初の避け方。当たらなかったからよかったものの」
「ユリが絶対当たらないって言ったからだろ!」
「違う! いきなり走り出したことを言ってんの! もし、あの時リカルドが呪文を撃ってたら、何かの間違えで当たってたかもしれないでしょ。ゆっくり遠ざかるようにって、あれほど何度も教えたじゃない!」
「でもユリだって、僕が倒される前にハバスに簡単にやられちゃったじゃないか! 二対一になんなきゃ、そこそこいけてたかもしれないのに」
「ハバスの方が強かったのよ!」
終いには喧嘩になった。だけど、ユリはこの方がいい。気持ち悪いと言ったら激怒するだろうが、お淑やかな喋り方はユリには合っていない。そんなこんなでルーツたちが部屋の中で騒いでいると、家の外からも騒ぎ立てるような声が聞こえてきた。
―――――――――209―――――――――
「入れてください!」
「だめじゃ。まだルーツは寝ておる。せめて明日にしてくれんかのう」
「そうは言っても、これはもう決まったことです。そこをどいてください」
村長の声と、数名の男女の声がする。どうやら、玄関先で何かを言い争っているようだった。ルーツが様子を見てくるようお願いすると、ユリは何か言いたそうな顔をしていたが、最後にはわざとらしく大きなため息をついて、部屋を出て行く。
「何かあったんですか?」
開けっ放しにしたままの扉から、遠ざかる声が聞こえていた。
「そうです! ありました。これを渡したいんです」
「いま、お邪魔してもいいでしょうか。失礼します」
玄関口からは村長の制止の声が聞こえていたが、次の瞬間には、鎧を来た数人の男女が、ルーツが寝ている部屋の中になだれ込んでいた。目の前で、瞬く間にその数人が横並びになり、直立不動の姿勢をとる。後に続いて、おっかなびっくり。再び部屋に戻ってきたユリは、その中の一人に促され、ベッドの反対側に回った。
そうして場が落ち着くと、ルーツの枕元付近に立っている女性が、コホン。一つ大きな咳払いをし、筒の中から書状を取り出す。
「いいですか?」
二人が頷くと、女性は続けた。
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「このたびの選考会において、ルーツ、ユリ。上記二名は、学院試験に挑戦する資格を保有していると認められました。つきましては、きたる収穫の月に王都で開かれる第三十二回学院編入試験に参加して頂きます。……お受け取り下さい」
渡された紙に記された文字のほとんどは、人の手で書かれたものには見えなかった。名前の所だけが後から下手くそな字で書き足されており、書状を急いで制作したことが伝わってくる。だが、そんなことはどうでも良かった。にわかには信じられない話を唐突に振られ、ルーツは思わず我が耳を疑う。
「何かの冗談ですか?」
「嘘、ですよね?」
二人の言葉に、女性は首を振った。
「確かに、あなたたちは選ばれました。書状の右下にある青い印がその証拠です」
そう言われても、ルーツにはなぜ印が証拠になるのか分からないのだが、どうやら目の前にいる人々は真剣に、ルーツたちが選ばれたと言っているようだった。
「でも、僕たち……」
「いいえ、あなたたちは確かに勝ちました。相手のリカルドは自分の魔法を制御できずに、ルーツ君。あなたより先に意識を失いました。これは間違いありません。彼の意識が無かったことは、ここにいる全員が確認済みです」
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顔を見せたくないのか、それとも取る時間すら無かったのか。まるで鳥のくちばしのように顔面が円錐状に突き出た兜を身に着けているため個人の判別は出来ないが、この人たちは選考会で、審判を務めていた役人なのだろう。
役人は、断固としてルーツの主張を認めなかった。
「ハバス君も同じように意識がありませんでした。彼への確認も終わっています」
「だけど、僕らも意識が無かった! 確かにリカルドは禁止されている魔法を使ったのかもしれないけれど、その前に勝負はついていたんじゃないの! ならなんで、その時に試合を終わらせてくれなかったのさ?」
ルーツは、奇妙な憤りを感じていた。リカルドに勝ったのだから嬉しいはずなのに、ちっとも喜ぶ気になれない。自分たちが頑張って、戦い抜いた勝負の結果が捻じ曲げられ、どんどん汚されていくような気がしていた。
「しかし、あなたはリカルド君の呪文の直前まで意識があった。それにあなたは降伏していない。試合が終了したと認められるのは、降伏宣言が成された時と、二人の意識がどちらも無くなり試合の続行は困難だと判定された時。もしくは、審判団が危険だと判断した時だけです」
「じゃあ、あの状態は危険じゃなかったというんですか!」
