第27話 第三十二回学院編入試験選考会
澄んだ空気と冷ややかな風も激しい眠気を覚ましてはくれない。選考会の運営の手伝いにでも行っているのか、朝目覚めると村長は既にいなかった。
壁に掛かっている、村長お手製のお祭りカレンダーをチラッと眺め、今日が選考会当日であることを確認すると、ルーツは一つため息をつき、起き上がる。
普段なら、夜更かしをした次の日は、誰かに起こされでもしない限りなかなか目が開かない。にもかかわらず、今日起きられた要因は、おそらくこのソワソワとした奇妙な気分にあるのだろう。
作り置きしてあった朝食を食べ、着替え、心を落ち着かせていると、あっという間に時間は過ぎた。見知った人影が何名か家の前を通り過ぎていくのが見えたところで、ルーツは念入りに戸締りを確認すると外に出る。
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「おはよう、ルーツ!」
鍵を掛け、歩き出そうとしていると、近くから元気な声が聞こえてくる。
振り向くと、そこにはハバスが立っていて、だがどういうわけか、ルーツのことを少し心配そうな顔で見つめていた。
「その顔……どうしたの? 目の下、どっかにぶつけたとか?」
ひょっとすると、眠っている間に、ベッドの柵にでも顔をぶつけてしまっていたのかもしれない。持ち前の寝相の悪さを自覚しているルーツは、ハバスの言葉にそう思い、自分の顔を触ってあちこち確認してみたのだが、どこにも異常は見られない。
「もしかして隈のことを言ってるの?」
そう問い返すと、本当にハバスは、ルーツの眼の周りに出来た濃い隈を、青あざか何かと勘違いしていたようだった。
「そんなに酷い? 実は昨日……いや、多分おとといくらいから、ろくに眠れていないんだけど、そのせいなのかなあ」
少し腫れてふくらんでしまった目を擦り、欠伸をしながらルーツは言う。
「いろいろ考え事しちゃってさ。明日の事を考えたら目が冴えちゃって眠る気になれなかったというか、なんというか」
だが、それでもハバスはルーツのことを奇妙な目で見続けていた。
いったい何がそんなに気になるのだろうと考えて、ハバスの視線の行き先を眼で追って。ルーツはようやく、ハバスがルーツ本人ではなく、ルーツの背中におぶさっているものの方に目線を送っていることに気がつき始める。
「あっ、ユリのこと? 何度、声を掛けても起きてくれなかったからさ。遅刻しちゃまずいなあって思って、おんぶしてきたんだけど。……全身に筋肉でも詰まってるのかなあ、絶対前より重くなってる。ハバスも、よかったら一回持ってみる?」
ずっと背負っていると腕の辺りが痛くなってくるので、出来れば代わりばんこに持ってほしい。そう思い、ルーツはハバスに持ち掛けたのだが、ハバスは水浴びをした後の子犬のように、何度も激しく首を横に振って遠慮した。
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ユリはと言うと相も変わらずルーツの首元で、すうすうと深い寝息を立てている。正直、背負いあげた時はちょっとした悪い冗談のつもりで、起きたらすぐに下ろすはずだったのだが、予想に反してユリがちっとも目覚めてくれないので、辞め時を見失い、今に至ってしまったというのが現状だった。
声を掛けるだけではなく、ゆすぶったり、ときには優しく顔をつねってみたり。いろいろ試してはみたのだが、相当睡眠が足りていなかったのか、ユリは一向に起きる気配がない。頭を叩けば、流石のユリでも目を覚ますのかもしれないが、そこまでする勇気はルーツにはなかった。
それはともかく、二人並んで歩いていると、
「ルーツも……出るんだよね?」
しばらくの沈黙の後、ハバスは耳打ちするような小さな声でそう言ってきた。村総出のイベントの日において、ハバスが何のことを言っているかは明らかで、ルーツがうなずくと、ハバスはかすかに息を吐く。
「そっかあ……」
今日の試験のことでも考えているのだろうか。いつも元気いっぱいのハバスにしては珍しい、いささか緊張した物言いに、自然と二人の会話は少なくなる。
けれど、ルーツはともかくとして、この試験のためだけに影で何年間も努力を積み重ねてきたとなれば緊張するのは当然だろう。よく見ると、ハバスの目元にも薄っすらとだがルーツと同じく隈が出来ていた。
