第28話 いやあ、本当に素晴らしい戦いでした
「お待たせしました。これより第一戦を始めます」
うつらうつらしていたルーツは、先ほどの男性の大声で強制的に起こされた。どうやらここ数日、あまり睡眠時間が確保できていなかったせいもあったのか、自分でも知らないうちにすっかり眠り込んでしまっていたらしい。
欠伸をしながら伸びあがり、辺りを眠い目で見渡すと、ひと眠りする前には容易に動き回れるほどの人しか見当たらなかった会場は、大勢の見物客で埋まっていた。
どちらを見ても、人、人、人。百や二百は優に超えているだろう。もちろん大半は見知った顔だが、その中にたまに知らない顔がまぎれている。そのことが、ルーツの不安を膨らませた。
それにしても、一体ユリはどれだけ寝たら気が済むのだろう。そう思いながら、自分の左の座席の上で丸くなるようにして眠っている女の子に目をやって、そろそろ起こした方がいいのだろうかと、ルーツがいろいろ思い悩んでいると、
「あっ、君。隣、座ってもいいかい?」
唐突に見知らぬ声が降ってきて、見上げると、そこには一人の男が立っていた。
子どもが二人もぐっすりと、眠りこけていたせいだろうか。ルーツと右隣の客との間には、元からわずかに座れる空間が開いていて、ルーツが身体を引いてよけると、そこに男は腰かける。カルロスさんと比べても、もう一回りは大柄なその男の目元には、幾つか治りかけの浅い切り傷が出来ていて、ルーツは少し警戒心を抱いた。
「あー、ごめんね。おじさんはそこの……大声で喋っている奴の友だちなんだ。別に、怪しいもんじゃないからね」
用心深く、怪しむような目で見られていることが分かったのか。ルーツがじろじろ見まわしていると、男性は慌てた様子で釈明してくる。その口調からしても男性は、ルーツを実年齢よりも更に下に見ているようだった。少なくとも、今日の試験に出場する子どもだとは思っていないのだろう。
「妹かい?」
男性がユリを見て、変なことを言うもんだから、ルーツはかぶりを振って、目を逸らした。
―――――――――176―――――――――
「東方向、エマ! カレン! どちらも十一歳!」
「西方向、アイク! 十二歳! クラウス十四歳!」
司会進行の壮年男性、エマエルの声が会場全体に大きく響いてくる。どうやら、ルーツの友人であるエマとカレンの対戦相手は年上のようだった。アイクは、村の外れに住んでいるどちらかというと内気な男の子。クラウスの方は、ちょっと年齢が離れているせいか、あまり目にしたことがない。
「こりゃあ、嬢ちゃんたちに分はなさそうだなあ」
まだ始まってもいないというのに、隣の男性はぶつぶつとそんな事を言っている。確かに、父親と娘ほどの体格差がありそうな二組が並んでいるところを眼にすれば、そう思ってしまっても仕方がないのだが――。分かったふうな口ぶりに、なんだか友だちが不当にけなされているような嫌な気がして、ルーツは少し不機嫌になった。
一方、当の男性は、自分の発言が人を不快にしたとは夢にも思っていないようで。いったいどこで手に入れてきたのか、まだ湯気がもわもわと立ち上っている脂ギトギトの小魚フライを、呑気な顔で次から次へと口の中に運び続けている。
「両者、その場で止まって! こら、クラウス。煽るな! 始まりの合図があるまでは開始位置から動くんじゃない!」
何やら聞き覚えのあるその声に、ぐっと身を乗り出して、中央の方を目を凝らして見つめていると、おそらくは口喧嘩にでもなったのだろう。エマとカレンのすぐそばまで、クラウスが肩を怒らせながら近づいてきていて、それを雑貨屋のオーバットさんが懸命な顔で止めていた。そして、そこから少し離れた位置で、腕組みをしながら見守るように立っているのはカルロスさんだ。
だが、確か。この選考会は主に役人が取り仕切っていると、ルーツは以前村長にそう聞いていた気がするのだが――。見た限りでは幾人も、村人たちは運営に携わっているみたいだし、聞いたと思ったのは、ルーツの記憶違いだったのだろうか。
そんなことを考えていると、何とかトラブルは丸く収まったようで。クラウスが元の位置に戻されると、会場はしんと静まり返った。
すると、オーバットさんが手を挙げる。
「始め!」
エマエルの太い声で、試合は始まった。
―――――――――177―――――――――
