第六章 しばしの別れ

第32話 謝られるのは嫌

 どこかで小鳥が鳴いている。うっすらと目を開けると、そこは爽やかな風が吹く広い野原で、ユリが花輪を作っていた。

 どうやら眠ってしまっていたらしい。そうだ、僕は昨日の夜、ユリと出会ったばかりなのだ。そして、ユリに頼まれて、村の外を案内している真っ最中……のはずなのに、どうして僕は地面に寝転んで空を見上げているのだろう。今日中にあと三か所は見せて回らなければいけないのに。

 ルーツは立ち上がると、ユリの方へ歩き出そうとした。しかし、足が地面に張り付いてしまったように動かなかった。ルーツの眼は、ユリの背後に釘付けになっている。夜が、いやそんな生易しいものではない。闇がユリの後ろに広がっていた。

 ルーツが居る場所は、紛れもなく明るい昼下がりの野原であるはずなのに、どうしてかユリの後ろの景色を見ることが出来ない――。

 景色が一変した。逃げることも出来ないまま、闇がユリを、そしてルーツを飲み込んだ。ルーツの足は地面の感触を失い、闇の中をあてもなく彷徨う。ユリが居るはずの場所へ遮二無二手を伸ばし、その結果、闇の中で柔らかい何かに触れた。

 自分はいま、ユリを掴んでいる。そう、ルーツは訳もないままに確信する。

 ルーツはユリと思しき存在を、あらんかぎりの力で引き寄せようとした。が、何らかの力は強く、ルーツの身体は逆に引きずり込まれていった。引っ張られて、引っ張られて、ルーツは闇の中心へと飲み込まれていく――。


―――――――――202―――――――――

「どこ引っ張ってんのよ、離しなさい! この馬鹿!」

 ルーツの意識は、ジンジンする頬の痛みとともに覚醒した。茶色い天井。ところどころシミが出来た壁。紛れもなく、ここはルーツの家だ。自分の手が目の前にある。手は直前まで本当に何かを掴んでいたように、天井に向かって突き出されていた。

 自分を見下ろしているユリと視線が合う。

 その瞬間、ルーツはいままでの記憶を思い出した。

「試合は!」

 そう言うと、起き上がろうとする。だが、意思と反して体は動いてくれなかった。

「無駄よ。こんなに怪我して、今日のうちは寝てないと駄目」

 ユリは言い聞かせるように言いながら、ルーツの鼻の頭を軽く押さえつける。

「アンタの身体がどうなってるのか教えてあげる。膝はまだ血まみれだし、手の皮はずる剥け。顔も何か所か怪我してるし、そんな状態で何か掴まない方がいいわよ。おとなしく寝てなさい。怪我の治りが遅くなってもいいって言うなら構わないけど。ただでさえ、アンタは弱そうな身体してるんだから」

 ユリの言葉とともに、痛みも蘇ってきた。特に手のひらの辺りから、頬以上の痛みがやってくる。

「ん? 試合のこと? えーと……」

 ルーツの期待するような眼差しを受けて、ユリは戸惑ったように頬を人差し指で掻いた。

―――――――――203―――――――――

「私も、ほら、気を失ってたからよく分かんないのよね……」

 そういえばそうだった。ユリは確かに、ルーツが組み伏せられるより前に、ハバスにやられて倒れていた。自分より先に意識を無くしたユリに、その後のことを聞くなんて。もしかしたら、皮肉を言われていると勘違いされたかもしれない。ルーツは少し反省した。

「それなら多分、適任の人が居るから」

 しかしユリは、ルーツの発言を変に解釈することは無かったようで、扉の前までスタスタと歩いて行くと、

「入っても大丈夫ですよ」

 気味が悪いほどお淑やかな口調になった。遠慮がちにゆっくりと扉が開き、巨体が部屋に入ってくる。

「カルロスさん⁉」

 ルーツは驚きの声を上げた。カルロスさんは、いつもの堂々とした態度とは打って変わった思いつめた顔をしていた。ルーツの手にまかれた包帯を見て、更にその顔が険しいものになる。

「あっ、もし心配して来てくれたって言うんなら僕は――」

「本当に申し訳ない!」

 カルロスさんは、ルーツが寝ているベッドの傍に座り込み、頭を下げた。

―――――――――204―――――――――

「私の息子を許してやってくれ!」

「あ、頭を挙げてください」

 ルーツは何が何やら分からなかった。確かに、試合の終わりがけ、ルーツはリカルドに過剰に攻撃をされたが、それはルーツたちが、リカルドたちの何としてでも村の代表に選ばれたいという願望と、規則の穴に付け込むようなやり方を取ったからだった。手段を問わないと言えば格好もつくが、汚い手であったことに違いはない。