もしかすると、昨晩、この村でぐっすり眠れた子どもはユリくらいのものなのかもしれない。と、そんなことを考えながら、ルーツは、ハバスは誰とペアを組んでいるのだろうと、思いを巡らせる。数年間にわたって一緒の目標に向けて頑張ってきたともなれば、相当仲も深まっているのだろうが、なにしろハバスは誰とでも仲が良く、推察することは出来なかった。
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村はずれの場所にある小高い丘が見えてきたのは、それから数分ばかり歩いたころだった。人ひとりを背負っている身には少し厳しい急斜面の頂上には、既に数十名程度の人だかりが出来ていて、そこが今回の試験会場であることをルーツに今一度教えてくれる。
ルーツとしては、見物客は少なければ少ないほど良かったのだが。どうやらルーツの希望に反して、村人たちの関心は高いようで。
もちろん、負けると決まったわけではないのだが、これからこんなに大勢の観客の前で、無様な姿を晒さなければならないのかと、ルーツは少し憂鬱になった。
それでも、落ち込んだ気持ちを切り替えるため、ルーツは一度目を閉じて、深呼吸をすると、よし、と小声で短くつぶやく。そして丘の上を、決意を固めた眼差しで再度見た。
が、目をつむっていたのはほんの数秒程度であったはずなのに、次にルーツの視界に入ってきたのは、背の低い草花が揺れる緑の起伏のみ。先ほどまでそこに確かにいたはずの村人たちの姿は影も形もなく、ルーツは目を丸くした。
「ちょっと先行ってるから!」
目の前で起こった現象の理由を一秒でも早く確かめたくて、ルーツは一緒に来ていたハバスにそう言い放つと、背中の重みも、眠気も忘れて急斜面を走り出す。
そして――、頂上までひと息に駆け上がったルーツの視界に飛び込んできたのは、これまた信じられないような光景だった。
本来なら、いや、七日ほど前に昼寝をするために訪れた時には、そこには確かにのどかな野原が広がっていたはずなのに――。今、ルーツの目の前にあるのは、まるで大きな手にでも抉り取られてしまったかのように、中央に向かって段状に深く掘り下げられ、変わり果ててしまった丘の姿。
円筒形の空間といい、そこら中から聞こえてくるうるさい話し声といい、それはさながらルーツが以前本で見た、王都の闘技場のようだった。
とすれば、ルーツがいま立っている場所は観客席とでも呼べばいいのだろうか。何層にも渡る座席の間を降りていった先には、ちょうど村の広場ほどの平たい円状のスペースがあり、その周りには、ルーツの腰の高さくらいはある木造りの柵が設置されていた。
しかし、短期間に地形まで変えてしまうなんて――。いくら村人たちがルーツよりも力があるとは言っても、たった七日でここまでの作業をこなせるとは思えない。そんなことは、人力ではとても不可能だ。
だが、一見不可能そうに思える物事を可能にしてしまう不思議な力。そんな力がこの世に存在することを、ルーツは既に知っている。
『魔法』
瞬間、ルーツは自分が今日、何を試されるのか思い知らされたような気がした。
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居なくなった、と思っていた村人たちは実は柵のすぐ近くに集まっており、ルーツが近づくと道を開けた。
開けた道のその先には、リカルド、双子、エマにカレン……。見知った顔が既に幾らか集まっている。ルーツとユリを合わせれば、この場にいるのは十五人。後から走ってくるハバスを数に含めると、これで参加者はすべてそろったようだった。
だが、以前、村の会議で集まった時とは随分異なり、そこに広がっていたのは異様な雰囲気。誰も、何も、自分からは一言も話そうとしない。そんな重苦しい空気の中でルーツがしばらく待機していると、
「それでは、皆さんお集まりのようですので、少し早いですが、ただいまより第三十二回学院編入試験を執り行いたいと思います」
突然、壮年の男の大声が、丘全体に響き始めた。だが、声はすれども姿は見えず。淡々と話す声の主は、周囲のどこにも見当たらない。
もしやこれも魔法の為せる業なのかと、ルーツが少しワクワクしながら辺りをきょろきょろ見渡していると、どこからか再び声が聞こえてくる。
「司会進行はわたくし、オーバトン関所第二部隊所属エマエルが僭越ながら務めさせていただきますので、どうぞ今日はよろしくお願いします」