が、しかし。試験の開始を告げる合図が下されたにも関わらず、二組の参加者達は少しずつ後ろに下がっていくばっかりで、相手を攻撃する様子は一向にみられない。
会場の空気も静まり返ったままなので、ルーツは一瞬、参加者たちが緊張しすぎて魔法を忘れてしまったのではないかと疑ってしまった。
だが、それは、やはり要らぬ心配だったようで――。
十秒くらい経ってからルーツはようやく、両者が何をしているのか気がついたのだが、エマ達は互いに相手の表情を観察し合いながら、自分にとって都合がよく、そして相手にとって都合の悪い間合いを探しているのだった。
そして、十分すぎるほど距離が離れたと思ったところで、遂にエマが先に動いた。
たっぷり数十秒はかかって開いた間合いが、一瞬にして詰まっていく。エマの手元が蛇のように柔軟に動き、二本の赤い光線がクラウスを襲った。クラウスは余裕の表情で、そのうちの一本をわずかに身を反らしてよけたが、もう一方の光線は、大きく回り込むようにして、クラウスの背後に迫ってきている。
だが、死角からクラウスを刺し貫くかに見えた光線は、どういうわけか身体に着弾するその寸前で不自然な軌道を描き、クラウスの脇を通り過ぎると、術者であるエマの方を追跡していった。
受け手に回ったエマは、光線を撒こうとジグザグに走るが、光線はまるで意志ある生き物のようにエマの後を執拗に追いかけ、エマが横っ飛びしたところで、曲がり切れず、観客席に飛び込んでようやく消える。
何が起こっているのかはちっとも分からないが、とにかく息のつまる攻防にルーツが目を奪われていると、突然、意識外から大きな音がして。見ると、反対側でもカレンとアイクが既に一戦交え始めていた。そして、運悪く流れ弾が命中したのか、まだ試合は一つ目だというのに、柵はあちこち壊れてしまっている。
―――――――――177―――――――――
「坊っちゃん、目で追いかけられないならこれ、試しにはめてみるといいよ」
目が、あと十個ほどあったらよかったのに――。まさか、ルーツのそんな考えを読み取ったわけではあるまいが。難しい顔をしながらうんうん言ってうなっていると、隣の男が双眼鏡らしき物体を差し出してきた。
先のやり取りのこともあり、ルーツはこの男に多少の胡散臭さを感じていたのだが、それでも当惑しながら受け取ると、恐る恐る装着する。
すると、その途端、頭の中にエマエルの大声が響いてきた。
「エマは……あーっと、これは避けたのではなく、はじき返しましたね。これは、跳ね返しの呪文でしょうか。学院に入っても一年目では習わないものです。いったい誰がこんなものを教えているんだあ!
それはともかく、跳ね返った呪文はアイク目掛けて飛んでいきます! だが、これはすんでのところで躱しました。腹に傷が――? おっと、擦り傷を負っているようです。だが、問題ない。次は見事に打ち返して見せた。……ええと、いまの跳ね返しの呪文ですが、これは威力を数倍にして術者に返す類のものですから、元の威力はもう少し、弱かったということになります」
いきなりのことで驚いて、双眼鏡を無理やり外すと、声はぱたりと聞こえなくなった。どういう仕組みになっているのかと、反対側から覗き込むようにしていると、男性がルーツに笑いかけてくる。
「どうだ? こいつは、あそこの実況席でまくしたててるエマエルが売ってる奴なんだがな。たまたま隣になった縁だ、坊ちゃんにやるよ。なあに、多少首に負担はかかるかもしれんが……いっぺん、後ろのバンドで上手い具合に調整して頭にはめるようにすれば、あとは手で支え続けずとも、それだけで試合が快適に楽しめるから。ま、好きに使って、要らなくなったら、そこいらのゴミ箱にでも捨ててくれ」
どうやら危ないものではなさそうだと分かったところで、ルーツは感謝の意を示してから、再び双眼鏡をつけた。
―――――――――179―――――――――
「さあ、カレンは端に追い詰められました。エマは? こちらは、蔦状の生き物のようなもので縛られて、動けそうもありません。何とか逃れようとしてはいますが、まさか、この蔦は意思を持っているのでしょうか。先手、先手に逃げ道を塞がれています! ここで、アイクがもう一歩近づく! お、おーっと、ここで周囲を取り囲む柵と全く同じものが二、いや、三つ現れました。どうやらクラウスの魔法のようです。実にお見事! これで、逃げ道はますます無くなりました!」