「気にしてませんから。僕もリカルドに色々しましたし、それにあれは試合でした」

「心にも無いことを言わなくてもいい。どうか、私に免じて勘弁してやってくれ!」

 カルロスさんは、ルーツの言うことを聞こうともしていなかった。ひたすらに頭を下げ続け、ルーツが何を言っても、顔を上げることは無い。

「私の息子は、君に有言呪文を使った。それは許されないことだ、分かっている。しかし、あの子はまだ若い。許してやってくれ」

 だから許すと言っているのに、カルロスさんは納得していないようだった。その懸命な様子は、目の前のルーツではなく、別の誰かを相手にしているようにも見える。

「有言呪文は危険な呪文なんだ。私が……私が教えた。いつ魔獣に会っても役に立つように教えておいた。あれは人に使うものではなかった。断じて君を攻撃するために教えたのではない。だが、息子は魔獣に会った時には使わず、君にその呪文を使った。許してくれ!」

―――――――――205―――――――――

 カルロスさんは、『許す』という言葉を求めているわけではないのかもしれない。ルーツはふと、そう思った。すべてを打ち明けることで初めて贖罪になる。村長が以前、そうした考え方があると言っていた気がする。確かこれは誰かの教えだったような……いや、今そんな事はどうでもいい。

「あの呪文は君を殺すところだった。いや、殺し損ねたというのが正しいのかもしれない。それほどまでに息子が使った呪文は強い物だった。息子は当然失格になった。君たちの勝ちだ。だがそれだけでは……教えてくれ。私はどうすればいいのだ?」

 カルロスさんの顔は、苦悩に満ちていた。まるで何日も寝ていないような――、少し見ないうちに、すっかり老けてしまったような気がする。

 ルーツにはよく分からなかったが、選考会でリカルドが使おうとしていた呪文は、大人でも手に余る、とても危険なものだったらしい。とはいっても、カルロスさんに責任はない。それはルーツを含め、この村の全員が分かっていることだった。

 世の中にはたくさんの魔法が溢れているし、ルーツもこの五日間の間で有言呪文について書かれたものを、それはもう、嫌というほどたくさん見た。有言呪文は法によって禁じられているわけではない。むしろ、実況のエマエルが言っていたように、魔法とは本来、戦いの場で飛び交うもので、今回みたいな無言呪文しか使ってはいけないというルール自体が珍しいのだ。

―――――――――206―――――――――

 というわけで、使ったリカルドはともかくとして、教える側に一切の落ち度はない。出来る出来ないにかかわらず、誰しもがその存在を知っているのに、教えたら糾弾されるなんて理屈に合わないだろう。

「何もしなくていいですよ、結果として酷い傷を負ったわけでもないですし」

 だから、決して誰かに配慮したわけではなく、ルーツは本心からそう言った。

 自分が魔法を使える側だったとしたら、何年もこの一日の為だけに努力し続けてきたのだとしたら、騙し討ちのような姑息な手を使われて黙っていられただろうか。

 自分が同じ立場に立たされた時、逆上しない保証はどこにもない。それに、ルーツはリカルドのことは虫が好かないが、いつも多くのことを教えてくれるカルロスさんに謝られるのは嫌だった。

「しかし、それでは――」

 カルロスさんは急に顔を上げたかと思うと、ルーツの方ではなく、ユリの方に、ちらちらと盗み見るような不審な視線を送った。ユリは少し不思議そうな顔で、カルロスさんを見返している。

「それでは――」

「そういえば私、先ほど村長さんが、リカルド君の呪文が失敗していたと話しているのを小耳に挟みました。だから、ルーツもあまり怪我をしていないんだと思います」

 口ごもるカルロスさんを見て、ユリは記憶を探るように目を細めたあと、またいつもとは違う変な口調で言った。

―――――――――207―――――――――

 君付けなんかしちゃって……。この口調で話されるたびに、ルーツの背中を寒気のようなものが走る。

「そう、そうなんだ。失敗したんだ。だが――」

 カルロスさんは、ユリが言ったことは認めたものの、何かまだ言いたげだった。しかし、ルーツとしてはこれ以上平謝りされるのは億劫だった。

「失敗したってことは、結果的に呪文を撃ってないんですよね。じゃあ今回はお咎めなしってことでいいんじゃないですか?」

 ルーツはユリに便乗して、カルロスさんが帰るように誘導する。

「僕もまだ、完全ではないですし……」

 少し気が重かったが、まるで骨が折れているかのように手をブラブラとさせると、

「それは……急に訪問してすまなかった。また改めて、別の日に伺わせてくれ」

 カルロスさんはルーツの演技に引っかかってくれたのか、顔を引きつらせ、なんとか部屋を出て行ってくれた。だが、また来る可能性が高いことは否めず、それでいて新たな誤解が生まれた可能性も大いにあった。


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