第30話 規則の抜け穴
しかし……。
まさか、大事な試合の真っ最中に、その場に突っ立ったまま目をつむり、戦うことを放棄してしまう参加者が出るなんて――。
おそらく、この試合を見守っていた観衆たちの大半は、自分の目で見た光景が信じられなかったことだろう。
試合の開始を両者に告げるオーバットさんの大声と、ほとんど時を同じくして、ルーツは大きく欠伸をすると、腕組みをして目を閉じる。
まるで眠っているかのような、やる気なさげなその態度を見て、熱戦を期待していた観客席の面々は、口々に非難の声を上げた。
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だが、いくら周囲の村人たちに罵声をたんまり浴びせかけられようと、ルーツのこの行動は、何かしらの規則に反しているわけではない。ルーツはただ無防備に、自身の弱点をさらけ出しているだけであり、それを攻撃するかしないかは、相手の手に委ねられているのである。
とは言っても、相手がすぐに手を出してくることはないだろう。
このじりじりとした展開は、選考会の選考方法を村長に知らされたその時から、あらかじめ予想がついていたことだった。
なにせ、選考会のルール上、勝っても負けてもこの場では、たった一度きりしか戦うことが許されていないのである。
全てが終わったその後で、役人率いる審判団があれやこれやと協議して、四つの試合の勝者の中から、特に良かった一組を、村の代表として選出する。選考会の目的がこの一点にある以上、リカルドたちには災難だが、どんなに相手が弱くとも、自分たちの実力を見せぬまま勝負に方を付けてしまうのは、あまり得策とは言えないのだ。
しかし、仮にこの試合が単なる勝ち抜き戦であったなら、二人はろくに動くことすらままならず、たちまち地べたに倒れ伏していただろうから、今から振り返って考えてみれば、ユリがあの晩、ルーツにツキが向いてきたと言ったのも、分かりそうなものだった。
幸いにも、二人の相手であるリカルドたちは、対戦者が魔法も使えないルーツたちだと聞き及び、少し油断しているようなので。まずはその油断に付け込んで、それから徐々に相手を苛立たせ、だんだんと平常心を無くさせていくこと。
番狂わせを起こすためには、そうやって、相手のペースを掻き乱していくことが重要になってくる。例えば、試合の最中であるにもかかわらず、こうやってルーツが目をつむっているのも、相手を苛立たせるための策略の一つだった。
もちろんこれらの策のほとんどはユリが考えついたものなのだが、村人たちの非難の目が、すべて実行者の方に向いてくるのはなんだかつらいものがある。
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ともあれ、しばらくそうやって考え事にふけっていると、不意に肩をポンと叩かれて、ユリの合図を受け取ったルーツは、右手に向かって駆け出した。
するとなんとなく、予想は付いていたことなのだが、友だち同士ではやりにくいと思ったのか。リカルドの方が、ピタリと後を付けてくる。
その場にハバスと残されたユリの健闘を心の中で祈りながら、ルーツは競技場の端まで走っていくと、柵の前で踵を返し、リカルドを見た。
だが、追っていた相手がいきなり反転したにも関わらず、リカルドはまったく態勢を崩しておらず、隙はほとんど見当たらない。
相手に対して、多少なりとも苛立ちを感じているならば、少しは突っ掛けてくる動作が見られても良さそうなものなのだが。未だに沈着そのものである様子からして、ルーツが村人たちの心証を悪くしてまで実行した遅延行為は、現時点ではリカルドの心情にあまり変化をもたらしていないのだろう。
とは言っても、計画がなかなか思い通りに運んでいかないからと言って、こちらが先に動揺してしまえば元も子もなくなってしまうので。ルーツは心を落ち着かせるためにも、左の腰に固定されている護身用の木剣をギュッと強く握りしめた。
もっとも、剣と言ってもルーツの腰についているのは、先端が丸く、そして短い。選考会の規定に抵触しないように加工された、単なる木の棒と呼んでしまっても差し支えないような代物であるのだが。
それでも、もしもの時にはこの棒が、自衛の役割をきちんと果たし、リカルドの魔法の魔の手からルーツの身をちゃんと守ってくれるだろう。
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そんな風にして、ルーツが腰の木剣にすっかり気を取られていると、パンという大きく乾いた破裂音がして――。赤い尾を持った閃光が、ルーツが認識するより遥かに速く、少年の右頬をかすめていった。
だが、これもおそらく演出のうちなのだろう。ルーツはそう自分に何度も言い聞かせることで、光とともに飛来する未知なる魔法への恐怖心を、心の奥に封じ込める。
「どうした? 次は当てるぞ」