そうこうしているうちに、ルーツは双眼鏡を通して見える景色の端に、赤いボタンがあることに気がついた。一度外して確認すると、どうやらレンズの端に付いているようで、ボタンの上には『自動追跡』と、小さな文字でこう書かれている。
おそらくは、双眼鏡の機能の一つだろうと、そう軽く考えながらも、どうせなら一通りすべての機能を試した方がお得だろうと、ルーツは好奇心に駆られてボタンを押し、また双眼鏡を両目につけた。
すると、先ほどより、視界が目標に近くなっており、その分、周りを取り巻く環境がなんだか分かりにくくなっている。そんな、あまり利点とは呼べない変化にルーツは少しずつ気づき始める。だが、このモードの本当の利点は名前の通り、見たい物を自動で追い続けてくれるという機能にあるようで――、ルーツの頭は、その直後。派手な魔法を撃ち合いながら会場のあちこちを駆け回るエマたちを追って、左右上下にガクガクと、首を痛めるほどに揺れ動いた。
「さあ、カレンはどうするのか。エマの様子をうかがうが、彼女は未だに脱出出来ていな――あーっ、火花です。火花が上がりました。蔦を焼いています! 焼いて脱出しました。そして、カレンも動いた! 大きく仰け反った体勢から、黄色い光線。
アイクが苦しそうだ。腹のあたりに食らったか! 倒れ込みました。これは一転してアイクがピンチ! クラウスが助けに――、おっと逃げます! あっ、クラウスも腹の辺りに食らっていますね。時間が経てば引く型の呪文ですが……いまこの数秒はデカい。カレンがそのまま、アイクに呪文を叩き込みます。失神、失神しました! アイクは倒れたまま、ピクリとも動かない。これで、残り一人!」
―――――――――180―――――――――
試合も非常に惜しかったのだが、こんな所で吐瀉物をまき散らすわけにもいかないので。胃から酸っぱいものが迫りくるのを感じたところで、ルーツは仕方がなく自動追跡モードをオフにする。しかし、もう肉眼でも追い切れてしまうほど、試合は一方的なものになっていた。
「クラウスは、まだ痛みが引かないのでしょうか。表情にも陰りが見られます。そこへ再び呪文が迫る! 一発、二発! 三発目は躱したが、次のをまともにうけたあ! 膝から崩れ落ちます。これは決定的か?」
エマエルの言う通り、エマとカレンは連携の取れた見事な動きで、まるで獲物を狙う狩人のように、クラウスをじっくりと追い詰めていっている。
「苦し紛れに、呪文をエマ目掛けて飛ばしますが、やはり集中できないのか威力が弱い。エマが後ろに回り――縛りつけました。これは何と、さきほどやられた蔦状の植物がクラウスを縛っています! 仕返しとばかりに同じ技を――いや、呪文の形式からするに、全く同じというわけではなさそうですね……。
使役、使役しています! 焼かれた後で植物が弱っているのを上手く使いました。植物は新しい主人の命令に忠実に従っている。非常に見事です」
―――――――――181―――――――――
そのままクラウスが降参し、試合は終了となった。
終わりの笛と同時に、広場に飛び込んでくる人影が見えたので、一体何事かと思っていたのだが、どうやらそれは倒れたままのアイクの元へ駆け寄った村の大人たちであったらしく、アイクは担架でえっちらおっちら運ばれていっている。
一方、双眼鏡からは、
「アイクが擦り傷を負ったところまでは見えていましたが、クラウスが事前に攻撃をもらっていた様子は、こちらからは確認できませんでした。ですが、決め手となったのは痛覚を鋭敏にする呪文でしょう。呪文の色からしてもこれは間違いありません。
いやあ、本当に素晴らしい戦いでした。実践の場になると、小細工よりも力勝負になる場面が多いですから、このような殺傷が許されない場であるからこそ、頭脳面が試されると言えます。是非、うちの役所に欲しい!
それではみなさん、健闘したアイクとクラウスに拍手! そして今一度、勝者であるエマとカレンに大きな拍手!」
相変わらず実況が続いていた。試合が終わってしばらくした変なタイミングで、拍手が一斉に沸き起こったのを見ると、エマエルの商売もうまくいっているのだろう。
双眼鏡を貸してくれた男性に、重ねて礼を言おうとすると、男性は既に居なくなっており、あとには食べかすだけが散らかっていた。
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