第五章 選考会

第24話 何かのせいにしないと気が済まないの?

 それから何日か経過して、ユリがようやくこの村に馴染んできた頃。とある日の夕食。村長お手製の味の濃い料理を早めに食べ終えて、ユリに魔獣カードゲームのルールでも教えようかと考えていたルーツの元に、村長は、抱えている自分の顔が隠れてしまうくらいに積み重なった、膨大な量の紙の束を持ってきた。

「何それ?」

 だらしなく、椅子に浅く腰かけた状態で欠伸をし、手足を好き放題に伸ばしていると、テーブルの下でユリの足に触れたらしく、猛烈な蹴りを小指の付け根に食らう。

 そして、続けざまにもう一発。蹴りから逃げようと片足を上げた瞬間、ルーツの膝はテーブルに衝突し、食卓を揺らした。

「重要なことじゃ。ちいとはまともな姿勢で聞いてくれんかのう」

 何食わぬ顔をしながら、机の下で足による攻防を続ける二人を横目に、村長は一つため息をつくと、上から二枚を、ユリとルーツにそれぞれ手渡してくる。

 ちょうど食事を終えたルーツが、行儀悪くフォークを咥えながら紙に目を通していくと――、そこには、こんなことが書かれていた。


『来る収穫の候、王都にて第三十二回学院編入試験を行います。各村から一定数の出場者を募りますので、奮ってご参加ください。詳細な日時は後日連絡いたします』


―――――――――148―――――――――

「そして、後日連絡というのがこれじゃ」

 状況がよく呑み込めていない二人の元に、もう三枚ずつ紙が手渡される。一枚目には正確な日時の決定。二枚目には試験範囲が書いてある。そして三枚目は、悪天候が予想されるため日時が早まるという通達だった。

「何これ?」

 ルーツの口から再び疑問がこぼれる。知らない間に重要なことが始まっていて、終わろうとしている。この四枚の文書は、ルーツにそんなことを思わせた。

「何これ? 犯行文か何か?」

 お道化るようにそう言って、先ほどから黙りこくっている村長と、場に流れ出す重い雰囲気を和ませようとしたルーツの肩を、村長は強い力でぐっと掴む。

「落ち着いて聞くんじゃ、ルーツ」

 村人たちの相談事に乗っている時ですら滅多に見ることのない村長の真剣な目に、ルーツは気圧され、うなずいた。二人の聞く姿勢が整ったのを見て、村長は続ける。

「六日後に、この村に役人がやってくる。儂がよく、そっちの客間で会話している奴らのことじゃ。ルーツも何度か見たことがあるじゃろう?」

 役人たちなら、ここ、ひと月。何の打ち合わせをしているのかは知らないが、三日に一度くらいは村の様子を見に来ているし、確かに村長と話をしているところもよく見かける。が、いったいそれのどこが重要なのだろう。そうルーツが思っていると、

「ときに、ルーツ。学院というものを知っておるか?」

 村長は不意に前後の脈絡が分からない話を持ちかけてきた。村長の肩越しに見えているユリの戸惑う顔を視界に入れながら、ルーツが大きく首を振ると、村長は続けて口にする。

―――――――――149―――――――――

「学院というのは、簡単に言えば、金持ち貴族や、未だに昔ながらの血統にこだわる、時代に取り残された産物の溜まり場なんじゃがな……いちおう教育機関ということになっておる。ルーツ、そこでは魔法を学ぶのじゃ」

「じゃあ、僕には関係ないことじゃん」

 なんだか、その学院という施設のことをあまりよくは思っていない様子の村長に、ルーツはそう言い返して立ち上がり、話を終わりにしようとしたが、村長に袖を掴まれて、息を吐いた。

「参加の有無は自由じゃが――」

 腕組みをしながら、ルーツが再び椅子に坐り込んだのを確認すると、村長は一度、そう前置きしてから言う。

「今から六日後、この村でも、その学院に編入するための試験の出場者を決める選考会が開かれる。各村ごとに、受験できる者の数と年齢は、十歳から十五までの子どもが数人ほどと決まっておるのでな。村の代表、というほど大げさなものではないが、それでも選ばれるにふさわしい者を決めるため、村の皆と役人たちの立ち合いの元、選考会は執り行われる。……日程に多少のばらつきはあるものの、選考会は五年に一度。余程の特例でもない限り、参加資格があるのは一度きりじゃ。参加しないにしても、するにしても、よく考えて選びなさい」