すると、その声とともに、今度は髪をかすめるようにして、黄色い閃光が通り過ぎていった。けれども、本当に当てるつもりでいるのなら、これほど近く、大きな的を前にして何度も外すわけがないだろう。となると、リカルドが目の前の相手を倒すためではなく、審判団に自分の実力を見せつけるためだけに魔法を放っているのは、まず間違いないようだ。
そう確信すると、ルーツは予備動作もないままに、正面からリカルドに向かって無我夢中で突進した。が、せっかく攻撃を仕掛けたというのに、その姿勢は見るからに悪く、動作も遅い。残念ながらルーツの体当たりは、ほとんど効果が見込めない、実に無残なものだった。
だがそれは、相手が曲がりなりにもルーツの攻撃をちゃんと警戒していれば、という仮定の話。たとえばリカルドが油断しきっており、なおかつ不意を衝くことができたというのなら、話はまた変わってくる。
ルーツがまた自分の気を逆撫でするような、姑息な小細工で揺さぶってくると思い込んでいたせいなのか。それとも、審判団に見てもらうための魔法のことばかり考えていたせいなのか。その原因は知る由もないが、リカルドは最も基本に忠実で、そして安直なただの突進を躱すことが出来ず、驚きの表情を張り付けたまま、ルーツとともに地面に転がった。
もちろんその後、すぐにリカルドは起き上がり、あわよくば追撃に出ようとしているルーツの身体を腕力だけで跳ね飛ばしたのだが。
その時には、もう誰の目にも、ルーツがリカルドに一撃食らわせたのは明らかで。リカルドより十数秒も遅れるようにして、ルーツが柵にもたれかかりながら、ようやくよろよろと立ち上がったころには、あんなにルーツを非難していた村人たちの歓声は、すっかりこちらの方に向いている。
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しかし、審判団の前で魔法も使えないルーツ相手に無様に土を付けられるなんて、そんな展開は予想だにしていなかったのだろう。
「ハバス!」
出し抜けにそう言って、ハバスに連絡を取るリカルドの声には、既にかなりの怒気が混じっていた。一方、色とりどりの閃光を、ユリに向かって放ち続けているハバスには、未だに相当の余裕があるようで。ハバスは自分の名前を呼ばれると、即座に顔だけこちらに向ける。
「なあに、リカルド? こっちならちょうど半分くらい、魔法を撃ち終わったところだけど。……もしかして、もしかしてだけど、助太刀が欲しかったりするの? だったら今すぐ助けに行くよ?」
片手間で攻撃を続けているハバスに、呑気な口調でそう言われて、リカルドは苛立たし気に舌打ちをした。しかし、一瞬、リカルドの方がハバスより小物に見えてしまったのは、ルーツの気のせいなのだろうか。
「なんでもない。サボってないか、確かめただけだ!」
明らかに要件はそれ以外にもあったような気がしたのだが、リカルドは怒鳴るように言い切ると、なぜか深々とため息をついた。
因みに、その一連の会話を聞いている最中に、ルーツは片目でユリの様子を盗み見てみたのだが。ユリはルーツより遥かに俊敏に、飛んでくる魔法を軽々と避けていた。だがそれも、ハバスが試合を終わらせないようにしているから続いていること。上手く加減されて初めて成り立っていることなのだろう。
何分後かは分からないが、ハバスが演出をもう十分だと判断してしまえば、その瞬間、ユリは地面に叩きつけられることになる。それまでに二人は何としてでも、たった一度でいいから決定機を作り出す必要があった。
幸い、リカルドは、まだルーツの狙いには気が付いていないようである。
自分から飛び掛かってくるというルーツらしからぬ積極的な行動に、多少の引っ掛かりは覚えているかもしれないが、この短時間ではその本当の意図には気づけまい。
戦いのことを何も分かっていない素人が、せめて一矢だけでも報いようと、防御を捨てて攻撃に徹してきた。と、そんな具合にリカルドが勘違いを起こしていてくれたなら、まだまだ付け入る隙はたっぷりある。
かと言って、このまま攻め続けるのはよろしくないだろう。もう一度、同じように攻撃を繰り返せば、リカルドは今度こそルーツを油断ならない相手だと判断し、決して隙を見せようとはしなくなるに違いない。そうなれば、何もかもが終わりだった。
となれば、ルーツがすべきことはもう一つしかない。次は、リカルドの都合の良いように動いてやる番だ。
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ルーツはじりじりと、出来るだけ悲壮感ただよう顔をしようと努めながら、後ずさりをし始めた。加えて、リカルドの気迫に押されている哀れな少年を装って、魔法が飛んでくるたびに、びくりと身を震わせる。
一発。また、もう一発と。ルーツが顔を強張らせていくほどに、リカルドの表情は自信溢れるものへと戻っていき、そして、二人の距離は縮まっていった。
しかし、思えば、先の一撃が肝心だったのだろう。