だが、どういうわけか、ハバスをはじめ、他の子どもたちはそこまで驚いた顔をしておらず、中でもリカルドときたら――、まるで何かに呆れかえっているような表情で、何故か虚空を見つめていた。
その様子に、どこか好奇心を刺激される謎めいたものを感じつつも、まさか説明をされているその真っ最中に、誰かに尋ねるわけにもいかないので。
男の話が終わったら、後からこっそりハバスに尋ねてみようと、ルーツがひそかにそんなことを考えていると、集団の中から不意にリカルドが一歩進み出た。そしてまるで何かに狙いを付けているかのように、正面を勢いよく指で差す。
しかし、指差す先には、人も物も何も見当たらないし、いったい何をするつもりなのだろうと思っていると、リカルドの手元がパッと一閃。追って聞こえた乾いた音に先んじて、赤い閃光がどこか遠くへ飛んでいった。
おそらくそれは、何かしらの魔法だったのだろうが、勉強が足りていないルーツには、その種類すらも分からない。かと言って、今から家に帰って調べるわけにもいかないので、ルーツは不敵な笑みを浮かべている目の前の男の子を見つめながら、魔法とはこれほどまでに気軽に使えるものなのかと、嫉妬と恐怖が入り混じった奇妙な感情を抱えていたのだった。そしてその直後、
「リカルド君、試験官への攻撃は慎んでもらいたい」
そんな言葉とともに、一人の男が何も無い空間からひょっこり現れたのを見て、ルーツは再度仰天したのだが、
「この手のサプライズも、毎回同じだと面白くないですよ」
リカルドが試験官を挑発するようにそう言ってくれたおかげで、どうやら試験前には毎度のごとくドッキリが行われているらしい、ということをルーツはなんとなく知ることが出来た。
おそらく、他の参加者は、親か誰かに聞いて、試験の段取りを色々知っていたのだろう。これなら、自分一人が驚いていたことにも合点がいく。
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一方、受験者に自分の術を暴かれるのは予想外だったのか、それともそこまで織り込み済みだったのか。ともかく、姿を現した試験官は、興を削がれたような顔でリカルドの方をじっと見返していた。
が、出し抜けにニヤリと笑みを浮かべると、ポケットの中から何かを取り出し、周囲にそれを見せびらかすようにする。
「これ、なあんだ?」
素っ頓狂なセリフとともに、聞こえてきたのは人を食ったような笑い声。
信じ難いことに、試験官の手に握られていたのは、大きなベルト。それも、先ほどまでリカルドが身に着けていた、こげ茶色のベルトだった。
「君は毎回同じというが、受験者の水準が一向に良くならないものだからねえ。我々も変化を付けたいとは思いつつ、サプライズを変えることが出来ないのだ」
にしても、いったいいつ、抜き取る隙があったというのだろう。試験官は信じられないといった様子のリカルドに近づき、その手にベルトを握らせる。
「まあ、今年がこんなものなら、私は別に、誰も選ばなくとも構わないのだが」
その声とともに、会場の空気は一段と引き締まっていって、ピリピリした空気と言う物をルーツは肌で感じた気がした。
試験官による威圧ともとれるパフォーマンスが終わると、次に口頭での注意喚起があり、最後に試合順を決めるくじ引きが行われた。
ルーツとしては、こういう大事な決め事はすべてユリに任せてしまいたかったのだが、ユリはこの一連の間、ずっとコクリコクリと居眠りをしているばかりだったので、結局ルーツが引くことになり、出た数字は『三』だった。
試験官に自分の番号を伝えると、あとは自由で、自分の番が来るまでは、他の試合の観戦をするなり、昼ご飯でも買うなりして、適当に暇を潰していなさいとのこと。てっきりその場で対戦相手が発表されるものだと思っていたルーツは、なんだか肩透かしを食らった気分になった。
準備や一試合あたりにかかる時間のことを考えれば、まだまだ余裕はありそうなので、この際一度、家まで帰っても良かったのだが。眠っているユリをおんぶしたまま坂道を往復するとなると、さすがに足腰に支障をきたしそうだと思ったこともあり、ルーツはユリを隣の座席にそっと寝かせると、ため息をつく。
途端に、今までの疲れがどっと襲い掛かってきて、ルーツもその場で眠り込んでしまった。
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