役人は互いに顔を見合わせた。
―――――――――212―――――――――
「どちらも組み敷かれていればそう判断したかもしれませんが……。あの時、ユリさんのそばに敵は居なかった。起き上がる可能性が少しでもあるうちは、試合を止めるわけにはいかなかったのです。なにしろ、一生ものの事ですから。それに――」
役人たちは、何かを確認するように再度顔を見合わせる。
それからユリをまっすぐ見た。
「ユリさん。あなたへの意思確認はまだ終わっていません。試合の結果に関わることですので、素直に答えていただけますか?」
ユリは戸惑いながらも頷いた。
「ルーツ君」
急に本名で呼ばれ、ルーツも当惑する。
「君は何か見たかね?」
それはあまりにも抽象的な質問だった。
だが、ルーツの頭の中では、あの時の光に包まれるリカルドの様子。そして何かが闇の中から忍び寄ってくる様子が鮮明に思い出されていた。
「リカルドが光に包まれるところですか?」
思い出されてはいたのだが、ルーツは、その後のことには触れないように言葉を返した。あれは、妄想の類だ。ルーツが闇に助けて欲しいと願ったからあんなものが見えたのだ。頭の中で思い描いた願望を他人に話すなんて正気の沙汰ではない。
―――――――――213―――――――――
「あの時、私たちはまったく同じものを見たのだ」
どうやら、ルーツの答えは役人の意に沿うものではなかったらしかった。
役人はルーツから目を逸らし、二人に向かってふたたび言った。
「恥ずかしいことだが、会場が光に包まれた時、私は助けに行けなかった。あれは、拡散系の呪文だった。放っておけば四方八方に呪文が飛び散ってしまう。まだ会場にたくさん残っている観客を守るためにも、私は会場全体に防護壁を張る必要があったのだ。だから私が、君たちの元に辿り着いたのは、リカルド君に光が完全に集まった後。つまり、もう手遅れだった。だが、そんな時――」
役人はそこで言葉を切り、ひと呼吸置いた。
「ユリさん。君、あの時立っていなかったかね?」
ルーツは、心臓を何かに摘ままれたように感じた。自分が見た妄想に近いものを、役人たち全員が見ているという。忘れようとしていたあの試合の時の恐怖が、ふたたびルーツに戻ってきていた。
苦しみ、痛み。これはリカルドにやられた怪我が起こす感覚だ。しかし、ルーツに訪れた次の感覚は冷たさだった。心の奥深くまで凍らせてしまうほどの冷気。なぜか冷気が、あの時感じていないはずの感覚が、ルーツを襲った。
―――――――――214―――――――――
「え? 私……ですか?」
ユリは、自分のことを言われていると直ぐには気づかなかったようだった。それほど予想外な一言だったのだろう。
「私は……あの時、気絶してましたけど……」
まごまごしている。そりゃあそうだ。あの時、ハバスはユリが気絶したのを確認してからリカルドの加勢に来たのだから。
闇の中で見た妄想の類とユリを重ねてしまっていた自分を、ルーツは嫌悪した。
「そうだな。つまらぬことを言った。君であるという確証は無いし、君は我々が確認した際、確かに気を失っていた。しかし、闇の中で誰かが立ったのだ。そしてルーツ君。君の方へと歩いて行った。そしてそれを境にリカルド君の呪文は消えていった」
役人は先ほどのカルロスさんのように、納得できる事実を探しているようだった。自分の目で見たものが、果たして幻だったのか、それとも現実の出来事だったのか分からない。だから少しでも多くの人に聞いて回っているのだろう。
「私はだね、ルーツ君。リカルド君のあの呪文が失敗だったとは思えんのだ。成功すると思ったからこそ、私は懸命に防護壁を張ったし、ここにいる私の部下も同じように動いた。しかし、闇の中を動く幻影とともに、呪文は不自然なまでに急速に消滅した。力が弱くなるわけでも、暴発するわけでもなく、飲み込まれたように消えたのだ。私はあんな失敗の仕方を知らない」
―――――――――215―――――――――
役人は、そう言い残して帰って行った。ルーツは最後まで、なぜ自分たちが選ばれたのか分からない、そもそも自分は魔法が使えないと言って抗議したが、決定は覆らなかった。役人たちはあの試合を見て、ユリとルーツの中の何かが他の三つの試合の勝者より勝っていると判断したのだ。信じがたいがそういうことだった。
「ユリ」
しばらくたって、ルーツは何気なく名前を呼んだ。呼ばれていることに気づくと、ユリは怯えたように肩を震わせた。
「アンタも、私が変なことしたと思ってんの?」
ルーツはそんなユリの様子を、以前にも見たことがあった。ユリがルーツと出会ったばかりのころ。ユリはよく、自分でも意味の分かっていない言葉を喋ったものだ。その時、ルーツが指摘する度に、ユリは今のような不安げな表情を浮かべていた。