突進を、上手く相手に食らわせることが出来たにも関わらず、その直後から一転して、まるで人が変わったように怯えているルーツ。その姿を見て、リカルドがどう感じているかは想像に難くない。
「こんなの、勝てっこないじゃんか……」
ルーツが吐き出したように、ポツリとあらかじめ決めてあった言葉をつぶやくと、リカルドは思った通りと言いたげに、軽く笑った。
だがリカルドが、ルーツの気がくじけていると思い込んでいてくれたのなら――、勝負を決めに掛かってきた時。
絶好の位置からとどめを刺そうと、油断しきってこちらに近づいてきたその時こそが、ルーツがリカルドを倒す唯一のチャンスに成り得るのだ。
背後は柵と観客席。もう逃げる場所は残されていない。後ずさりすら出来なくなったルーツを見て、リカルドは満足そうに笑みを浮かべた。
一定の間隔で放たれる魔法はすべて種類が違っていて、そしてそのいずれもが、ルーツの傍まで肉薄しつつも、後ろの柵に突き刺さる。
「それじゃあ、こいつで終いだ。……感謝してるぜ、ルーツ。お前のおかげで、習得した魔法を余すところなく、審判団の方々に見せることが出来たんだから。もし俺らの組が選ばれたら、褒美に好きな物でも奢ってやるよ」
ルーツはそんなリカルドの声を聞きながら、ただひたすらに時を待っていた。リカルドがもっと、もっと自分の傍まで近づいてきてくれるその時を。
「どうした、逃げないのか? それとも、腰が抜けて動けないのか?」
リカルドはそう言いながら、何度も何度も人差し指を振った。どうやら魔法を放つたびに、溜まっていた鬱憤が晴れて行っているようで、なんだかその表情は少し恍惚としているようにも見える。しかし、二人の間合いはまだ広かった。いま、ルーツが飛び掛かったとしても、リカルドは簡単な魔法を一発放つだけで、全てに蹴りを付けることが出来てしまうだろう。
そうこうしていると、リカルドがまた一歩、ルーツとの間合いを詰めてくる。もう既に、二人の距離は、子ども一人分ほども空いていなかった。
それでもルーツの心の声は、まだ早いと言ってくる。リカルドが高々と人差し指を振り上げて、こちらの顔の真ん前に自分の指を突き付けてきたのを見ても、その判断は変わらなかった。
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だが、それもそのはず。ルーツ自身が魔法を使う事が出来ないため、どうしても忘れがちになってしまうのだが、選考会はあくまでも、自分が今まで培ってきた魔法の技術を披露するための大会なのである。
『武器の携帯は、自衛目的に限り許可するが、殺傷能力が無い、先の尖っていない物に限定し、自発的に攻撃することは、これを禁ずる。素手による過度な攻撃行動及び防具を使った攻撃も上記の規定に準ずる』
一昨日の晩に、家に届いたこの注意事項から分かる通り、ルーツはそもそも主だった攻撃手段を持ち合わせていないのだ。
左腰についているこの木の剣ですら、使用が許されるのは、身を守る場合のみ。それでは、リカルドを倒す武器には成り得ない。
しかし……。
これはあくまでも、『例えば』の話なのだが。一方的に攻撃を浴びせられ、やむを得ず、自分を守るための行動を取ったところ、結果的に相手を倒してしまったのだとしたら――、それは自衛目的の行動として認められるのだろうか?
……もっとも、認められないという判断が為されることも考えられた。そうなってしまえば、せっかく立ててきた計画は、全て無駄であったという事になってしまう。
だが、元より二人は勝つ見込みがほとんどない勝負に、既に身を投じているのだ。ならば今さら、潜り抜けなければならない関門がたった一つ増えたところで、特に変わりはないだろう。だから二人は――、この規則の抜け穴に賭けてみた。
リカルドの指の先端が、仄かに光る。その、魔法が放たれる瞬間を合図にして、ルーツは腰の木剣を抜いた。
一度に多くの事が起こり過ぎて、脳が情報を処理しきれていないのか、リカルドの動きが牛の歩みのように遅く見える。目の前で光がだんだん大きくなっていき、自分が突き出した木剣が、刻一刻とリカルドの胸の辺りを目掛けて進んでいった。
このまま行けば、魔法は一足先にルーツの急所に命中する。だが、リカルドも躱せまい。これで……良ければ、相討ち。悪くとも、すぐには立ち上がれない傷を負わせることぐらいはできるだろう。片方に深手を負わせて、戦線を離脱させ、一対一の勝負に持ち込めば、あとはユリの働き次第。リカルドを倒されたハバスの狼狽えようによっては、ちゃんと勝ちの目は残っている。だから少なくとも、ルーツはきちんと自分の役割を果たしたと誇っていいはずだ――。
―――――――――196―――――――――
……だが、油断していたのはリカルドだけではなかった。ルーツもまた同じように、リカルドをこの一撃で倒せると舞い上がっていたのだ。
次の瞬間、リカルドの姿は空気の中に溶けたように忽然と消え、ルーツの木剣は空を切った。
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