 後から聞いていなかったと言われないようにするためか、村長はたびたびルーツの様子を確認しながらゆっくり話した。

 それで役人たちは頻繁に村を訪れていたのか。と、ルーツは納得する一方で、そんな大事な試験の準備期間が、あとわずか六日しかないことに疑問を持つ。

 しかし、その疑問は、すぐに村長が自らの言葉で解消してくれた。

「そもそも儂は、編入試験自体、必要ないと思うのじゃがな。他の年寄たちが未だにうるさいからのう。お偉いさんもお偉いさんで、こういう時ばかり気を遣って、人材の発掘とばかりに五年に一度は全員のチェックをする。一部の才気に恵まれた若者を除けば、ほとんどは似たりよったり。選ばれたところで見せしめに変わりないというのに。……まあ、中には選考会を生涯一度の立身出世の機会と見込み、前もって多くの技能を子どもに学ばせておく親もおるみたいじゃが。そう、事は上手くいかん」

 前もって、というからには、少なくとも半年、いや、もしかすると何年も、この試験のためだけに励んできている子どももいるのだろう。

「多くの技能ってのは、たった六日でも学べるものなの?」

 ルーツは聞くが、村長はもう目を合わせようとすらしなかった。その代わり、苦し気に歪んだ表情で、床のどこか一点をじっと見つめている。

―――――――――150―――――――――

「この手紙、今日届いたものじゃないよね。何で今まで言ってくれなかったの?」

 自分でも恐ろしいほど冷え切っていると感じる口調で、再度、ルーツは問いかけた。が、口を固く結んだまま開こうとしない村長を、そんな言葉で責めつつも、ルーツも薄々気づいていた。村長はあえて言わなかっただけで、『技能』というのは魔法のことだ。だったら、選考会の存在を、何年も前に知ったところで、魔法が使えないルーツには何もできやしない。前もって事実を伝えたところで、悪戯にルーツを傷つけるだけ。そう思って、村長はいままで黙っていたのだろう。

 いや、黙っていたのは村長だけではない。他の大人たちや、ハバスやリカルドたちだって。……昔から不思議だった。リカルドや双子は、事あるごとに、ルーツに対し、魔法が使えないと嘲ったが、その実、リカルドは人前で、魔法を使って見せたことは無かった。自分が絶対に使えることはないと言われている魔法を、彼らはどう学んで、会得していくのか。ルーツは不思議でならなかった。

 自然に身につくものなのかと思っていたが、教育機関があることを考えると、そうではなさそうだ。きっと彼らは、来る何とかの候に備えるために、ずっと準備していたのだ。親や兄弟姉妹に教わりながら。その過程で、魔法の何たるかを少しずつ会得していく。決して魔法を習得出来ないルーツに配慮して。ルーツの眼の届かない家の中で、こそこそと。

「ねえ、絶対に僕は魔法が使えないの?」

「そうじゃ。いかに努力を積み重ねても、その壁を超えることは出来ん。魔法は、身体に魔素が流れている者しか、使うことが出来んのじゃ」

―――――――――151―――――――――

 自分を憐れむような口調で言ったルーツに、村長はかすれかすれの声でようやく答えた。ルーツは項垂れ、村長は悲し気な後ろ姿のまま部屋を出て行き、扉を閉める。ただユリだけが、事の顛末が分からないといった様子で、村長が閉めた扉とルーツを交互に見ては、首をかしげていた。その目が好奇心に満ち溢れているのを感じ、ルーツは嫌々ながらも、ユリの方を向く。

「今のやり取り見てただろ。僕、いますっごく落ち込んでるんだ。聞きたいことがあるならまた今度にしてよ」

「うん、分かった。でも、気になるからやっぱりここで教えて?」

 いったい何が分かっていたのか。ユリは結局、ルーツの言葉を無視して言った。おそらくはただ単に、自分の知らない単語が飛び交っていたのが気になるだけだったのだろうが、相手の精神状態なんて気にもしないその態度に、ルーツはため息をつきたくなる。

「別に、いいじゃん。打ち明けたところで、減るもんでもないんだし」

 ただでさえ人より少ない自信や意気といったものが、いま、この瞬間にも擦り減り続けているルーツを横目に、ユリはそんな独り言を言うと、村長が置いていった紙の束をめくっては、比べるように見つめていた。

「これは……出席簿みたいなものなの? 名前がたくさん書いてあるけど……五、十、全部で十五人。アンタの名前も書いてあるわよ」

 多分、さっき村長が言っていた、選抜試験云々に関する用紙だろう。

「それじゃあ、明日にはその名前が一つ減るわけだ」

 そう答えたルーツを、ユリはまた不思議そうな顔をしながら見ていた。

「今日は、いつにもまして自虐的なのね」

「そりゃあ、まあ、自分に言い聞かせとかないと、やってけないから」

 そっぽを向きながらそう言うと、ユリはずいっと踏み込むように近づいてくる。

―――――――――152―――――――――

「ねえねえ、アンタのその不幸そうな話教えてよ。ほら、不幸は人に話すと半分になるっていうし」

「嫌な噂が広まったら、嫌がらせは二倍になるだろ!」

 明らかにルーツの不幸を倍増させる気まんまんのユリに苦い顔をしつつも、ルーツは仕方なくユリの方へと向き直った。

「でも、このこと、村の人たちは全員知ってるんでしょ? じゃあ、今さら知ってる人が一人ばかり増えたところでそう変わりないじゃない。……アンタは必要ないことまで、人に話さず、全部自分の心の中だけに溜め込んでおこうとするからそんなになるのよ」