「いや、その逆さ。この五日間、僕はずっとユリが失敗するところばっか見てきたんだよ。ぶっつけ本番で成功するわけないじゃんか。それは、僕が一番よく知ってる」
「なんか、腹が立つ言葉ね」
ルーツはユリを元気づけようとしたが、それでもユリは落ち着きがなく、そわそわしていた。そこでルーツは、こう言ってみる。
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「それに、あの時、何かの影みたいなものを見たし」
「アンタ、見たの? それ、どんなだった!」
ユリはルーツの言葉に必死な様子で食いついてくる。ルーツの肩は物凄い力で掴まれ、前後に振られた。そんなユリを小馬鹿にするように、ルーツは自分の口の両端に指を入れ、横に目一杯引っ張ってみせる。
「口がこーんなにでっかい奴。ユリとは似ても似つかないから安心していいよ」
ユリは大きく息を吐いた。
自分の口のサイズを指で測って確認し、また、ため息をこぼしている。
「アンタが言ってること、どうにも信じる気になれないのよね。どうせ、見たってのも適当に言っただけなんでしょ」
「うん!」
明るく答えたルーツに、ユリは手を振り上げた。
しかし、その手は顔に届く前に止まった。
「ま、今回はいっか。あー、心配して損した」
ユリは大きく伸びをして、ルーツの横に寝転がる。擦り向けた足の上に全体重が掛かり、ルーツの口からは声にならない悲鳴が漏れた。
―――――――――217―――――――――
「で、どうすんの? 断るの?」
「一回ぐらい行ってみてもいいんじゃないかな。どうせ、入学できないんだし」
「アンタ、何か変わったわね」
壁のシミを数えながら、会話する。前数えた時より、シミは格段に増えていた。ほくろのように、シミも数えると増えるのだろうか。
「おかしいって言ってるの?」
「ううん、それは前からだけど……ほら、前までのアンタだったら、リカルドに馬鹿にされるーとか言って泣いてたじゃない」
「え? でも、街に行ったらリカルドは居ないよ?」
「そういうことじゃ……まあ、どうでもいいんだけど」
ルーツは王都に行っても、どうにかなるような気がしていた。確かに、ルーツたちが選ばれたのは色々不思議だし、裏があるのかもしれないが、それをここで悩んでいても仕方が無い。
「多分、いまから断ることは出来ないと思う。行けない人の思いも背負って……とかそんな重苦しい理由じゃなくて、単純に失礼だから。ひとまず王都には大人しく行っておいて、適当に試験に落ちて、どうせなら残った時間であちこち観光して、王都を満喫しきって帰ってこればいいんじゃないかな」
―――――――――218―――――――――
今回の試験はただの予選で、次が本選。次の試験も通過すれば、ルーツたちは晴れて学院に編入することになる。だが、ルーツはそんなことを考えてはいなかった。
今回の試験でさえ、ルーツの身体はボロボロになったのだ。もし、次もまともにやろうものなら本当に死んでしまう。それに、ルーツはこの一戦でもう十分満足していたし、今後一切戦いたいとは思っていなかった。
なら、先ほど役人が言っていた方法を使えばいいのだ。王都で遊べるだけ遊んで、試合になったら二人でとっとと降参してしまえばいい。そうすれば試験に参加せよという書状にも従ったことになるし、自分たちも楽しめる。
「初めての場所に行くって不安じゃないの? 私はあんまり好きじゃないんだけど」
ユリはそう言うが、ルーツは楽しみで仕方が無かった。
ルーツは生まれてこの方、年に数回、歩いて行ける距離にある近隣の町に行く以外は、村から出たことが無い。大人たちはそれぞれ、一回や二回、多い人だと五回くらいは王都に行ったことがあるらしいが、その時の思い出についてルーツが聞いても、返ってくるのは、もっと大きくなったら分かる、というあやふやな答えだけ。村長に至っては、行ったことがあるかどうかすら、教えてくれなかった。
ルーツはどちらかというと外よりも家の中にいることが多かったが、それでも秘密の場所を探したりするのは好きだった。しかし、村の中は、一度は訪れたことがある場所ばかりで、ルーツの眼を輝かせてくれる未知の世界はもう残っていない。
―――――――――219―――――――――
大人になったら一度は旅に出てみたいと思っていたが、その夢が一足先に叶うのだ。それに、大人たちが意地悪言って教えてくれない王都の様子も、自分の眼で見て、確かめることが出来る。
子どもには言えない面白いことが王都にはたくさんあるのかもしれない。
考えれば考えるほど楽しいことが頭の中に浮かんできて、ルーツは役人が迎えに来るまでの数日間、一切の物事が手に付かなかった。
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