 教えてもらいたいがためにユリは言っているのだろうが、今となっては、一理ある、とすぐに納得してしまう自分のこの性格が恨めしい。

「この話を聞き終わったら二度と蒸し返さないって、約束してくれるならいいけど」

 仕方がないのでそう言うと、ユリは、ルーツが気味悪くなるほどの満面の笑みで頷いた。


「で、魔法が使えなくなっちゃったと……。ふーん、あんまり面白くない話ね。もっと、なんかこう、余命何年? みたいなでっかいやつを期待してたんだけど」

 ルーツが長きにわたって抱えてきた心の闇も、ユリにとっては世間話の一つに過ぎなかったらしい。ようやく悩みをあらかた話し終わり、ユリの質問責めからも解放されたルーツは、毒気を削がれたように大の字で寝転がっていた。力を抜いて、冷たい床に身体を預けると、どっと疲れが込み上げてくる。そんなルーツのすぐ横で、ユリは壁にもたれかかりながら、一人でいろいろ考え込んでいた。

―――――――――153―――――――――

「ねえ、それのどこがそんなに嫌なの? 別に魔法? とやらが使えなくても、食べて、寝て、外で遊んで、毎日を過ごすことは出来るわけでしょ。私には、アンタがそこまで困ってるようには聞こえなかったんだけど」

「そう言うけどね。他の人が全員使えるのに、自分だけが出来ないってのは、結構ストレス溜まるんだよ」

 ルーツの悩みがあまり理解できていない様子のユリに、ルーツはぼそぼそと小さな声で反論する。引け目とか、羨ましさとか……。そういった、内にあるドロドロとした感情をうまく説明できればいいのだが、自分の感情を言葉にするのは思ったより難しいもので。

「まあ、いずれにしても、生まれつきなら仕方ないわね。考えるだけ時間の無駄じゃない。どうせ治らないんだったら」

 お手上げ、と言った感じで物を言うユリに、魔法が使えないのは生まれつきではなく両親のせいだ。ルーツは一瞬そう言いかけたものの、言うタイミングを見失い、結局黙り込んでしまうのだった。そんな、どっちつかずな態度を見せるルーツに苛立っているのか、ユリは不満をありありと顔に表したまま、左の爪先で床をとんとん鳴らしている。

「で、何? さっきの語り口。アンタはとりあえず、何かのせいにしないと気が済まないの? そういう病気なの? アンタがさっきの話の中で、何回言い訳したか言ってあげよっか? なんと三十二回よ! 三十二回。およそ十秒に一回のペース」

「うるさいなあ、もうほっといてよ。どうしようもないから言い訳してるんだよ」

 そう言い、村長と同じように自室に逃げ帰ろうとしたルーツを、ユリは大声で引き留めた。

―――――――――154―――――――――

「で、アンタ、結局どうするの?」

「何が!」

 お互い、すぐ近くにいるのに、まるでそうしないと自分の意思を伝えられないかのように、ルーツも大声で言い返す。

「全部。これから先、全部のことを言ってんの! 死ぬまでずっとそうやって、出来ない理由つけて、うじうじしてるつもりなの?」

 ルーツが返答に困ったのを見てとるや、ユリは続けた。

「さっき、話聞いてて思ったんだけど。アンタ、失敗した時の理由が欲しいだけなんじゃないの? 足が遅い。力が弱い。確かに、生まれつきに毛ほどの差はあるのかもしれないけど、アンタみたいに、動いてるときより家の中でゴロゴロしてる時間の方が多いような生活送ってれば、どうしたって……リカルドだったっけ? そいつみたいな、朝から晩まで外でワイワイやってる奴より、すぐに疲れる身体になっちゃうわよ。……まあ、自分と誰かを見比べて境遇に文句を言いたくなるのは分からなくもないけど、不満を垂れたところで何も現状は良くならないから。言い訳したいなら、せめて一回ぐらい、人並み以上に努力してみたらどう?」

 ユリは、ルーツが一番言われたくないことを的確に突いてきていた。反論しようと思って口を開いても、怒涛の言葉に押し流される。

 すると、段々目の前にいるユリが憎らしく見えてきて。

「今度もチャンスを逃そうってんなら、もったいないから私が出てあげる。まあ、アンタがどうしても出たいっていうなら話は別だけど」

 ユリが何を言っているかも聞き取れないほど、熱いものが込み上がってきて。

―――――――――155―――――――――

「この書類、提出期限今日までって書いてあるから、いまから――」

「ユリだって! どうせ都合の悪い事でも忘れるために記憶喪失になったんだろ!」

 ルーツは部屋を飛び出した。


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